森で生きるには技が要る
"禁足地"。それは大陸の南に位置する、人の立ち入らない広大な森林地帯。その森は膨大な魔力に満ち、この大陸が海の底にあった時代から存在していたという。あらゆる生物の原種が暮らしていると言われるその森の奥には、"生命の泉"と呼ばれる命の根源となる泉があると噂され、それは死んだ生命ですらも蘇生させると言われていた。大陸に住まう人々にとって、それは侵してはならない聖域にして、あの世とこの世を繋ぐ魔性の森だった。
そんな、いつもは深く静かなその土地ではあるが、ここ数年は少し様子が違っている。折れた枝を跳ね上げ駆ける魔物と、それを追う二人の男女。互いに声を出し合い、手負いの獲物を追いかける。
「コノメ! そっちに向かったぞ!」
「わかってる! ガオオオオ!!」
コノメは大声を出して威嚇し、その魔物・コッパーを追い立てる。大声に驚いたコッパーは方向を変え、短い手足をバタバタと動かしながら、背中に背負った太い枝や枯れ木を弾いて逃げ惑う。ネルガンシュシュブとコノメは互いに指示を出し合い、大声を上げて逃走ルートを絞り込んで行く。そして──!
「やった!」
バサバサバサ!
けたたましい音が辺りに響き、コッパーは地面に掘られた穴へと落ちていった。そして、その光景を目にしたコノメ小さく感嘆の声を上げる。
「うまく行ったか」
「うん、師匠のおかげだよ」
遅れてネルガンシュシュブが合流し、コッパーの落ちた穴を見下ろしながら声をかける。コノメも同じように穴を覗きながらネルガンシュシュブに返事をする。そして、お互いに魔物から目は離さずに手を軽く打ち合わせて喜びを示す。
「ああ、あまり近付くなコノメ。コッパーは背中に木や石を背負って潜む擬態に特化した魔物だが、追い詰められればその諸々を魔力で吹き飛ばしてくる。脚も遅く気性の大人しい魔物だが、追い詰められた野生の魔物を侮ってはいかんぞ」
「分かってる、だから落とし穴を選んだんじゃないか。吹き飛ばしを受けても被害が出ないようにさ。このまま弓で仕留めてしまおう」
コノメは手に持った双樹の弓に矢をつがえると、下に向けて強く引き絞る。そして、手を離したと同時に甲高い悲鳴がピィィと響き、辺りはしんと静かになった。
ネルガンシュシュブが穴に向けて手をかざすと、シュルシュルとツタが伸び始める。コノメはそれを伝って穴の底に降りると、コッパーの心臓をナイフで一突きし、そしてコッパーと自分にロープを結んでネルガンシュシュブに合図を送る。すると、合図に応じて今度はツタがシュルシュルと巻き戻っていく。
「お帰り。……うん、立派になったものだなぁコノメ。初めて会った頃とは見違えるようだ」
地上に戻り、ツタを切って慣れた手付きで解体を始めたコノメを見つめ、ネルガンシュシュブは呟いた。コノメは汗を拭いながら、ネルガンシュシュブを見上げて苦笑しながら返事する。
「やだな師匠、あれからもう何年経ったと思うのさ」
そしてコノメはすっくと立ち上がり、ネルガンシュシュブの元へと駆けていく。今やコノメの身長はネルガンシュシュブを僅かに超える程だった。季節は夏。コノメが異世界転生して4と半周の季節が巡り、彼はもうまもなく15歳の誕生日を迎えようとしていた。
「師匠は今年はどんなお祝いをしてくれるかな?」
コノメはニヤニヤしながらネルガンシュシュブを見つめる。ネルガンシュシュブは呆れた顔をしながらも、ふいにクククと笑みをこぼすと口元を抑え、ついに大声を出して笑いだした。そんな彼女に釣られてコノメも一緒に笑い出す。
「15歳の誕生日というのは特別じゃ。儂の故郷では15の男子は成人として大人の扱いを許された。……お前ももう大人になる、独り立ち出来る年齢じゃ。何か特別なものを用意しなくてはならぬな」
「やった! 楽しみだな!」
コノメはパチンと指を打ち、コッパーに居直って解体に戻る。背中の殻を外し、ひっくり返して腹を割って内蔵を取り出す。そして足を取り外し、背骨を基準に肉をゾリゾリと削っていく。そして二人で肉を担いで泉に戻り、なれた手付きで火を起こしていく。
「それにしても、変わったコッパーだったね。冬でも無いのに枯れ木なんか背負って。どこで拾ってきたんだろ」
「確かにそうさな。だがお陰でよく目立った」
作業をしながらその日の狩りを振り返る二人。およそ5年の歳月はコノメを狩人へと変え、二人の師弟は家族よりも固い信頼で結ばれているようだった。
「さぁ、ご飯にしようか!」
食卓を囲み、他愛のない事で笑い合う二人。5年間続けてきた、なんて事の無い団欒。幸せな時間。
きっとこんな日が何時までも続くのだろうと、少なくともこの時、コノメは信じて疑わなかった。
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大陸の中心からほんの少し下、渦を巻くようにして反り立つ岩山の山頂にその国にあった。国の名前は"ニーレンマーリ"。それはこの大陸において最も強く根を張る、"トルニカ正教"の総本山でもあった。
「森が……立ち枯れています」
ただっ広い広間の最奥。豪奢な台座に座る神秘的な少女が、一文字に閉じたその目にキュッと力を込めて呟いた。流れるような白い髪は肩まで伸びており、額に宝珠のティアラを纏った少女の名前は"天元"・イヅク。大陸中を見通すかのような神の目を持つ、宗教国家ニーレンマーリの教義的シンボルにして、教皇の一人娘。宗教国家ニーレンマーリの姫であった。
「"森喰み"が食べ物を探して彷徨っている。ここ数ヶ月の干害の為か……。林を荒らし、森を荒らし、少しずつ南へ、……"禁足地"へと近づいています」
イヅクの頬に一筋の汗が落ちる。"禁足地"。それはトルニカ正教おける聖地であり、人の立ち入る事の出来ない生命の根源の土地とされていた。
「森喰みは強力な"魔獣"です。魔力に満ちた植物を好んで捕食し、その魔素を身に宿す魔獣……。その鼻は魔力の残り香を嗅ぎ分け、その牙は大木をも噛み砕き枯れ枝へと変えていく……。これは危機です。私達、大陸に住まう者達の共通の危機。……私達は禁足地に入ることは叶いません。討伐隊を差し向けこそしましたが、万が一逃した時、禁足地に住まう魔物達に果たしてかの魔獣を駆逐する事が叶うでしょうか……」
イヅクは両手を胸元で交差させて祈りを捧げる。聖地を憂い、森に住まう魔物達を憂い、深く深く祈り続ける。その祈りは風に乗り、魔力の奔流となって空を駆け回る。
「祈りましょう。せめて、勇ある者が誇りを失わずに済むように……」
その思いがきっと誰かに届くことを願って、深く深く、彼女は祈り続けていた。
〜コノメメモ〜
通称:コッパー
種名:セオイタテ
科名:セオイタテ
セオイタテ科の基本種。コッパーとは、トルニカ語で破片を意味する。背中の盾に小石や枯れ木を吸着させ、地面に潜って擬態を行う。盾の下に大きな魔力核を持ち、魔力解放[1]を行う事で背中に背負った諸々を吹き飛ばして攻撃する。魔法こそ使えないものの、その威力はショットガンに等しく大変危険。周囲の環境に同化するため、夏場は小石や草、冬場は枯れ木や落ち葉を背負う傾向がある。
味はとにかく淡白。その割に脂肪が多く肉は非常に柔らかい。しかし、脂肪の旨味も極端に薄く食味はイマイチ。炒め物がオススメ。
[1]生物が溜め込んだ魔力を解き放ち、魔力波として放つこと。




