第3話 僕が覚えている彼女の最期
夏樹の過去編です。
※事故と死の描写があります。苦手な方はお読みになりませんようお願いいたします。※
中学3年の冬。
僕には彼女がいた。
地毛の茶色のサラサラの肩まで伸びた髪に、くりくりぱっちりとした目、高くはないが低すぎない鼻に、薄紅色に染まる頰。
廊下ですれ違うと思わず二度見してしまうくらいに、彼女は可愛らしかった。
にも関わらず、告白は彼女の方からだった。
かわいいなー、付き合えたら嬉しいだろうなぁ、と、まるで他人事のように思っていた僕には晴天の霹靂だった。
放課後の誰もいない、夕焼け色に染まった空き教室で、顔を赤らめながら僕を好きだという彼女はとてもとても可愛らしかった。断る理由がなかった。
一緒にいろんな所に行って、いろんなことをした。
海に行った。山にハイキングもしに行った。
放課後、ファミレスで2時間近くお喋りした。
食べ歩きもした。ラーメン、ケーキにハンバーガー。彼女と食べるご飯は何でも美味しかった。
テスト期間は2人で分からないところを確認しあった。「もう勉強したくない」と駄々を捏ねる僕に、彼女は無言で結構痛いデコピンをした。…やらざるを得なかった。
平凡な日常は、彼女といるだけで夢のように幸せな生活に早変わりした。彼女がいれば、毎日が特別な日になった。
幸せな日々が終わった日。
それは彼女が死んだときだった。
まさか死ぬとは思わなかった。
いきなり、本当に急なことだった。
幸せな日々が永遠に続くと思っていたのが、いきなりハサミでちょん切られたかのように、突然断ち切られた気分だった。
冬のある日。
僕は彼女と初めての喧嘩をした。
昼休み、彼女と一緒にお昼ご飯を食べる約束をしていたのに、僕は先生に呼び出され、用事が終わった後に彼女の所に行けばいいのに、うっかり約束を忘れ、すっぽかしてしまったのだ。
彼女は怒った。
行けないなら行けないと、連絡してくれれば待ちぼうけをしなくて済んだのに。終わった後に私のところに来ないなんて信じられない、と。
ここで謝ればいいのに、僕が悪いところもあるとは思いながら、先生がいきなり呼び出したのも理不尽だったのだから、しょうがないじゃないか。と僕は逆ギレした。
喧嘩しながらも僕と彼女は一緒に帰った。
些細な喧嘩だと2人は分かっていた。
ただ、意地が邪魔して相手を許せなかっただけで。
彼女はこんな小さなことも許さない自分に自己嫌悪を感じながらも、私は悪くないと僕の過ちを許すことができなかった。
僕は自分も悪かったと思いながらも、先生にいきなり呼び出されるイレギュラーを、考慮してくれない彼女に苛立っていた。
僕が先を歩き、彼女が文句を僕の背中に向かって投げつけていた。
******
それからのことは断片的にしか覚えていない。
ドンッという衝撃の後、暗転する視界。
全身の痛みに耐えながら目を開くと、視界は血塗れだった。
周囲に飛び散った血だけじゃなく、僕の目?それとも頭とかおでこ?の方から出血しているようだった。
視界に映る彼女の姿。
血溜まりの中心に、彼女はいた。
彼女は僕のことをじっと見ながら、なんとか顔を上げた僕に向かって、手を伸ばした。
彼女は「何か」を言った。
そのときの僕には、聞き取れたはずなのに、何故か今の僕には何を言ったのか思い出せない。
彼女の元に走り寄りたかったが、全身が痛んで動けそうにない。
そうこうしているうちに、彼女の手が、重力に従ってパタリと落ちた。
僕にはその瞬間がスローモーションのように、ゆっくり流れているように感じた。
彼女が力尽きた瞬間だった。
「みら…い…。」
叫びたかったが、そのときの僕には彼女の名前を呻き声のように呟くのが限界だった。
彼女の名前を呟くと、僕は力尽き、意識の闇の中へと沈んでいった。
******
次に目を覚ましたとき、僕は病室にいた。
目を閉じる前は夕方だったが、もう日はすでに落ち、もう日が変わった後なのだろう、病棟は静まり返っていた。
周囲を確認するべく、寝返りを打った。
この部屋は2人部屋らしい。
左側は窓だが、右隣にはカーテンが閉められていた。
寝ている人の影が見える。
ただ、寝息などなく、静まり返っていて、僕はなんとなく嫌な予感がした。
痛む身体に鞭を打ち、事情を聞ける人を探すべく立ち上がる。
部屋の中には寝ている人以外に人はいないようだった。
僕はこの部屋を出るべく、ドアに向かって歩き出す。
少し気になってしまった僕は、カーテンに閉じられた隙間から、ちらりと寝ている人の様子を見た。
…見てしまった。
僕はまさかという思いでカーテンを乱暴に開けた。
顔から足の先まで白い布がかけられたその人。
ちらりと垣間見たその人の髪の色が、彼女と同じ茶色だった。彼女と、同じくらいの髪の長さだった。
まさか、嘘だろ、と思いながら、彼女じゃなかったら失礼だろうと思いもせずに、顔にかけられた白い布を外す。
そこにあったのは、
愛しい彼女の顔だった。
頭を打ったのだろう、髪の毛を触ると少し濡れていた。
額には少しだけ包帯が巻かれていた。
綺麗だった顔も、少し傷が残ってしまっていた。
安らかな顔をしていたことだけが、救いだった。
「あああぁああああああぁああ″あ″あぁあ!!!」
あれだけの出血だ、こうなってしまうのは見えていただろう、と冷静に考える自分がいる。
一方で、なんでなんでどうして彼女が、と暴れ出す自分もいる。
ただただ泣き続け、あまりの騒音に気がついた看護師が駆けつけてきて、叫び続ける僕をゆっくりと元のベッドに連れて行き、腰掛けさせた。
「ごめんね、まだ安静にしてて。お医者さんにあなたの体調を確認してもらわないといけないから。」
と看護師は僕を宥め、ベッドに寝かせた。
看護師は去り際に、ドアの向こうにいる誰かと少し話した後、僕の右側の、病室を仕切るカーテンを少し開け、僕が彼女を見ることができるようにして、去っていった。
******
しばらくすると、医師とともに、僕の家族が入ってきた。
母さんは、僕の姿を見るなり抱きついた。「もう、心配させないでよ」と泣きながら強く抱きしめた。
父さんは「帰ってきてくれてありがとう」と瞳を潤ませながら言った。
2人が落ち着き、椅子に座った後、医師の診察が始まった。
医師は勝手に僕がベッドから離れ、歩いたことを怒りながら、僕の体調や怪我の具合を確認していった。
そして、僕の今の状態について、話し始めた。
僕と彼女は後ろから居眠り運転をした自動車にひかれたらしい。
それで僕は結構な距離を飛ばされたものの、奇跡的に少しの骨折(流石にあばらの骨は少し折れているらしい)と打撲で済んでいるとのことだった。
「ただ、すでにお分かりかと思いますが、左眼は…、ガラス等が刺さり、出血がひどい状態でした。もう手を尽くしてもどうしようもない状態になっていたため、切除しています。…残念ですが、もう左眼が見えることはないでしょう。」
見えにくいな、と思っていたが、左眼がダメになっていたのか、と思った。
左眼のあたりを触ると、ガーゼで覆われていた。
医師が「あまりいじらないようにしてください」と言ったので、手を元の位置に戻した。
特に見えなくなって悲しいとは思わなかった。
父さんと母さんは「左眼が見えなくなってしまったのは残念だが、生きていてくれてよかった」と涙を流した。
「すみません、下地さんの奥さんと旦那さん。ここからは吉永未来さんのお話をさせていただくので、席を外してもらっていいですか。
吉永さんの親御さんには夏樹くんになら話して良いと、許可をいただいています。
すみませんが、よろしくお願いします。」
******
父さんと母さんが退出し、病室には医師と僕と、もう目を開けないだろう彼女だけになった。
医師は少し目を伏せた後、顔を上げ、「吉永未来さんは、」と彼女の話をし始めた。
僕はごくりとつばを飲み込んだ。
医師は淡々と言った。
「吉永未来さんは、夏樹くんと同じように、後ろから居眠り運転の自動車に撥ねられました。
ただ、夏樹くんよりも運が悪かった…。頭から打ち付けられたようで、頭からの出血がひどかったんです。
救急隊員が駆けつけた時点で心肺停止の状態でした。心肺蘇生を試みましたが、やはり出血量が多く、脳にもダメージを負っていたのでしょう…、再び心臓が動き出すことはありませんでした…。」
…彼女は死んだんだな、とぽっかりと思った。
やっぱり死んでしまったんだと。
「この後、彼女はどうなるんですか。」
僕は聞いた。
病室にこのまま置いておくわけにはいかないだろう。
「吉水さんの親御さんが葬儀屋さんへの手配をしてくれています。手配が済むまで、うちの病院の霊安室に安置した後、葬儀屋さんに後のことはお願いすることになると思います。」
「…そうですか、わかりました。説明いただきありがとうございました。僕は大丈夫です。」
僕がぺこりと頭を下げると(ベッドで寝たままの状態だけど)、医師は、
「…本当は君には、君の状態が落ち着いてから吉水さんのことは告げるつもりでした。
でも、2人の部屋を分けるか、という話になった時に、せめて近くにいさせてあげたいと、親御さんと話しまして。同じ2人部屋にさせてもらったんです。
まさか、君が歩いて吉水さんの様子を見に行くとは思っていませんでした。つらい思いをさせてしまい、申し訳ありません。」
「…いえ、お気遣いいただき、ありがとうございます。彼女のことは気になっていたので、すぐに知ることができてよかったと思っています。…ありがとうございました。」
謝る医師に、僕はお礼を言う。
医師は、彼女を霊安室に安置するのは明日の朝にする、と言い、安静にするようにと言って、部屋を立ち去った。
僕は寝たまま、隣を見やる。
医師がいた時は案外冷静でいられるものだな、と思っていたが、いなくなると涙がボロボロ溢れ出した。
未来、未来、みらい…!
少し泣くと、疲れ果てた僕は、眠りに落ちていった。
******
眠れた、といっても、微睡むくらいで、完全に眠れたわけじゃなかった。
しばらくして、静かにドアが開く音がした。
入ってきた人影は、もう動かない彼女の側に行くと、すすり泣くようにして泣いていた。
たぶん、彼女の両親だと思う。
僕はまた、なにも考えられなくなって、眠りに落ちていった。
勢いで書いたので後で修正するかもです。
今回だけでは過去編終わらなかったので、キリのいいところで切りました。
次回も過去編です。