美味しくご飯を食べましょう
『それでは、改めましていただきます!』
森の奥、2つの声がこだまする。二度目の調理を終えたコノメとネルガンシュシュブが、これまた二度目のいただきますを告げて食事を始た所だった。二人の皿には火を通した肉団子が、数は違えどそれぞれいくつか盛り付けられている。
コノメは僅かに緊張した様子で箸を取り、肉団子へと手を伸ばす。そして一つをつまみ、今度は躊躇わずに一息で口に放り込んだ。
「……美味しい!」
「うむうむ」
口に含むやいなや、感動して目を見開くコノメ。そうだろうとばかりに深く頷き、ネルガンシュシュブは得意げな顔でほくそ笑んだ。
「すごいなぁ、なんだろう。淡白なんだけど肉汁がすごくて、すっごい甘い味がするよ! なのに全然しつこくないしあっさり食べられる!」
「フルールの肉は癖がない。短い距離を良く駆ける魔獣だけに、引き締まった肉の旨味がよく詰まっている。歯ごたえは強く、しかし繊維がほぐれやすくて口当たりも良い。風魔法に適正のある魔力溜まりが爽やかな薫りの一助にもなっておる。警戒心が強く中々取れる魔物ではないが、狙って取る価値のある魔物ではあるな」
「生の匂いは獣臭! って感じだったけど、火を通したら結構いい香りしてるなぁ。これはシシカブの木の香りかな? 魔力の薫りっていうのは分からないけど、結構クセになる感じ」
二人は食事をしながら、口々に料理の感想を話し合う。コノメは焼いた肉団子をパクパクと食べ、レバーも恐る恐る口にする。ネルガンシュシュブもまた生肉を啜るようにして食べつつ、露骨に避けていた火を通した肉団子を遂に訝しみながらも口にした。その瞬間──。
『……美味しい!!』
二人の声が、重なり合って森へと響く。
「すごい! 生のお肉は初めて食べたけど、こんなに柔らかくてツルってしてるんだね! 血の生臭さがキツそうだなって思ってたけど、ちゃんと処理したからか全然くさくない! いくらでも食べられそうだ」
「焼いた肉なぞ食物への冒涜かと思うておったが中々どうして! 熱は優しく幹を暖め、まるで夏の日差しが如くじゃ! 栄養価は少し流出しているようだが、代わりに吹き出した香りが気孔をくすぐる! これは楽しい!」
二人は初めて食べる食事の感触に簡単の声を漏らした。お互いにとって、これまで当たり前にしていた食事法は全く考えもしない食べ方だった。そして、二人はまるで示し合わせたかのように手元の葉皿を同時に取って、互いに向かって突き出しながらこう言った。
『おかわり!』
森の奥、二人の食事はまだ続く。満足行くまでフルールの肉を捌いて盛って、狩りの後のお楽しみタイムを満喫していた。
「ねぇ、師匠はいつからこの森に住んでるの?」
食べながら、コノメはこれまで抱えていた疑問を口にする。
「んー、もうどれくらいになるか……。百年は経った気がするな。昔は耐えがたいと思ったこの森も今や第二の故郷のようじゃ」
「あれ、いま師匠いくつだっけ? 確かもう300年は超えてるって言ってたから、て事はお引っ越ししたんだね。なんでこっちの森に移り住むことにしたわけ?」
「正確には三百と二十ニ、お主の所と同じ暦かは知らぬがな。儂は元々最北の森と繋がりを持ったアルラウネじゃったが……、その、森が、とあるドラゴンに焼かれてな、命からがら逃げて来たのだ。……そうか、もう百年も前になるのか……。コノメこそ、どうやってこっちの世界に来る事になった? 異世界転移……、信じはするが、こう目の前にあっても未だに理解ができん」
──森をドラゴンに焼かれた。ネルガンシュシュブがポツリと呟くように放ったその言葉に、コノメは驚き僅かに口を開く。しかし、彼女がすぐに話題をそらしたのを察し、思い直して口を紡いだ。髪をクルクルと弄りついでに目線もそらしながら、ネルガンシュシュブがそらした話題に返事した。
「……分かんないよ。木の中で倒れ込んだのが覚えてる最後の記憶だもの。それから泥水がじんわり上がってきて……、身体がすっぽり沈んじゃったかと思ったら、ふっと身体が浮き上がって気が付いたらここに居たんだ」
「神隠しのようなものか……。噂程度にある話ではあるが、実物を見るのは初めてじゃ」
「神隠し! 聞いたことあるよ。おれの世界でもたまにそういう噂が出るんだ。行方不明になって見つからなくて、みたいなさ。自分がまさか同じ目に合うとは思っても無かったけれど……」
「ほう、なら前例はいくつもあるのかも知れんな。……ああいや、そうか、そうじゃな。本当に、きっと沢山あった事なのだろうな」
会話の途中、ネルガンシュシュブがふいに何かを察し、歯切れを悪くさせて押し黙る。
「……どうしたのさ師匠。急に黙っちゃって」
そんなネルガンシュシュブにコノメは不思議そうな視線を送る。ネルガンシュシュブはちらとコノメを伺って、バツが悪そうに口を開いた。
「……いや、恐らくだが、きっとそ奴らはとうに死んだのだろうと思ってな……。この世界にある物は皆、ケダモノから路傍の石においてすら、全てが魔力を持っている。しかしコノメ、お主達にはそれがない。お主はこの世界で最も弱い存在なのだ。誰かの庇護がなくてはとても生きていられないような──」
ネルガンシュシュブはそこまで語ると、不意に口を開いたまま喋るのをやめた。伏し目がちに語ったバツの悪いその話を、何故かコノメは満面の笑顔でニコニコしながら聞いていた。
「……何がそんなにおかしいのじゃ?」
ネルガンシュシュブはそんな彼に疑問を抱き問いかける。するとコノメは更にもう一度くすりと笑い、そしてゆっくりと口を開いた。
「いや、それならおれは幸せものだと思ったんだ。師匠に会えて良かったよ」
「……呆れた。前向きな男じゃなお主は」
ネルガンシュシュブはやれやれと肩をすくめて嘆息を漏らす。しかし、その表情はどことなく明るく、嬉しそうに見えた。
「師匠こそ、どうしておれを助けてくれたんだ? こんな弱っちい、死にかけだったおれなのに」
今度はコノメが疑問を呈する。ネルガンシュシュブは「ふむ」と一言呟いて顎に手を置くと、明後日の方向を見つめながら何事かを考え始めた。
「そうじゃな……。初めは恐らく、単なる気まぐれだったかもしれん。しかし儂も随分長く生きた、もう永くもないだろう。だが、儂には残せるものが何もない……。故郷の森を離れこの森に移り住み、次代も成せずに只々経ち枯れるのを待つだけの日々……。つまらぬ人生じゃ。だからかも知れんが、そんな日々に現れたお前は、その、なんじゃ。……今や儂にとって、まぁ生き甲斐のようなものかも知れんな」
ネルガンシュシュブはそこまで口にすると、「さぁ飯じゃ飯じゃ!」と叫んで肉をかき込み、水の桶を掴んでガブガブと飲み始めた。それを眺めるコノメもまた、照れて頬をポリポリと掻きながら、習ってご飯をかっ込み始める。
森に生きるいびつな二人の師弟の暮らし。待ち受ける苦しくも楽しい生活に、二人は胸を躍らせている。