長い長い戦いの始まり ─1日目─
それは凶悪な魔獣だった。
大きく、強く、凶暴で、無慈悲。体毛は金属のように固く、皮膚は岩のように硬い。気ままに森を練り歩いては、時折木々を乱雑に喰い荒らす。喰まれた木々は生気を失い、赤茶けてチリのように崩れていく。魔獣の名は"森喰み"。それはまるで終末の光景だった。
しかし、つかず離れずそれを観察する少年が居た。
彼は小さく、臆病で、弱かった。魔法が生物の根源要素たるこのトルニカにおいて唯一、魔力すら持たない無力の少年。しかし彼は、優しく、賢く、そして忍耐強かった。少年の名は花道 木之芽。隔絶たる差をほんの僅かでも縮めるべく、彼はただただ森喰みを観察し続けていたのだ。
(狩りは忍耐……。師匠もよくそう言っていたっけな……)
食うものも食わず、ただただ獲物を観察し続けるコノメ。食事をする時間帯、餌の傾向、獲物自体の癖……、知らなければいけない事は山程あった。
(意外と感知能力には乏しいみたいだ。もう何時間も50mと離れず張り付いているけど、一向にこちらに気づいた様子がない)
ほんの小さな癖や傾向から、獲物の思考や能力を考察する。コノメにとって、この世界の生き物達はその全てが初めて見る生き物。だからこそ、彼は観察によって獲物を知るところから始めなければいけなかった。
(……だったら何故、あの日師匠は森喰みに存在を気取られたのだろう。あの日と今では何が違った?)
コノメはうんうんと唸りながら、当時の状況を思い起こす。森喰みが獲物を見つける機序。それは最も重要な情報の一つだ。
(師匠は植物でおれは人だから、興味がない? でも完全に肉を食べない動物なんて居るんだろうか? キリンだって鳩を食う、あの巨体なら尚更じゃないか?)
いくらかの予測を立てつつ獲物を観察し続ける。すると、不意に森喰みが何かに反応して顔を明後日の方向に向けた。そして猛然と走り出した。
(まずい!)
それを追ってコノメも藪の中を駆けていく。すると、少しずつ視界に赤茶けた土地がチラホラと映り込み、その奥には赤茶けた空間が広がっているのが見えた。そして、森喰みがその広場に足を踏み入れた瞬間、バァン!! と大きな音がなり、周囲の赤茶けた木々が弾けてチリとなった。
(これは……コッパーか! 魔力を解放して背負っていた木々を弾き飛ばしたんだ!)
しかし、森喰みは全く意に介さずそのままコッパーに襲いかかる。堪らず逃げ出したコッパーだったが、ふいに地面から生えた草に脚を絡め取られて動きが止まる。
(あれは、師匠の魔法──!!)
コノメはその光景に衝撃を受けた。森喰みが師匠の魔法を使い、コッパーの動きを止めている。そして森喰みはそのままコッパーの胸元に齧りつき、ゴリゴリという音と共に噛み千切った。「ギィイイ!!」と言う叫び声が辺りに響く。しかしすぐに悲鳴は途切れ、それと同時にコッパーの半身が地面に落ちた。すると森喰みは不意に獲物に興味をなくし、のそのそとその場を後にした。
コノメは森喰みが居なくなった事を確認するとそろりと藪から出て来てコッパーの死骸を検分する。
(喰われたのは盾の真下……。魔力核の部分か! つまり、あいつは魔力の多く含まれる部位を好んで食う偏食家だ。……そして、恐らく食べた獲物の魔法を使う……。だから魔力を奪うんだろう。あえて他の部分を残すのは飽食に慣れてる証拠? 苺の先端の甘い部分だけを食べるような品の無さだ)
コノメは目の前の無残な死骸を前に、哀悼の意を示す。そして、再び森喰みに対する怒りを燃やす。その時、ふととある疑問がコノメの頭に浮かび上がった。
(……けれど、なんでアイツはあんな遠くからコッパーに気が付いたんだ? だってコッパーだぞ? 擬態の達人だ。背負っていた枯れ木も、赤茶けた土地にはよく紛れる。地面に隠れればそうそう見つかる筈も無いのに……)
その時、コノメの頭に一つの確信がよぎった。これまでの獲物が漏らした複数の要素が噛み合っていく。周囲の土地の状況、獲物の状態。そして、師匠が襲われたとき、果たして周囲には何があったのか。
(……そうか! 魔力だ! アイツは魔力の反応を追っている!! 師匠もコッパーも、襲われたのは同じ赤茶けた土地だった! 魔力反応の一切無い土地に紛れ込んだ魔力を、アイツは探知しているんだ!!)
通常、魔力とは酸素のように何処にでもあるものだった。それは生き物は当然として、森の木々や石ころであっても、必ず魔力を含んでいる。しかし、それを奪われ赤茶けてしまった土地にはその反応が無くなる。だからこそ、そこに入って来た生き物の魔力は目立ち、浮き彫りになる。コノメはそれに気が付いたのだった。
(──そして、それならば、おれは有利だ! 魔力を持たないおれだけは、アイツに探知する術がない!)
コノメは垣間見えた希望に高揚を抑えきれず、思わず頬を緩ませた。
長い長い狩り、これはまだその始まりだった。




