表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

セイレスチューンの歌姫

作者: 森本弓月

よろしければ読んでいただけると嬉しいです。

 ふと意識が浮上してくると、体中激痛が走った。

 痛い。

 うめき声なんて出せば喉に悪いとわかっているのに、なにか声が出そうになって、薄っすらと開きそうな目を顰めた。

 横たわっていると思っていた体勢は、なにかに凭れかかっていて、かろうじて倒れてはいない状態だった。


 うっすらと開いた目に、金髪の男性が心配そうな顔で覗き込んでいるのが見えた。


「※※※※、※※?」


 かっこいいバリトンであることだけが理解できたが、何を話しているのかは全く理解できなかった。問いかけていることだけは、分かる。


 そちらを見ずに、体を支えるように置いてある鞄をひっつかんで、中からペットボトルを取り出す。なんとか蓋を外して、半分になっていた水の残りを飲み干した。

 毎朝白湯を飲んでいたときと同じように、喉が潤っていくことが分かる。

 ただ、突然声を出すのは、怖い。

 私が大きく息を吐くと、彼はこちらに小瓶を渡す仕草をしてきた。

 なんだか、アンティークな怪しい瓶…映画とかでお酒が入ってそうな、アレに近い。見た目は涼やかなガラス製なのだけど。

 怪訝な視線を送ると、彼は飲む仕草をして蓋を取った。瞬間、ペパーミントとかすかにレモンの香りを感じた。


「※※※」

 

 やっぱり何を言っているのかわからなかったが、こちらに勧めているのは分かる。恐る恐る手を伸ばして、瓶を受け取ることにした。

 にぱっと笑う彼を後目に、そっと瓶の匂いを嗅ぐと、ハーブティーみたいな感じでペパーミントとレモンの匂い。意を決して一口飲んでみると、飲みやすいハーブティーそのものだった。遠慮なく、全部飲み干す。


 なんだか、体が痛いのが薄れてきた。


「※※※※?」

「ありがとう、ございます」


 聞こえるか聞こえないかくらいで伝える。多分、相手には何言ってるかわからないだろうけども。


 体をゆっくり伸ばす。痛みは、ない。

 手足の関節から回して、強張りを取り除く。ゆっくり立ち上がって、屈伸運動、腕を回してみる、問題ない。

 息を吸って、吐いて、大きく吸ってお腹を膨らませて、息を止める。大丈夫、いつも通りだ。ふっと息を吐ききって、姿勢を整える。


 なんだか、彼が困惑しながら立ち上がって、数歩の距離で立ちすくんでいるけれど、気にしない。


 唇を震わせ、リップロール。うん、いつも通り動く。

 そのまま発声を始める。うん、大丈夫。声を大きくしていこう、ロングトーンで、しっかりと。

 ああ、気持ちいい、きちんと声が伸びてる。


「※※※!」


 そばに立っていた彼が、なにやら興奮気味に話しかけてきているが、わからない。

 気持ちいいまま、賛美歌をひとつ。

 歌い終わって、余韻のまま息を吐いて、ふと思う。


 ここは天国かな?


 私は、武者修行の旅に出て飛行機に乗っていたのだけど。ひとまずヨーロッパを目指して、昔から行きたかった憧れのスウェーデンに。


 でも、飛行機に乗った覚えはあるけれど、降りた記憶はない。


 そばにたたずんでいる彼は、北欧っぽい雰囲気がある。見た感じ外国の人だし、リネンっぽいズボンとオーバーサイズの半袖も、偏見だが北欧っぽい。それに、ピクニックに丁度良さそうなこの針葉樹の森も。

 それでも、どうしてここにいるのかわからない。


 そういえば用意してたっけと、スマホを取り出して翻訳アプリにする。海外対応なのに、繋がらなくて利用できない。

 諦めて、鞄に突っ込んでいたクロッキー帳を開く。

 予め書いておいた絵と文字の中から、ありがとうを見つけて彼に見せるが、首を傾げられた。

 スウェーデン語と英語両方で書いてあるのに。

 

 通じないなら、仕方ない。


 一度お辞儀をして、そこから荷物を持って確認する。機内に持ち込んでいたいつもの鞄以外が見当たらない。スーツケースがないと困る。あの中には、路上ライブのときの衣装とか、撮影機材も入れてあったのに。


「※※※※、※※。※※、※※※?」


 ずっとそばにいた彼が、何か言ってくる。

 ちょっとわからないみたいなジェスチャーしていると、腕を掴まれて引っ張られた。

 困る。


「どこへ?」

「※※※※※※、※※※?」

「離してください」

「※※※、※※※※※※」


 噛み合っていない感じのまま、小高い丘を降りさせられた。足元も悪いし、あたりを見回しても、愛用の目立つ真っ赤なスーツケースは見当たらなかった。森に置いていかれることも考慮して、大人しくついていくことにした。


 ピクニックコースだったと言われても、なんとなく信じられるような少しなだらかな小山を降りてきて、小一時間程だろうか。村というか、街についた。


 ヘトヘトである。


 機内で履いていたリラックスできるペタ靴だったから、足の裏が痛い。石とかの感触がダイレクトに伝わってきてたから。

 途中から、彼は紳士的に鞄を持ってくれていたから、慣れない山道に集中できたのは良かったけれど。


 それでも、こまめに取っていた水分も、残るところあとペットボトル一本と心もとない。

 飲水を確保したい。


「※※※!?」

「※※!!」

「※※※!!」


 牧草地を超えて建物がそこそこ見えてきたから安心して、鞄を返してもらって確認していると、数人が近づいてきて大きめの声を上げている。


 これ、私に話しかけている感じじゃないな。


 興奮気味の人は、私のことなんて見えていないようだ。金髪の彼を囲みだし、泣きそうな人もいる。なんだか、握手を求められている。神に祈りを、みたいなジェスチャーの人もいる。


 有名人なのかな?


 先程まではなにかニコニコと話しかけてきていた彼は、反対無表情になって何も話はしていない。


 声を聞いて、どこからかまた人が増える。


「※※※※※」


 5、6人に囲まれてガヤガヤと声がしていたのに、冷たい声で彼が静かに何か言うと、人々は静かになった。


 外野を気にしないことにしたのか、彼は私の方を向いてまたにこっと笑う。


「※※?」


 こちらには優しい。

 サッとクロッキーを取り出して、食事処を示す。そして、インターネットスポットも示す。


 案の定伝わらない。

 スマホを確認するけれど、こちらもノーシグナルだ。

 カウチサーフィンでマッチングした家は念の為スクショ取ってるけれど、ここがどこかの確認すらできないと、本当にどうしようもない。

 

 さて、どうしよう?


 ふと、視線を感じると美人のお姉さんが信じられない、といった風にこちらを見ていた。


「※※※※※※、※※?」

「※※※」

「※※!※※※※!※※、」

「※※※」


 勢いよく話しかけられているけれど、私にではなかったのか、素早く答えているのは金髪の彼だ。何か追いすがる彼女に、取り付く島もない答え方をしている。


 知り合いによる痴話喧嘩かな?


 巻き込まれるのは嫌だなと、そっと彼から距離を取ろうとすると、また手首を掴まれた。


「※※※※※!※※、※※※※」

「※※※…※※?」

「※※※※※。※※※※※、※※?」

「※※」

「…※※※※。※※」


 最終的に彼女は、はぁと大きなため息とともに首をクイッと来た道と反対側を指し示す。

 ついてきて、みたいな感じかな。

 しかし、彼に手を掴まれているからついていくべきかと思っていると、彼はニコッと笑ってくれた。

 ついていくようだ。

 周りを囲んでいた人たちは、最初の勢いを削がれた様子で、それでもにこやかに手を上げていた。同じように、手を上げておく。バイバイは、手を振らないのかもしれない。


「※※※※※、※※※。※※※※※、※※※※※※。※※?」

「※※※」

「…※※※※」

「※※※」


 傾斜のある、すこし砂利のある道。まばらに出てきた家々は、石造りでなんとも味がある。進んでいくと、並び立つ家が続いている道に入る。

 彼女は視線を向けてくれて、多分私に向かってなにか説明してくれている感じだけれど、彼がそっけなくあしらっている。そして、やはり何言ってるか聞き取りすらできないので、サラッと流す。


「※※。※※!」


 彼女に、なにかのお店らしきところに案内された。

 ドアをくぐると、いい匂いがする。多分、レストランとかだと思う。中に声をかけに行った彼女に、太めの男性が返していた。


 かと思うと、急いで出てきた大男が、金髪の彼に跪く。


「※※※!?」

「※※。※※※、※※」

「※※!?※※※!※※!」


 中に戻っていた彼女も、エプロンをつけてひょいっと顔を出して、「※※※※」と冷静に伝えるだけ伝えて、大男を引っ張っていった。


 取り残され気味の私は、クロッキーの食事処のページを彼に見せて、お辞儀しておく。多分伝わってないかもしれないけど、まぁいい。

 彼は一番近くの椅子に座らせてくれた。

 奥の方から、なにかいい匂いがする。食べられるものを作ってくれているのだと思う。

 窓の外では、この住宅街にそぐわない多めの人数がチラチラと彼のことを確認している。

 後からついてきたみたいに、誰もいなかった店内は人が埋まりだした。


 この彼は、本当に何者なんだろう? 


 じっと見つめてみると、彼は笑顔で手を差し出してきた。


 え、まさかの金銭欲求!?


 今までの親切はそういうこと?どうしようかとオロオロしていると、彼はんーと悩んだ素振りをして、先程飲まされた空瓶を出して目の前で降ってきた。

 空瓶。

 そこに蓋を開けて、なにかを注ぐような仕草をしてくる。

 注ぎ足し?


 お茶は何飲むかってこと?

 それとも、飲み物がほしい?


 きちんと理解はできないものの、鞄から3本のペットボトルを取り出す。空っぽのものが2本、水が入っているものが1本。

 彼は、空っぽのものを2本持って、多分厨房と思われる中に持って行ってくれた。

 新しく入れてくれるってことかな。


 また、クロッキー帳の水分を買いたいと書いた部分を広げておいて、戻ってきた彼に見せた。笑顔で両手に多分水が入っているペットボトルを渡してくれる。


 本当に、聞き取れないんだよね。だから、単語も真似できそうにないけど、こうやってクロッキー見せて意思疎通頑張らないとな。


 戻ってきた彼は、クロッキーを指さして、多分見せてほしいと言ってきたので、そっと差し出す。

 ペラペラとめくりながら、なにか考えているようだ。


 その間に、先程の彼女が両手にトレーを持って近づいてきた。


「※※※。※※※、※※?」


 なにか断りを入れたあと、眼の前にトレーが出された。薄めに切ってあるライ麦パンに、なにかのスプレッドっぽいもの、ホクホクそうなじゃがいも、半分に割ったゆで卵、焼いた魚。

 美味しそう。

 彼女に笑いかけて、会釈する。

 無言で食べだす彼に習って、ナイフとフォークで食べる。このスプレッドはレバーっぽい。塩味が濃いなぁ。魚がジューシーで美味しい。


「※※※?」


 インターネットスポットの絵を指して、彼がなにか言う。もしかして分かる?とスマホを取り出したら、首を振られた。これは、インターネット繋がらないよ、ということなのか?


 そのあと、歌を歌う私の絵を出してきた。


「※※?」


 なにか言ったあと、彼は先程の賛美歌をハミングする。

 伝わっているようで嬉しい。そうそう、それは歌うこと、と思いながら頷くと、もう一度絵を差し出してくる。


 歌えってこと?


 伝わったと気づいたのか、彼が席を立った。エスコートされて、戸惑いながら立つ。


 店の中の人たちは、ずっとこちらを気にしていたので、二人で立ち上がると視線が追いかけてくる。


 舞台なんてない、店の奥厨房との境目に立たされて、どうぞという風に一人にされた。彼は、すぐ近くの椅子を陣取ってる。


 どうしよう。

 ご飯は食べたけど、歌えないほど満腹にはなっていない。

 ずっと歩いていたから足は痛いけれど、体は温かい。

 もともと、路上ライブしようと思っての旅行だし、構わないなら少しだけ、と呼吸を整えて姿勢を伸ばす。


 息を吐いて、前を向いて。

 何にしようと考えるもなく、ドイツ語が出てくる。習っているときから、イタリア語よりもドイツ語の方が好きだったなぁと思いながら、歌う。

 日本の酒場で歌わせてもらったときも、路上ライブのときも、ガヤガヤと声がしていたものだけど。とても静かに聞いてくれていて、もしくは驚いていて黙っているのか、他の人の声が聞こえない。

 ああ、気持ち良区歌わせて貰っているなぁと感激する。

 室内の響きを考えて音量を調節して、細かい発音も丁寧に。

 なんて楽しいのだろう。


 歌い終わっても、なんの反応もないことに一拍気がつかなかった。


 はっとしてあたりを見回すと、皆が皆、ぽかんとした顔でこちらを見ていた。


「※※※※※※!!」


 一番に反応したのは、美人の彼女だった。

 興奮気味に前まで出てきて、何事か叫ぶように手をギュッと握られる。


「※※※」

「※※※※、※※※!※※※※※?」


 素早く近寄ってきた彼に、彼女の手を外される。


「※※※※!」

「※※※※」

「※※※。※※※※※、※※?※※※※!」


 なにやら口早に伝えてくる彼女、応戦する彼に戸惑いつつ、話がつくのを待っていると、諦めたみたいに彼がこちらを向いた。


「※※※※?」


 固唾をのんで見持っていたギャラリーのみなさんも、わっと歓声が上がる。

 頷いた彼女が手を取って、店の奥の扉を開けて、階段を登るように示してきた。促されるまま階段を登っていくと、2階は完全な居住スペースだった。

 中央に吹き抜けがあり、ぐるりと囲むように部屋がある。

 その一つは、シャワールームだった。区切られていて、トイレもある。

 そしてその隣を開いて、ニッコリと笑って首を傾けられた。

 そっと覗くと、窓際にクッションの多いベッドがある。


「※※※※※」


 これは、使っていいよということだと思う。


 慌ててクロッキーを開いて、ありがとうを見せる。

 そして、あとは掃除のイラストと、配膳のイラストを見せた。そこはやはり伝わらないのか、不思議な顔をされる。

 お手伝いするので泊めてください、が伝わっている気がしない。どうしようかと思っていたら、横から彼がまた歌うイラストを指す。


 歌えばいい?そんな、破格なことあるのだろうか。


 ニコニコしているところを見ると、お互いの理解がある程度通じているようだから、戸惑いながらも頭を下げる。


 こうして、ひとまず寝食を確保した私は、歌う場所までゲットして生活を始めた。

 



 尚、ここが異世界であったこと。

 常に近くにいる金髪の彼が守護精霊なる存在であったこと。

 本当なら言葉が通じるはずなのに、私の歌を気に入った彼がそのままの歌を聞きたくて、あえて通じないようにされていたこと。

 

 その他諸々を、同郷の美容師さんが通りかかって教えてくれるまで、私は何も知らないまま過ごすことになるとは、このときの私は、まだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ