謁見
明くる朝、王様に会う前にお風呂に入って服も着替えて欲しいと言われ、真奈美ちゃんと別々のお風呂場へ案内された。
案内してくれた人は昨日のナハルさんではなく、トーマ・インバハルさんという魔法使いの人だった。トーマさんはとても物腰柔らかい人のようで、ナハルさんと身長はほぼ変わらないもののにこやかな表情をしており、服装も甲冑ではなく法衣のようなものであるせいか威圧感が全くない。真奈美ちゃんが翻訳してくれたところによると、そんなトーマさんが僕の言葉も通じるように魔法をかけてくれるらしい。
脱衣所で服を脱ぎ、下半身にタオルを巻いて風呂場へ足を踏み入れた。風呂場はもうもうと湯気で覆われており、トーマさんの顔もあまり見えないほどだった。三十路になってお腹周りが気になる今日この頃。湯気であまり見えないことは好都合だ。
「よろしくお願いします」
トーマさんは、魔法をかけるための道具を背負っていた麻袋の中から取り出した。手には筆とインクの瓶が握られていた。これでなにをするのかと思っていると、トーマさんは筆を持っている手で自身の服の腰紐を解いて服の裾を足元からぺろりとめくった。露わになるトーマさんの下着と胴体。
温和そうな人の大胆な行動に驚いていると、トーマさんは筆で自身の胸板をトン、と指した。意外にも逞しい腹筋に目がいってしまっていたが、胸板へ視線を移すとそこには紋様が描かれていた。
トーマさんはたくし上げていた裾を下ろし、筆をくるくると動かす動作をし、続いて自身の体の前面と背面に手を動かした。今から僕に描くが、どこがいいか?ということだろう。
弛んだお腹を見られたくないのでくるりと後ろを向き、背中の肩甲骨の間を軽く叩いた。今度は肩に手が置かれ、上から軽く押されたので床に腰を下ろした。カチャリと瓶の蓋が開く音がし、ヒタリ、と背中に筆が触れてすぐに紋様が描かれ始めた。くすぐったいが我慢だ。
くすぐったくてぷるぷる体を震わせていると、背後から「ふふっ」と笑い声がした。いよいよ耐えきれなくなってきたところで終わり、ほっとひと息ついたところで今度はその部分に手を当てられた。大きな手のひらからじんわりとした熱が伝わってくる。心地よい温かさ。夜勤に体が慣れてしまっているせいか、朝だというのにまた眠りの世界へ旅立ちそうだ。床も暖房機でも仕込んであるのかと思うほど温かく、このまま寝転んでしまいたい欲に駆られる。
「大丈夫かい?」
「ひゃいっ」
いつの間にか終わっていたらしい。寝ぼけ眼でトーマさんに向き直った。
「ありがとうございました」
「ああよかった。ちゃんと魔法がかかっているみたい」
「はい。おかげさまで」
「魔法にかかってくれてなによりだよ。体質的にこういった魔法が効かない人もいるからね。君に描いたオース…さっき僕が見せたあの模様はね、魔法を受け入れやすくする出入り口みたいなものなんだ」
「へえ〜…」
「それがあっても魔法が効きにくい人は効きにくい。オースは怪我を治したりするために重要でね、特別な治療や魔法が必要になった時は、描かれたオース同士を重ね合わせて使ったりすることがあるよ」
「インクはまた描き直したりする必要があるんですか?」
「その必要はないよ。僕が魔法で定着させたから、皮膚ごと剥ぎ取らないと…ね」
皮膚ごと。怖いワードを聞いてしまった。
トーマさんは筆とインクを麻袋にしまって立ち上がった。
「じゃあ僕は外で待ってるね。石けんはそこにあるよ。陛下からは二人の準備ができ次第でいいって仰せつかってるから、ある程度ゆっくりしても心配ないよ」
「あ、いえ、また寝てしまいそうなので早めに出ます」
「昨日よく眠れなかった?」
「あー…眠れはしましたが、僕は元の世界では夜に働いて朝に寝ていたもので、今の時間は少々眠くて…」
「そうなんだ。じゃあ眠気覚ましの魔法かけてあげるね」
トーマさんはそう言うなり、僕の背後に回り込んでまた背中に手を当てた。体の内側から力がみなぎるような感覚がし、たちまち目が覚めてしまった。
「すごい。本当に目が覚めました」
「一時しのぎだけど、今から陛下に会うんだから起きててもらわないといけないからね。じゃあまた後で」
トーマさんは微笑みながらひらひらと手を振って風呂場から去っていった。
爽快な気分のまま体をサッと流し、湯船には浸からず脱衣所へ行った。大きな鏡があったので、背中を向けて鏡に映されたオースを見つめた。
オース、かあ。言葉が通じたし、本当に魔法なんだなぁ。
「…ん?」
これってつまりタトゥーみたいなものでは?元の世界に戻ったら、銭湯に行けなくない…?
「…あ!」
いや、僕よりも真奈美ちゃんだ。年頃の女の子がタトゥーは不味くないか?
急いで着替えて脱衣所から飛び出した。
「あのっ!トーマさん!!」
「ど、どうしたのそんな慌てて?」
「真奈美ちゃんはどこですか?!」
「聖女様なら反対側の浴じょ」
「反対側ですね!」
建物内は直線的な作りなので反対側にあるというなら真っ直ぐに行けばつけるだろうと、出発する電車に滑り込むがごとく猛ダッシュした。そこへ僕よりも手足の長いトーマさんが横に並んだ。
「どうしたんですか聖女様のお兄さん」
「真っ、真奈美ちゃんにっ、オースを描かせないようにっ、今っ、向かってますっ!」
「それなら心配しなくても大丈夫ですよ。聖女様はオースは必要ないですから」
「えっ」
トーマさんの言葉を聞いて徐々にスピードを緩めて止まった。息も絶え絶えになりながら質問をする。
「な、んで…真奈美ちゃんは、オースが、必要ないんですか…?」
「平たく言えば聖女様ですからね。元から必要ないぐらい、魔法の適性がある方ですから」
僕はまだ肩で息をしながらたずねた。
「オースは、この国のみんながみんな、描くものではないんですか?」
「聖女様などの元から適性が高い人は必要ないですが、適性が高い人でも大病を患って特殊な治療が必要な場合オースを使用する場合があります。オースというのは一長一短で、魔法の出入り口としての役割があるため、魔力を注がれるのとは逆に吸い取られることもあるのです。だから魔法の適性が元から高い人はオースを定着させたがらない。なのでオースは必要な人が進んで使用しているだけであって、国民全員が使用してるわけではないね」
「なるほど」
「ちなみに僕のような魔法部隊は騎士団とは違ってオースに関して心得があるし、傷病者の治療をする役目があるので使用している者が大半だよ」
「そうなんですね」
「ところで、なぜ聖女様はオースを描かれるとまずいの?」
「僕の国では、体に水では落ちない模様が描かれてると特定の店の出入りを禁止されたりだとか、ヤクザ…なんというか、粗暴な者と付き合いがある人種だと勘違いされてしまうことがあるんです」
「初めて聞く文化だな。なかなかに興味深い」
「どうしてそうなったのかは知らないのですが、かなり昔からそういう風潮があったみたいです」
「そうなんだ、残念。思い出したら教えてね。…まあ、とにかくそういうことなら聖女様にはなにも描かないようにって僕から言っておくよ」
「ありがとうございます。助かります」
焦った。二十歳の女の子が、なにも知らずにタトゥーを入れられてしまうかと思って焦ってしまった。タトゥーがあると現代の日本では生活しづらい。僕の心配は杞憂に終わった。よかった。取り越し苦労で。お風呂入ったそばから汗かいたけれども。
息を整え服の袖で汗を拭い、全く息の上がっていないトーマさんにアイーンをした。
そこへ全身純白な洋服に身を包んだ真奈美ちゃんがやってきた。袈裟がけのケープを羽織り、シルクのような艶のある布のハイウェストのワンピース。編み上げのブーツまで白い皮で作られており、まさに聖女といった出立ちだ。
「聡お兄ちゃん、似合ってるね」
僕の方は柄のない、腰の紐で締めただけの茶色い上着と、白いぴちぴちのズボンに茶色いショートブーツという地味な服装だ。似合ってるといえば似合ってるのかもしれない。
「そう?ありがと。真奈美ちゃんも似合ってるよ」
「っていうか聡お兄ちゃん、髪の毛濡れたまんまだね。ぼさぼさだし」
「え?ああ…」
慌てていたので適当に拭いてくしも入れず来てしまった。手ですいて誤魔化そうとしていると、見かねたトーマさんが僕の頭の上に両手を当てた。
「このまま謁見はまずいので乾かしますよ」
「ぅありがとうございます」
トーマさんの手が頭部に触れたかと思うと、柔らかい風が吹いて髪の毛をざわざわと通り抜けた。
「はい。終わりましたよ」
「ありがとうございます」