生きていくには知恵がいる
まずは戴いた命に一礼。次に場を整え、衣装を整え、両手を清めたら箸を手にして、お皿へと居直る。本日のメニューはフルールの肉団子とレバーのスライス、そして付け合せの山菜(ネルガンシュシュブ産)。産地直送、血も滴る程フレッシュなメニューだ。コノメは恐る恐る手を伸ばし、まずは肉団子をひとつまみ。そしてそれを鼻の前まで運んできて、その芳しい香りを堪能する。鼻孔を野趣あふれるパワフルな香りが駆け抜けて行き、コノメの食欲を良くも悪くも刺激する。次にティスティング。震える舌を肉団子に這わせ、軽く一舐め。鉄の味と、仄かな塩味が口の中を支配する。
コノメはふふっと小さく笑い、箸を置き、そして──
「いいからはよ食え」
──いよいよしびれを切らしたネルガンシュシュブに怒られたのだった。
「いや、師匠。ちょっと待って欲しいんだ」
食卓を囲んで向き合いながら、コノメは抗議の声を上げる。ネルガンシュシュブは肩肘ついて、やれやれといった顔でそれを眺める。
「……なんじゃ」
「違うんだよ、覚悟がいるんだ。これまで"安全"て書かれたものばかり食べてきたから、こう、自然のものを食べるのに慣れてなくて……。良く叩いたとはいえ肉は生だし、鮮度はすごいけど生レバーは危ないって聞くし……。ああせめて、火を通せたなら違うんだけど──」
「火ィ!?」
その一言にネルガンシュシュブは大きく仰け反り慌てだす。その光景に今度はコノメが驚いて、次の言葉を見失う。慌てふためくコノメを前に、いち早く落ち着きを取り戻したネルガンシュシュブは横目でコノメを睨めつけながら「あぁイヤだイヤだ」と語りだす。
「火なんてあんな悍ましいもの、よく口に出せたものじゃな! 火は木を焼く。火を操る者はすべからく森を壊す。邪悪な火竜ともなれば、生きとし生けるすべての者共の共通の敵、悪の象徴じゃぞ!」
そんなネルガンシュシュブに圧倒されながらも、ハッと我を取り戻したコノメもまた、頬をポリポリとかきながらネルガンシュシュブに返事をする。
「……ああごめん、植物の人からみたらそうなるのかな? でも火は便利なんだよ。お肉に火を通したら、安全でしかもとっても美味しく食べられるんだ」
「……フンッ、お主も所詮人間じゃな。しかし残念じゃなぁコノメ。魔力を持たぬお主に火は操れん。簡単な着火魔法ですらお主は扱えんじゃろう」
その言葉に、ふとコノメは違和感を抱く。
「……えっ? 別に火なんて起こせばいいんじゃ……」
「だから、その為には魔力がいるじゃろ」
しかし、そんな疑問をピシャリと断ち切るネルガンシュシュブ。そんな彼女にコノメは少し困惑した後、その言葉を反芻させる。彼女が語る限り、少なくともこの世界にも火はある。しかし、あくまで魔法でないと火は発生しないという。
「……まさかとは思うけど、この世界の人達は魔法以外で火を起こせないの?」
「……火は魔術現象じゃろう? それ以外でどう起こるというのだ」
その言葉に、口をポカーンと開かせて固まるコノメ。瞬間、彼の脳内に様々な思考が乱舞する。
(どういうこと? ここでは温度が高くなっても火が出ないの? ……いや、違う! きっと、誰もそれを見つけられなかったんだ。魔法が当たり前にある世界だから……!)
コノメは思考をまとめると椅子からすっと立ち上がり、枯れ草をかき集めて一箇所に集める。そしてキョロキョロと周囲を見回し、真っ直ぐに伸びた木の枝を拾ってくるとナイフでそれを研ぎ始めた。
「……なんじゃ急に。食事中にマナーが悪いぞ」
「ごめんよ師匠。でも、思い付きだけど調理の続きがしたいんだ。ええと、確かキリモミ式……、いや弓があればもう少し便利なのが作れたはす……、確か、ユミギリ式……?」
ブツブツと呟きながら双樹の弓を手にして弦を張り、尖った木の枝に巻き付けていくコノメ。そしてそれを怪訝な顔で見つめるネルガンシュシュブ。枯れ草を集め、くぼみの開いた木の板を用意し、その上で弓を左右に動かし弦の力で木をクルクルと回していくコノメ。何分かして、その行動に遂に疑問が抑えきれなくなったネルガンシュシュブは立ち上がり、彼の周りをぐるぐると周りながら問いかけた。
「のうコノメ、それは一体何をしておるんじゃ?」
「火を起こそうとしてるんだよ」
「火ィ!!?」
その言葉を聞いた瞬間、ネルガンシュシュブはぴゅーんと飛ぶように遠くへ離れ、木の後ろに逃げ込んだ。そして半身を出してコノメに怪訝な視線を向けると、声を張り上げクレームをつける。
「バカもの! 危ない遊びをしおってからに! 大体、さきも言ったが火など魔力を介さずつくものではないぞ! いいから早く観念して椅子につくのじゃ──……?」
やいやいと文句を言う最中、ふいに周囲に焦げ臭い香りが満ち、ネルガンシュシュブは言葉を失う。そしてコノメの手元から白い煙がもくもくと立ち上がっていく。真剣な顔で手元を動かしていたコノメは煙を見るや笑顔になって弓から手を離し、今度は火種を取り出して枯れ草に重ねて必死に息を吹きかける。フーフーという音の中に次第にパチパチという音が混ざりだし、そして遂には煙の中から赤い炎が立ち昇った。
「やった! できた!」
「おおお……!?」
生命の泉に感嘆の声と驚嘆の声が溶けていく。火は枯れ草を巻き込んでパチパチという音を盛んに立てつつ、辺りに熱を伝えていく。木に囲まれて影を落とした空間に強く光が広がっていった。生命の泉もまたその光を何重にも反射し、キラキラと、美しい七色に輝いていた。
そんな光景に圧倒されながら、ネルガンシュシュブは驚嘆そのものといった声音で声を上げる。
「……驚いた……!! ……コノメ、お主は"トルニカ"では周知されていない、色んなことを知っておるのじゃな」
「うん、確かにおれは引きこもりだったけど、ずっとずっと外の世界には興味があったから沢山の本を読んだんだ。サバイバル読本はその中でも特にお気に入りだったよ」
コノメは火を眺めながらポツリとそう呟いた。コノメの背負っていたリュック。フルールを詰めるために取り出され、食卓の近くに積まれた本達。何度も読み返されたであろうそのボロボロの本の一つには、かろうじて読める程度に掠れてはいたが確かに"サバイバル読本"と装丁されていた。
「あの時、この本返して貰えてよかったよ」
火をうっとりと見つめる、そんなコノメをネルガンシュシュブは優しい瞳で見つめていた。コノメもふっと顔を上げ、ネルガンシュシュブに柔らかな笑顔を向ける。
「……ねぇ。大丈夫だから早くこっち来なよ」
そして、呆れた声で遠く離れたネルガンシュシュブに声をかけたのだった。