274、世界の教育に取り残された、日本教育
教育学者で、都留文科大学の元学長、理事長であった福田誠治さんの著書『競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』(朝日選書)の中から印象に残ったところを紹介します。
【ユネスコの生涯学習構想】
ユネスコの生涯教育戦略は、1965年、現行の教育のあり方を変革し、教育を生涯にわたる自己教育ととらえようという趣旨から始まる。
この思想を引き継いだエットーレ・ジェルピは、教育が不平等と差別の再生産になってはならないと警告し、生涯教育は社会の民主化のためにあること、全面発達こそが教育の究極の目的であることを指摘した。つまり、力のあるものがさらなる能力を伸ばして格差を広げるように生涯教育が利用されてはならないという意味である。
1972年、「教育開発国際委員会」は、『未来の学習』と銘打った報告書を提出する。
そこで確認されていることは、」まず第一に、民主主義と参加の重要性である。民主主義は、「人間が機械の奴隷となることを防ぐ唯一の方法」であり、「人間の尊厳性と両立しうるただ1つの条件」であるので、「強力な支持を民主主義に与えなければならない」。そして責任分担と決定に「市民を参加させる」ものでなければならない。そこで、この目的に関連した教育的要請には、できるかぎり支持が与えられなくてはならない。なぜならば、「教育における極端な不平等が作り出した階層の差別があるかぎり、それらの階層間に民主的な平等関係はあり得ないし、将来もあり得ない」からである。
第二に、生涯学習社会の提唱である。科学技術時代には、知識は絶えず更新されるので、自己学習の機能を拡大し、自ら考えることに基盤を置く教育の威信が高まっている。この考えを裏打ちするように、「すべての者に対する機会均等」とは、「すべての者を同様に扱うこと」ではなく、「各個人が、自分の特性に適合した速度と方法で、適切な教育を受ける」ことを保障することだと、「教育の平等」論の再解釈を試みている。この部分は、以下のような表現とともに理解しなくてはならない。すなわち、
「教育はもはやエリートの特権でもなく、ある特定の年齢に付随したものでもなくなっていて、社会の全体を、また個人の全生涯を、包含する方向へとますます広がっていきつつある」
「未来の学校は、教育の客体を、自己自身の教育を行う主体にしなければならない。教育を受ける人間は、自らを教育する人間にならねばならない」
「教えるという伝統的な教授原理から、「学習尊重」の原理へと重点は移る」
「学習社会が到来し、全ての市民が、学習を自由に行える手段をどのような環境下でも入手できなければならない。市民の全てが自分の教育に関して、従来とは根本的に異なった位置に置かれることになるだろう」
と説明されている。したがって、この「教育の平等」論の再解釈とは、平等思想の放棄ではなく、平等論の徹底と考えるべきである。すべての人間が例外なく、社会に主体者として参加しながら自己実現していく長期的過程として教育をとらえるべきだという哲学が提起されているのである。
「子どもの権利条約」の成立をリードしたユネスコの動きをたどっていけば、用意された知識や技能を身につけるという単純な学習論ではなく、社会を批判的に受け止め、新しいものを創造しながら主体として生きていく力を発達させるという学習論が見て取れる。
ユネスコは、国際機関としてまず世界をリードし、詰め込み教育からの脱却をはっきりと活動方針にしていたことに注目したい。
【EU】
経済がグローバル化し、労働者や難民を受け入れた国は、彼らの定着性、有効性を確かめるために、「能力」が重要な関心ごとになってくる。EUは、イギリス、アメリカとは違った対応をした。知識は、グローバル化に大きな意味を持っている。知識は、資本主義の決定的な資源なのである。グローバル化は、教育を経済と社会の発展にとっての鍵として強調した。それはエリートだけの教育ではなくて、社会全体の教育水準の向上を目指したものである。
EUが打ち出した政策では、知識のとらえ方が、日本とは異なる点を注目したい。
[知識とは、使用されるものであって、作成済みのものではない。その使用が、さらなる知識を生み出すのである」つまり、決まった知識が詰め込まれることが期待されているわけではない。
ところが、いまだに学校では詰め込み教育が横行し、結論の決まった知識を繰り返して注入して記憶させ学習させるという教授法が多く見うけられる。したがって、1960年代に否定されたことを、多くの教育関係者は忘れているか、理解していないということだ。




