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193、おすすめ本『われらの子ども・米国における機会格差の拡大』(ロバート・D・パットナム)②

◎平均してみれば、裕福な家庭や地域出身の子どもが学校に持ち込むものは、そのような学校にいる全ての生徒の間の高い達成を促進する傾向がある。しかし反対もまた真実である。貧しい家や地域出身の子どもは学校に混乱と暴力を持ち込みやすく、それはそのような学校にいる生徒全ての達成を妨げる。それはサンタアナ高校で起こっている、生徒が教室内で暴力をちらつかせて脅しを口走り、また教師が自らの役割を子守りに閉じ込めるさま(治安の悪い教室内では指導や学習に優先順位は置かれていない)から、われわれが見たものである。


◎あなたが聡明で前向きな若い教員で、サンタアナ高校という戦場で働くために毎日出勤していると仮定しよう。理想主義によって一年か二年は持ちこたえられるかもしれないが、混乱が少なく学習意欲のある生徒の多い学校に移る機会があったら、あなたもそのチャンスに飛び移るだろう。したがって教職員の離職率は高くなり、新人教員が毎年多くなってしまう。さらには、残る教員の多くも時間稼ぎの窓際族になるだろう。善意のある生徒を助けることにすら冷ややかになって「救いようがない」と退けてしまうような。残念ながら、全国規模データは正確にこの見取り図を確証している。すなわち、低所得校における教員の士気の乏しさや離職率の高さは、混乱しさらには危険ですらある環境に引き起こされていて、そのことがどうして低所得校において達成度の低い生徒が、その出自や能力とは関係なく生み出されてしまうのかを説明する一助となっているのである。


◎今日では、好成績の金持ちの子どもが大学を卒業する可能性は非常に高いが(74%)、低成績の貧しい子どもがそうなることはほとんどない(3%)。中くらいの出来の生徒が大学を卒業する可能性は、裕福な家族の出身であれば(51%)、裕福さで劣る家族出身の者(8%)の6倍大きい。さらに衝撃的なのは、好成績の貧しい子どもが大卒学位を取得できる可能性(29%)は、低成績の金持ちの子ども(30%)より現在ではわずかに低くなってしまっているということである。この最後の事実は、アメリカンドリームの中核をなす思想――機会平等、と並び立たせることがとりわけ難しい。


◎貧しい子どもは自身に何の落ち度がないにもかかわらず、天から与えられた才能を金持ちの子どもと同じように十全に発揮するための備えが、家族や学校、そしてコミュニティによって与えられていない。経済生産性と経済成長のために、わが国は見いだしうる限りの才能を必要としていて、それを無駄にするような余裕がないことははっきりしている。


◎持てる子どもと持てざる子どもをアメリカにおいて隔てている機会格差は、時間をかけて大きくなってきた複雑な問題である。こういった難題を成功裏に克服して機会の復活を目指すべく現在まで追求されてきた対応の、それら全ての根底にあるのは他人の子どもに対する投資の責任感だった。そして、そのような責任感の根底にあるのは、これらの子どももまたわれらの子どもなのだ、という根深い感覚だった。全てのアメリカ人が、そのような共同責務の感覚を分かち合っていたわけではない。エッセイの中でボストンの名家出身、エマーソンはこう記したことがある。「全ての貧者をよい境遇に置くのは私の責務だなどと述べるのは止めてほしい。汝、愚かなる慈善家に告げるが、私は1ドル、10セント、1セントだに惜しむのだ。私に属してもいなければ、私が属してもいないそのような人間に施しをするのは」。エマーソンが雄弁に擁護するのは、アメリカにおける個人主義の伝統である。それから二世紀ほどの時がたち、保護者なしで入国してくる移民の子どもたちが近年登場していることについて言及する際に、ボストンの労働者階級出身で市政管理者を務めたジェイ・アッシュが用いたのはより寛大な、共同体主義者コミュニタリアンの伝統の方だった。「もしわれらの子どもが困っているのなら、自分の子ども、われわれの子ども、誰の子どもであっても、その面倒を見る責任はわれら全てが負っている」。今日のアメリカでは、アッシュが正しかったというだけでなく、われわれのうちエマーソンのように考える者であってさえも、こういった子どもに対する自身の責任を認めなければならない。アメリカの貧しい子どもも、確かにわれわれに属しているのであり、われわれも間違いなく彼らに属しているのだから。彼らは、われらの子どもなのだ。


 『われらの子ども・米国における機会格差の拡大』(ロバート・D・パットナム・創元社)より


 

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