6、真面目ないい子が傷つく②
「どうしたの、コレ?」
驚いている私と対照的に、鈴ちゃんは落ち着いた様子で答える。
「私ね、中二の時、半年ぐらい不登校してたから、三年になったのをキッカケに学校に通うようになった時、お父さんとお母さんが喜んでいるのをよく分かってたんだ。でもすぐいじめられて、それでも一週間ぐらい通ってた時、何を支えに学校に行ってたかと言うと、不良たちに十回殴られたり、蹴られたり、馬鹿にされたりするたびに武器を買うことで気晴らししてたの。ほらこれ、ネットで注文して届いた商品。護身用のヤツ、チカン撃退ブザーとか催涙スプレーとか。お父さんが若い頃買って、物置きにしまってあるボーガンも内緒でここに持ってきた。ほらこれね、ヒト殺せるでしょ?」
私の質問に答えてなかったが、押し入れの中には、鈴ちゃんが集めた武器が並んでいた。「だから学校でいじめられるたび、こう思ってたの。馬鹿だねアンタ達、どんどん私の武器が増えて、やっつけられる日が近づいてきてるのにって。そうやって妄想しているといじめられても耐えられて。でもすぐに限界がきて、妄想だけじゃつらすぎるから現実に反撃してやろうって、このカッターナイフ、ポケットに入れて学校に持っていった」
押し入れに置かれていたカッターナイフを手にとると、手で握りしめる。指三本分の幅はある業務用タイプだった。同じ教室に私もいたが、そんなことまったく気づかなかった。
「十回ヒドイ事されたら、ポケットから取り出して刃をチキチキって出して、首元狙って振り回そう、そうしたらアイツらもきっと腰抜かすよって。でね、二校時終わりの休憩時間までに、叩かれたり蹴られたり馬鹿にされて十回越したんだ。でもね、怖くて出来なかった。だけどがんばって自分で決めた事だからやろうと思って、三校時終わりの休憩時間とか昼休みとか、なんなら午後からの授業中に席から立ちあがって、私を殴ってニヤニヤ笑ってる連中の首筋に、思いっきり力を込めてナイフを突き刺しやろうと何度も何度も思ったけど、結局出来なかった。怖くて出来なかった。手がね、動かないんだよ。紙を切るためならナイフの刃を平気でチキチキ出せるのに、人の首を切るために刃を出そうとしたら、手が硬まっちゃって全然動かないんだよ。私、なんでこんなに意気地がないんだろう、こんなんだから舐められて、いじめられるんだ。このカッターナイフ取り出して『舐めんじゃねえよ! ふざけんじゃねえ!』って斬りつけてやろうって、頭の中じゃ何十回も斬りつけてやったのに、いざとなったら怖くて、ポケットに手を入れることさえ出来なかった。もうなんなんだよ、私は!」
鈴ちゃんはカッターナイフを握りしめて、悔しそうに泣いていた。いじめによって深い心の傷を負った鈴ちゃんは、情緒不安定な時がある。涙が頬からこぼれ、お気に入りのキャラクターTシャツを濡らしていく。背後の女の子の脳天から、血が一滴二滴と流れ始めて、顔を伝っていく。いじめ被害者の傷ついた心は、加害者のいない所にいても血を流しているのだ。
「鈴ちゃんが悪いんじゃない、周りが悪すぎるんだよ。暴言、暴力で他人を傷つける奴らがのさばって威張って、教師はそれを止める事も追い出すことも出来ない役立たずなんだから。真面目ないい子が傷つくように学校は出来てるんだよ。暴力を振るえない優しい子が追い出される異常な所なんだよ、学校は」
なぐさめている私の言葉を受けて、鈴ちゃんは涙をぬぐいながら言った。
「だからその異常な所に適応できるように、平気で他人を傷つける人間になるために、ぬいぐるみをカッターナイフでズタズタに裂いたんだ。そのぬいぐるみは、おじいちゃん、おばあちゃんから買ってもらったものやお年玉を貯めて買ったもの、色々な思い出のある大切なものだったけど、こういう可愛いもの、愛情溢れるものがあるから、いじめられてもやり返せない人間になったんじゃないかって。今までの自分と決別するためにも、ぬいぐるみを裂いたんだ」
≪教育に警察は合わない≫そんな綺麗事の言葉が、碇のように教室に沈んでいて動かない。警察の代わりは出来ない教師たちの隙間から暴力は育ち、王様のように振舞う加害者生徒に、被害者生徒は泣き寝入りをして、怯えている。
教室で希望は今日も踏み潰され、十五才の少女の精神の中で残ったものが、髑髏姿で笑っている。無残な姿でゴミと成り果てたポリ袋のぬいぐるみを見て、そんなことを私は思った。