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250、おすすめ本『教育委員会は不要なのか』(中嶋哲彦)①

著者の中嶋哲彦さんは、日本教育政策学会の会長で愛知工業大の教授(教育行政学)です。この本での主張は、『教育委員会は、世間から多くの批判に晒されていて、地方自治体の首長による介入もされてしまうが、子どもたちのために取り込むことを自ら自覚したとき、素晴らしい存在になり得るのだ』というものでした。

読み終えた私の正直な感想は「そもそも『自ら自覚』しないではないか」という反論でした。

この本の内容を紹介し、その後、私の反論を載せたいと思います。


◎2014年6月、地方教育行政法の改正案が可決成立され、地方自治体の首長に新たな権限が与えられ、教育委員会がこれまで以上に形骸化されることに、強い危惧を抱いています。教育委員会制度はもともと、子ども・若者に健全で豊かな学びと育ちを保障することを使命として誕生した教育行政制度です。しかし、教育委員会の実態を見るとそれに反する事例が多々見られますし、教育委員会には「機能不全」「責任の所在が曖昧」「隠蔽体質」などの批判が向けられています。そして、もはや教育委員会制度は不要だと主張する政治家や研究者も少なくありません。

私はここで単純な教育委員会擁護論を展開するつもりはありません。むしろ、否定的な実態を生んだ要因にも目を向けながら、教育委員会制度をどう改革していくべきか考えたいと思います。


◎2014年の地方教育行政法の改正案は、1956年改正を凌ぐ大改革につながる可能性があり、そのポイントは(1)首長の教育・教育行政に対する介入の正当化・制度化(2)教育委員会内部における教育長への権限集中(3)文部科学大臣の地方教育行政に対する統制強化です。政府は改正の目的を「民意反映」「責任の所在の明確化」「国の最終的責任の明確化」と説明しました。「民意の反映」という改正理由には、多くの人々が大きくうなずいたことでしょう。しかし、ここでいう「民意反映」とは、首長選挙で相対多数を得て当選した政治家の主張を「民意」と見なし、政治的介入をますます容易にするものです。学習・教育はその当事者や地域住民の意思を最大限尊重して行われるべきものです。それに背を向けた改革は有害であると言わなければなりません。


【私の反論】学習・教育の当事者である「おちこぼれ」や「いじめ被害者生徒」を救うためにろくに働きもせず、2014年に改正案が可決されるまでに世間から信用を失った教育委員会に対しては「自業自得」だというのが私の正直な感想です。首長が介入して「ネオナチ」にでもすることを恐れているなら滑稽だと思います。そんなことをすれば、世間やマスコミが黙っているわけなく、次の選挙で落選し首長でいられなくなるからです。日本には言論の自由があります。中国共産党やロシアのプーチンが行うような言論の弾圧はありません。政治家は、選挙民の意向を無視してまで好き勝手できるわけがないのです。むしろ教育関係者だけで作られた「治外法権」のような学校空間で、子どもの人権侵害を続けて、その責任も問われない自分たちの存在が有害であることを、教育委員会は自覚するべきです。


『教育委員会は不要なのか』(中嶋哲彦・岩波ブックレット)より【次回に続きます】

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