200、おすすめ本『コロナ期の学校と教育政策』(前川喜平)①
著者は元・文部科学省の官僚で、事務次官まで登りつめた方です。2017年に退官後、加計学園問題で岡山理科大学獣医学部新設の不当性を公にしたことで注目され、著作も多数あります。政治家に媚びを売って出世や保身を図る官僚がいる中、政治家に批判的な姿が人気を集めています。善人である方だと思いますが、自身が官僚時代に行ってきたことが、教育現場を不幸、悲惨にしてきたことへの反省や謝罪はありません。そのため本の中で語られることに納得はできませんでした。「おすすめ本」として紹介していますが、「反論するため」に紹介しています。本の中で書かれていた内容の後、私の反論を加えた形で紹介したいと思います。
◎戦後の教育政策の基本は分権化であり、国の号令一下で教育が動かされることがないようにしようということでした。つまり、学校教育は自治体が本来的に担うべき業務であるという建前があり、一方、文科省は指導・助言する機関だということになっています。(略)安倍首相の一斉休校要請を受けて文科省が通知を出したことは、「学校保健安全法」に基づいて適切に対応してくださいと言うしかできないはずで、同法に定められていないことを指導する権限はそもそも文科省にはありません。国ができる関与は限定的なものであるという認識が欠落しているのではないでしょうか。
◎学校の生徒の前で講演させてもらうことがたまにあるのですが、呼んでくれる校長は例外なく退職間際の校長です(笑)。そんなときに私が生徒たちに話すのは、首相から言われたら何も考えずに従う、教育委員会の大人のようになってはいけないということです。登校時にマスクをしなさい。ここまではいいです。そのマスクはアベノマスクでなければならないと生徒に指示した中学校があった(笑)。ここまで迎合するのか。忖度も事大主義もここまでくるとグロテスクです。科学的・法的根拠もないのに迎合することには、ただ呆れるばかりです。
【私の反論:まず以前紹介した《169、おすすめ本『文部科学省』(青木栄一)①》の中からの文章を載せます。《教育という国益に直結する分野を担当しているにもかかわらず、文科省は霞が関の他府省の官僚たちや政治家から「三流官庁」とみなされている。2020年2月末、コロナ禍対応のため安部首相が全国の学校に休校を要請したが、この決定過程に文科省は蚊帳の外だった。官邸主導の政策決定に文科省は反発したものの、結局は従わざるをえなかった。官邸に深く食い込んだ経産省は教育政策に関与するようになったし、財務省は相変わらず文科省予算の削減に躍起やっきとなっている。一方で、文科省は地方の初等中等教育を担う教育委員会や、学術・科学技術の中心的存在の国立大学に対して強い影響力を保ってきた。その力の源泉となってきたのは「お金」である。公立小中学校の教員給与の3分に1と国立大学予算の多くを負担している。少子化のあおりを受けて教育費の削減圧力は非常に強いから、地方自治体も国立大学も文科省が打ち出す「改革」に従わざるをえない。このように、文科省は「内弁慶の外地蔵」という二面性を備えている。筆者たちの調査でも官邸や他省庁に対してたいへん脆弱であるのに対して、教育委員会や国立大学にはたいへん強い姿勢をとっていることが明らかになった。》これらの文章から教育委員会や学校が、文科省に頭が上がらないのは事実であり、どんなに悔しくても従うしかないのです。《「学校保健安全法」に基づいて適切に対応してくださいと言うしかできないはずで、同法に定められていないことを指導する権限はそもそも文科省にはありません。》と書かれていますが、予算を握っていることで実際に権限があるのです。元・文科省の官僚の前川喜平さん自身、その現実を一番ご存じのはずです。《そのマスクはアベノマスクでなければならないと生徒に指示した中学校があった(笑)。ここまで迎合するのか。忖度も事大主義もここまでくるとグロテスクです。科学的・法的根拠もないのに迎合することには、ただ呆れるばかりです。》と書かれています。しかし『前川喜平「官」を語る』(宝島社)の本の中で、文科省官僚を退官後、加計学園問題で「総理のご意向」文書の存在を認め、「行政が歪められた」と証言したことについて、勇気がある証言と評価される一方で、「そう思うなら、なぜ在職中に官邸と戦わなかったのか」という批判も受けることになりました。これについてはいかがですか、という質問に対しての答えがこれです。《それはまったくそのとおりで、私はその批判を受け止めなければなりません。ただひとつ言えることは、もし戦いを挑んだとしても、官邸の強大な権力に対して、一役人に過ぎなかった私にできることはほとんど何もなかったでしょう。》自身が官僚時代は、予算を握っていることで、全国の教育現場に号令一下をしていたのに、その教育現場の忖度や事大主義の情けなさを、在職中は官邸と戦わなかった前川喜平さんが「グロテスク」だと呆れるのは、他人に厳しく、自分に甘すぎないか、と思わずにはいられませんでした。】
『コロナ期の学校と教育政策』(前川喜平・論創社)より【次回に続きます】




