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アルラウネに学ぶ異世界の森の歩き方  作者: 片道切符
コノメと森の育み ─森喰み編─
11/12

森喰みを狩る─二日目

 禁足地に夜が訪れている。

 日はとうに陰り、僅かな月明かりすらも遮られた深い森。周囲に広がる暗闇の中、森喰みから少し離れた木に体を預けてコノメは座り込んでいた。毛皮のマントに身を包み、なるべく周囲に気を張りながら、軽く目を閉じて体を休める。

 森喰みのストーキングを始めて最初の夜。コノメは僅かに焦りを感じ始めていた。

(習性はある程度分かった。けれどまだ狩るための手段がまるで思い付かない……。最初に森の異変を感じたのが2日前、今日確認した糞の残留物が森の外のものだった事からして、やはり捕食から排便までは早くとも3日。つまりタイムリミットは少なくとも後1日半はある筈……うん、大丈夫だ。焦るな……)

 コノメは必死で自分を鼓舞して落ち着かせる。しかし、暗闇は何処までも彼の不安を増長させた。時折響く魔獣の息吹や虫の羽音が彼の心を蝕み、夜の森に吹く冷たい風は体温を無情に奪う。そして、震える体が彼の心に恐怖を思い出させている。

 コノメはブンブンと頭を振って、リュックから食料袋を取り出した。そして干した肉を口に咥え、グイーと引っ張ってそのまま噛み千切った。火は使わず、ただ腹を満たすだけの食事に努める。

(少しでも食べないと! 体温を維持するには食べなきゃだめだ!)

 目を閉じて木に体を預けながら、必死に肉を飲み下す。しかし、瞼の内側に色んな恐怖が像となって浮かび上がり、コノメを不安に陥れていく。コノメにとって、それは5年ぶりの一人っきりの夜。それまで彼を支えてくれていたネルガンシュシュブは既に無く、その事が彼を余計に不安にさせる。

 いよいよ彼には、身体の震えが寒さによるものなのか、恐怖によるものなのか分からなくなっていた。

(……期限までにアイツを倒せたとして、師匠は本当に助かるのかな……。おれは都合のいい夢を見てるだけじゃないのかな……。だって、見た筈じゃないか、師匠が噛み砕かれて木片に変わっていくところをさ……)

 不安は人を臆病にさせる。彼を奮わせていたあらゆる思考も、現実の魔獣を前に、夜の心細さを前に、少しずつ彼の心を蝕んでいた。

 彼は恐怖から逃げるようにして目を開いた。すると、真っ暗闇だとばかり思っていた森が、月明かりでぼんやり優しく光っていることに気が付く。

(明るいな……。都会の明かりとは違うけど、とても明るい……)

 彼は再び木に体重の全てを預け、思いっきり身体を投げ出した。周囲に怯えるのをやめ、深く目を閉じて深呼吸をする。そして、彼はそのまま深い眠りについた。

 禁足地に生きて5年。森の中から恵みを頂き生きてきたコノメは、とうに森の一員になっていた。森は彼を優しく包み、虫のさざめきさえもまるで子守唄かのように、彼の耳に優しく響いていた。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 二日目の朝。昨晩の冷え込みからか、森には深い霧がかかっていた。深い眠りからようやく目を覚ましたコノメは周囲の変化に僅かに戸惑うが、すぐに気を取り直し地面に耳をあて、森喰みとの正確な位置を探る。

(──いや、これは……近い!?)

 コノメは戦慄する。コノメより僅かに早く目を覚ました森喰みが、なんの気まぐれかコノメに向かって真っ直ぐに歩いて来てきたのだ。ほんの樹一本を挟んだ向こうに立っている。

 コノメは死を覚悟した。自分でも驚くほど疲れていたのだろう昨晩の緩みがもたらしたのか、寝起きでの予想外の接近に思考が完全に停止していた。

 森喰みは頭を軽く下げると、しゃくり上げるようにして目の前の樹に鼻を突き刺し樹皮を抉る。そして、そのまま樹の内側に鼻を押し付けると思いっきり吸い込みだした。

 ズオオオオオオォォ……!!

 という、鈍い音が辺りに響く。コノメは恐怖を抑え、必死に声を押し殺した。そうしている内に、周囲がみるみるうちに赤茶けていく。

(……これは捕食だ! 樹の魔力を鼻で吸い上げているんだ! 樹の内部から道管をつたい、根っこを通して周囲の土地の魔力まで吸い上げている!!)

 両手で口を抑え、みるみる枯れていく樹をただ見つめる。頭上からは枯れ葉が散り、折れた枝がコノメの脇に落下して来てチリと化していく。それはまさに地獄の光景だった。

 周囲に一切の生命が感じられなくなった頃、森喰みが樹から鼻を引き抜く。すると樹はバサバサと崩れ落ちて、チリとなって消え失せた。そして、同時に樹の影から姿を現した森喰みを目にし、蛇に睨まれた蛙のように固まった。

 ──しかし、森喰みはそのまま悠然と歩を進め、コノメの左脇を通り抜けていったのだった。

 コノメは振り返り、森喰みを見送る。そして高まる動悸を抑え、必死に今の現象について思考をまとめる。

(──気付かれなかった……、気付かれなかった!! そうか、見えてないんだ! 草食動物は正面への視野角が比較的狭い。両目が左右についているからだ! だからこそ、左目の潰れたあいつは今、左斜め正面から左側面にかけて死角がある!! 加えて大きくせり出した顎は下への視界を悪化させている! 霧の深さも相まって、今ならこの距離でも気取られないで居られるんだ!! 本来、その視界を補う魔力感知能力なのだろうけど……もしかしたら、これは……!!)

 コノメに緊張が走る。心臓が高鳴り、思わず胸元をぎゅっと抑えた。

(……勝てるかも知れない──。霧が出ている今がチャンスだ! 朝霧は日が昇ればたち消えてしまう。霧が消える前に左前足を怪我させることができれば、まともに歩くのも難しくなる。あいつに大きな隙を作る事ができる筈だ……! そうなれば──!)

 突如訪れたチャンスにコノメは息を呑んだ。もしも、この機に脚を奪う事ができたならば、以降の接近が容易くなる。いつ晴れるとも分からない霧は、コノメに覚悟を決めるだけの時間は与えてくれない。コノメは震える脚に力を込めて、森喰みへと歩を進めた。

(……悩んでいる時間はない! 今しかないんだ! おれの弓がアイツに通じるか分からないが、少なくとも師匠の竹(?)はアイツに刺さった! 師匠が作った茨のトラバサミならアイツの脚を奪うことも可能な筈だ!)

 少しずつ離れていく森喰みを追って早足になるコノメ。右脚を怪我しているとは言え、大型の魔獣。ゆっくり動いているようでも一歩の大きさはコノメの比ではない。近付くだけでも苦労があった。

(……焦るな! だが急げ! 必ずチャンスは来る筈だ……祈るしかない!)

 森喰みはズンズンと歩を進める。どうやら何か目的をもって駆けているらしかった。森喰みに追いすがりながら、キョロキョロと周囲を観察する。すると、どうやら見覚えのある光景が続いている事に気が付いた。

(これは……昨日通った道……? 昨日と同じ道を戻っているのか)

 森喰みは昨日自らが作った獣道をズンズンと進んで行く。疑問を覚えながらも、それに必死で追いすがる。

(クソっ、早すぎる! 右足を怪我してる筈なのになんて速度だ!)

 グングンと距離を離されていくコノメ。痕跡を頼りに必死で追いすがる内、少しずつ周囲が薄っすらと生気を失ったかのように萎れてきているのに気が付く。そして、青々と茂っていた木々が歩を進める毎に赤茶けて、ついには一面赤茶けた空間が現れた。

(……居たっ! 何かを探しているのか?)

 遠目に森喰みの姿を発見する。森喰みは赤茶けた空間で立ち止まり、周囲をキョロキョロと見回すと、再び獣道を通って走り出した。

 コノメは遅れて赤茶けた土地に到着すると、同じく周囲を見回して検分する。そして、冷静に森喰みの思考を探る。

(……狩場を巡回して獲物を探しているのか? でもどうして? アイツは草食動物だ。肉も食べない事はないだろうけど、基本は草木を食べる筈だ。たまたま見つけたとかならともかく、積極的に探す理由は無いはずだ)

 そしてこれまでの森喰みの行動を思い返す。行動には必ず理由が伴う。これまでに確認された習性と理屈の合わない行動ならば尚更、その契機となる出来事がある。糞の中にも動物性のものは見られなかった。急に魔物の捕食に乗り出したその理由──、考えるうち、コノメの頭にふと一つの考えがよぎった。

「……ああ、そうか。お前は師匠を食べたから……。それが忘れられないんだな……。高純度の魔力を持ち植物の身体を持った師匠を、この森の原種か何かだとでも思ってるんだな……」

 沸々とコノメの腹に怒りが湧いてくる。自分の大切な誰かが、有象無象の単なる獲物として扱われる事、そんな事は初めての経験だった。

(──絶対に狩ってやる! チャンスだ、これは師匠のくれたチャンス。追いすがれないなら先回りするしかない! 巡回ルートが分かりきっているのなら、先回りは可能な筈だ!)

 コノメは記憶を頼りに森の構造を思い起こす。そして、自分の速度と相手の速度を鑑みて、恐らく合流できるだろう位置に当たりをつけて走り出した。

(──けどこれは、賭けでもある。もしもアテが外れて奴を見失ったとしたら、きっと時間内にもう一度見つける事は叶わないだろう……! それでも!)

 コノメはふと不安を覚える。しかし決して足は止めなかった。この二日間を経て、彼の感覚は少しずつ冴えて来ている。狩りとは獲物との知恵比べともいう。コノメは初めての一人だけの狩りを通して、少しずつ一人前の狩人に近付いているのだ。その確信をもって、彼は賭けに出ることを決めたのだった。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 森の中腹にぽっかりと開いた赤茶けた空間に、コノメは潜んでいた。森喰みから離れた場所から早足で一時間ほど、彼の予測が当たっていたならば、およそ3つ目の巡回ポイントとなる。

(なんとかここまで迷わず来れた……。しかし、もしも予測が外れ、巡回ルートが違えば終わりだ……!)

 赤茶けた土地の真ん中に茨のトラバサミを埋め込み、忍耐強く待つコノメ。ただ待つ時間は少しずつ彼に不安を与える。ひょっとしたら違う場所に向かったのかも知れない。予測よりも遅すぎる。そんな不安が次々に浮かぶ。

 ふと空を見上げると、僅かに日が昇りかけているのが見える。時間にしておよそ8時前後。霧が晴れるまで後1時間とないだろう。その事実が、コノメにますます不安を与える。

(……遅い……もしかして、間違えた? ひょっとしたら巡回なんて最初からしてなくて、たまたま通りやすい獣道を進んでいただけだったんじゃ……。クソっ、今からでも追いかけた方が──)

 そこまで考えた後、コノメは不意に頭をブルブルと振って頬を張る。

(──揺れるな! 疑心が最大の敵なんだ! 師匠だっていつもそう言っていたじゃないか!)

 そして、また息を潜めて森喰みが訪れるのを辛抱強く待ち続けた。すると──。

(──来た……!)

 地面から震動が伝わる。大きな獣がこちらに向かって歩いて来ているのが分かった。息を潜め、藪から目だけを出して震動の方向を見つめるコノメ。森の奥に小さく影がチラリと映り、みるみる内に大きくなっていく。森を蹂躙する圧倒的な威圧を備え、それは獣道の奥から現れた。

 コノメは驚くほどに冷静だった。予測が当たり、時間ギリギリに現れた化物。見るものを恐怖に陥れるそれを目の前にしてなお、鼓動は平静を保ち、呼気は安定していた。

 一歩、また一歩と、森喰みは歩を進める。そして赤茶けた土地の入り口に到達すると、ふいにその雄大な歩みを止めた。

(──っ!?)

 コノメに動揺が走る。無警戒に赤茶けた土地に入り込んだ最初とは違い、明らかに森喰みに警戒の色が見えている。一体何を間違えた? コノメは即座に思考を回す。すると、森喰みはそのまま1歩を踏み出し、鼻を地面に擦りつけて吸い上げた。赤茶けた土地に残っていた朽木がチリとなって跳ね上がり、周囲の小物が消し飛んでいく。そして地面に露出した茨のトラバサミを見つけると、森喰みは一息に呑み込んだ。

 その光景を、コノメは驚嘆とともに見つめている。

(──失敗した、失敗した! 何故だ、どうして──いや。そうか! "茨のトラバサミ"、これには魔力を含むのか!!)

 コノメは瞬時に頭を回し、その原因を突き止める。赤茶けた土地は一切の魔力を持たない土地。それだけに、ほんの微弱な魔力であっても、トラバサミに宿る魔力は強く浮き彫りになったのだ。

(どうしよう、どうすれば! どう──)

 コノメは走り出していた。動揺が頭の中を駆け巡り、右も左も分からないまま駆け出した。どうあってもこの機を逃してはならないと言う思いと共に、その手に2つ目の茨のトラバサミを抱えて。真っ白な頭に、なぜか一つの冴えた考えがふわりと浮かび上がっていた。

(──今、霧は散っている。魔力を薄く含む霧が、魔力を持たないチリと掻き混ざって、魔力の奔流が起きている。今なら()()()()。このトラバサミの魔力も、おれの姿も)

 コノメは駆けた。森喰みの足元に向かって全速力で。両手でトラバサミを突き出すようにして掴み、茨が突き刺さるのもお構いなしに、左脚に向かって一直線に駆け上がった。

 それは、ほんの一瞬の事だった。鮮血が吹き上げ、悲鳴が飛ぶ。小さな身体が地面を転がり、苦悶の声が地面をかけた。

 ──そして、岩のように大きかった巨体が、初めて崩れ落ちたのだった。

「──やった、やった!!」

 コノメは額と両手から血を流し、縺れる足を引き摺るようにして駆け出した。何が起こったのか分からないと言う様子だった森喰みも、コノメが思わず漏らした歓喜の声に気付き、声の方に頭を向けて立ち上がった。──しかし、傷めた両前足に力が入らずバランスを崩して倒れ込む。

 その音を聞き、コノメは逃げるのを辞めて振り返り弓をつがえた。しかし──。

「ブモォオオオオオオオオオ!!!!!」

 次の瞬間、地獄の釜を開いたかのような叫び声が響く。そして、叫び声に応じるように、ありとあらゆる所から植物が爆発的に繁茂して、コノメの目の前で破壊の限りを尽くす。

 木片が弾け、土が跳ね上がった一瞬の間。コノメと森喰みは初めて目を合わした。森喰みはコノメを敵と認め、コノメも森喰みの視線をまっこうから受け止める。

 それは、二匹が出会ってから二日目の朝の出来事。タイムリミットは、後半日。

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