五話 相変わらず春人は鈍く、貞子は照れて悶える
「はあああ!? 例のあの女と一緒に住む事になったああああ!?」
大学──その屋内テラスにて。
少し遅めの朝食──ちなみにサンドイッチ──を取っていた貴樹は、春人から聞かされた驚天動地な話に、思わずベンチから立ち上がって大喝した。
「な、何考えてんだよお前は! いくらなんでも犯罪者と一緒に住むとかどうかしてんぞ! 人が良過ぎるにもほどがある!」
「犯罪者って……。そりゃ部屋の中に無断で上がっていたのは事実だけど、それだってちゃんと理由があったわけだし」
「大切な人の帰りを待ってるってやつだろ? だからって人の部屋に浸入していい理由にはならんだろ……」
心底呆れた口調でそう言って、脱力感いっぱいでベンチに座りなおす貴樹。昔から度の過ぎるお人好しだとは思っていたが、まさか犯罪者と同居まで始めるとは……。
「はあ〜。一体どうしたらそんな話になるんだよ。お前とは長い付き合いだけどさ、今日ほど理解に苦しんだ事はねぇよ……」
「なんかごめん。心配させちゃたみたいで……」
「まあいいけどさ。お前が望んだ事で、それで無事に済んでるなら」
伊達に春人と小学生から友人をやっていない。さすがによく知らない女と同居なんてどうかと思うが、止めたところで決意を変えるような奴でもない。
それだけ、春人のお人好しは度が過ぎているのだ。
だからこそ、親友として言わなければならない事がある。
「けど、くれぐれも気を付けろよ? 春人がその女を信用してるのはわかったけど、俺はまだ信用したわけじゃないんだからな。いつ女が豹変するとも知れないんだから、怪我だけは絶対にするなよ。でないとお前の周りにいる奴を悲しませる事になるんだからな?」
「うん。わかったよ。貴樹を悲しませるような事しないって約束する」
「いや、俺もそうだけどさ……まあいいか」
なんだか気恥ずかしくなって、貴樹はサンドイッチと共に言葉を呑み込んだ。本当にこいつは歯の浮くようなセリフを平然と吐きやがる。
そうして、互いに無言になる二人。だが嫌な時間ではない。春人とはよくある事だし、何より気の置けない友人として信頼されているようで安堵を覚える。
女性との付き合いは多いが、その分同性からやっかみを受けやすい貴樹にとって、春人は数少ない男友達の中でも最も信頼に値する人物だった。
出会った頃から能天気で裏表もない春人だけが、唯一貴樹に安らぎを与えてくれる大切な友人だから──。
だから春人には、友人として心の底から幸せになってほしいと思うのだ。色々と苦労の多い分、余計に。
「なのになんでこんなおかしな話になるのかねえ。本人は全然危機感がないみたいだし」
「ん? 何か言った?」
なんでもないと返事をして、貴樹はサンドイッチを食む。
ま、ひとまずは様子見といったところか。危機感がないのはいつもの事だし。むしろボケボケしていない春人の方がなんか怖い。
「──あ。貴樹、それに春人くん!」
と。
春人と話している内に、横からミディアムヘアーの女子がこちらに近寄りながら話しかけてきた。
「おお、穂奈美か。どうしたんだ? こんなところで」
「ちょっと友達のところにね。借りていた物があったから、今から返しに行くのよ」
貴樹の質問に、穂奈美と呼ばれた女子はカールがかった後ろ髪の毛先を指で遊びながら応えた。
高槻穂奈美──貴樹の高校時代にサッカー部でマネージャーとしてお世話になった経緯があり、こうして同じ大学に入ってからも親交のある同い年の女の子だ。
もっとも、同じ大学に入ってきたのは決して偶然などではなく──
「は、春人くん達はこんなところで何をしているの?」
「貴樹は朝飯中。オレはたまたまここを通りがかって、それで貴樹を見つけたから、こうして話していたんだよ」
モジモジしながら訊ねる穂奈美に、春人は至って気にした様子もなく、いつも通りのほほんと答える。見るからにわかりやすい反応をしているのに、春人は相変わらず何も気付いていないようだ。
実は穂奈美と春人も貴樹経由で高校時代からの顔見知りであり、特に穂奈美は春人に片思い中だったりする。穂奈美がこの大学に入ってきたのも、すべては春人の近くにいたいがためなのだが、それでも未だにこうして進展のない様を間近に見せられると、かなりじれったいものがあった。
見た目は今時の女子大生といった感じで、特にケバくも地味でもないが、いまひとつ個性味に欠ける。それでも容姿は整っている方なので、合コンにいたら狙われやすそうな子であった。まあ本人は今まで一度も合コンに参加した事はないらしいが。
「そうなんだー。じゃあウチも含めて偶然会った事になるね」
「そうだね。偶然だね〜」
「あ、ところで春人くん、最近引っ越したばかりなのよね? もう一人暮らしには慣れた?」
「うん。おかげさまで。元々一人で留守番して家事をする機会も多かったし、そんなに大変だったわけでもないけど」
「そ、そうなんだー。へえー。もう平気なんだあ〜」
何かを期待するようにチラチラと春人の顔色を窺う穂奈美。これは、あれか。春人の家に招待してほしいという、遠回しのサインか。
しかしそこは安定の春人。そんな穂奈美のサインにまったく気付かず──
「おっと。オレ、もうそろそろ次の講義に行かないと。じゃあね貴樹。それと穂奈美さんも」
「おう。またなー」
「あ、うん。行ってらっしゃい……」
リュックを持って足早にベンチから離れた春人に、貴樹は軽く手を振って、一方の穂奈美は引きつった笑みを浮かべながら別れを告げた。
そうして、だんだんと小さくなっていく春人の背中を見送りながら──
「はあ……。また少ししか話せなかった……」
「お前も進歩がないなあ」
わかりやすく肩を落とす穂奈美に、貴樹は苦笑を浮かべながら声を掛ける。
そんな容赦ない言葉を掛ける貴樹に、穂奈美はキッと視線を尖らせて、
「うるさいわねえ。取っ替え引っ替えで女の子と遊び倒しているあんたに、純情乙女な女の子の気持ちなんてわかるわけがないわよ」
「ひでえなあ。これでも密かにお前の恋を応援してるのに」
「だったら、もっとウチに協力しなさいよ。ウチと春人くんと二人きりでデートに行けるアイデアを出すとか」
「応援はするが、自分以外の恋愛は静かに見守るのが趣味なんで」
「使えない趣味ね」
ズバっと言い切る穂奈美。何故そのストレートな感情表現を春人相手にはできないのか。ほとほと謎である。
まあ貴樹とはサッカー部からの気安い間柄ではあるが、その点春人とはそこまで積極的に絡んだ事がないので、きっとそのせいもあるのだろう。本当に難儀な奴だ。
この分だと、穂奈美が春人に告白するのも、一体いつになる事やら。
「ま、その前に撃沈する可能性も高いけどな」
「なに? なにか言った?」
「ただの独り言だっつーの」
そう言葉を返して、貴樹はサンドイッチの包みをコンビニの袋に押し込んだ。
まだ穂奈美には、春人の部屋に女性の同居人がいる事は言わない方がいいだろう。もしかしたら発狂するかもしれないし。
何はともあれ。
みんながなるべく笑顔になれる結末になりますようにと、貴樹は晴天の空に向かって密かに願った。
◇◆◇
《本日も朝から快晴で、気温も昼をピークにぐっと上昇する見込みです。細めな水分補給を心がけて──》
『今日も良い天気ですねえ』
一方、その頃。
窓から差し込む煌びやかな陽光に、目を細めながら、貞子はラジオから流れる天気予報を耳に入れつつ、ぼんやりと呟いた。
時刻は十時過ぎ。通勤や通学で慌ただしかった朝も静けさを取り戻し、貞子は部屋の中でコップに入った水道水を飲んだりしながら、気ままに過ごしていた。
霊体なので本来は喉なんて渇く事はないのだが、それでもたまに飲食したい衝動に駆られる事がある。今までは入居者がなかなか来ず──貞子のせいではあるのだが──電気も水道も止められている事が多かったため、我慢するしかなかったのだが、春人から同居するにあたって、部屋にある物は自由に使っていいと言われたため、こうして飲食を解禁したのである(ついでに小型ラジオも聴きながら)。
しかし、ただの水がこんなにも美味しく感じる日が来ようとは。これも春人のおかげではあるのだが、結果的には貞子の思惑から外れた道に行ってしまったわけで。
それもあろう事か、春人と同居する事になってしまうなんて。
『ぴゃああああ〜っ』
恥ずかしさのあまり、顔を覆ってテーブルに突っ伏す貞子。頭が茹で上がって熱暴走を起こしそうだ。
『う〜。次にあの人と顔を合わせた時、どんな顔をしたらいいのかわからない〜っ』
これもそれもすべて春人のせいだ。春人があの爽やか素敵スマイルで「一緒に住みましょう!」なんて言うから、本来の目的を果たせ難くなってしまった。
しかも、向こうは完全に善意だし。
『どうしてこんな事になってしまったんでしょうか……』
いつの間かすっかり春人のペースに乗せられてしまっているこの状態に、貞子は昨日のやり取りを反芻し始めた。
明日も朝の時間帯に投稿する予定です。