第4話 擦れ違う思い、届けたい想い
まんまと乗せられてしまった。新幹線を待つ待合室で東京行きの切符を見つめながら葉子は溜息を吐いた。
中部地方最大のターミナル駅である名古屋駅は平日であっても混雑している。東京行きの席は常に埋まっているものの一人分であれば当日でも買えないことはない。ただその日はなかなか空きがなく、結局買えたのは十八時半出発のものであった。二十時には東京駅に到着でき、日本橋まではそこから地下鉄で一駅だと言うので時間の余裕はあるのだが、東京には何度か行ったことはあるもののやはり慣れない土地だ。迷ってしまう可能性もあるだろう。
目的の場所に行き、本当に井上庄之助なる人物に出会えるかもわからない。ましてや、夜中の1時半なんて、そんな夜中に歩き回っていて危なくはないだろうか? 時間が時間なので宿を見つけて後でメールすると西条は言っていた。至れり尽くせりであるが、正直嬉しくはなかった。
なんでこんなことを引き受けてしまったのだろうと、今更になって後悔しても仕方がない。葉子は再び大きく溜息を吐くと立ち上がりホームへと向かうのであった。
東京行きの、のぞみに乗り込むと自分の席を探す。流石に滑り込みだったので三人掛けの真ん中の席であった。せめて途中まで空いていてくれと思うのだが、そんなに美味い話があるわけもなく両隣には先客が居り、しかも窓側に座る中年のサラリーマン風の男は既に500ml缶のビールを二本も空けていた。
頭を下げながら申し訳ない風を醸し出し席に座る葉子。新幹線に乗るのに荷物もなく軽装なので少し変に思われたのか、無遠慮に葉子のことをジロジロと見てくるサラリーマン風の男を無視し、葉子はスマートフォンを取り出すと画面に目を落とすのであった。
SNSアプリに着信アリ。の表示に気が付くとそれを確認しようとする。とそこへ、メールが舞い込んだ。西条かなと思い開くのだが、それは葉子の彼氏、いや、元彼氏からのものであった。
『もう一度会えないだろうか?』
そんな内容のメールに、なにを今更と思う。自分から別れを切り出しておいて女々しい男だ。葉子はそのメールには返信せずにSNSアプリを開いた。
『今なにしてる? これから食事にでも行かない?』
それは友人からのお誘いのメッセージであった。
『ごめん。今日はちょっと無理』
『今日バイトだっけ?』
『休み』
『今月厳しい? 奢るよ?』
珍しいこともあるもんだ。ご飯を奢ってくれるなんて勿体ないことをした。やっぱりこんなこと引き受けるんじゃなかったと葉子はがっくりと肩を落とす。そうこうしている内に発射ベルが鳴り新幹線が動き出した。
新幹線の振動もなく滑るように平行に動き出すこの感覚が、葉子はあまり好きではなかった。少し眉間に皺を寄せながら友人に返信をする。
『ごめん。これから東京に行くから無理なんだ』
そう返事をするのだが友人からの応えはない。数分待ち続けるとブーブーとスマートフォンが振動し始めた。
画面には彼氏の名前が表示されている。いつまでも未練がましいと葉子は切るボタンを押す。どうしてこんな時に次から次へと思っているとまたスマホが振動しだした。通路側に座る男性が咳払いをする。すみませんと頭を下げると葉子は席を立ちデッキへと向かった。
画面を見るとSNSで話していた友人であった。仕方がないので葉子は電話に出る。
「もしもし、仁美?」
「もしもし葉子っ!? あんた今どこにいるの?」
「どこって、新幹線の中だけど」
「ええっ!? 本当に東京に行ってるの? なんでっ!?」
面倒なことになったなと思う葉子。どうやって誤魔化そうかと悩んでいると仁美は思わぬことを言いだした。
「今ね、樹と一緒なんだよ」
樹とは葉子の元彼のことであった。なぜ樹が仁美と一緒なのか? いやこれは、なにか企んでいるに違いないとすぐに察した。道理で普段は鳴らない電話が煩いわけだ。おそらくこれは仁美が計画して、自分と樹を元鞘に納めようとセッティングした食事会に違いないと葉子は勘付く。
「へー、あいつの好きな相手って仁美のことだったんだ」
「なに馬鹿な事言ってるのよ。樹はやっぱり考え直したいって私に相談してきたのよ」
別れ話をしてたったの二日で? なんと言う身勝手な話だろうと葉子は嫌気が刺す。だったら別れを切り出す前に、もう少し思慮深く考えればよかったではないか。一体、樹がなにを考えているのか葉子にはさっぱり理解できなかった。
「葉子? 樹に代わるから」
「え? いいよ。私はべつに、話したくない」
「いいからっ! 切らないで。ねっ!」
半ば強引に引き留められ切るに切れないでいると、電話口の向こうに聞き慣れた息遣いを感じる。
「葉子? ごめん」
「なにが……」
そう言うしかなかった。そもそも何がごめんなのか。別れてからたった二日でもう連絡を取ってきたことか。仁美に相談して、こんな形で連絡を取ろうとしたことか。それとも、別れたいと言ったことか。何に対する謝罪なのか、葉子にはわからなかった。
しばしの沈黙が続くと樹の方から切り出してきた。
「東京に行くって、急にどうしたの?」
「別に、ちょっと野暮用で……」
「まさか、引っ越したりとか?」
「んなわけないじゃん。大学どうすんのよ」
「こんな時間から行って、帰りは?」
「関係ないでしょ」
葉子の素っ気ない返事に再び黙り込んでしまう樹。葉子も何も話さなかった。窓から覗く外の景色は真っ暗で何も見えない。まるで二人の関係のよう、出口のない真っ暗な闇の中をずっと走り続けているような気分になり、葉子はただただ不安で堪らなかった。
「そうだね……俺はもう、葉子の彼氏じゃないから。でも、こんな時間に急に東京に行くって、心配になるじゃないか?」
「だから関係ないって、そんなの私の勝手でしょ」
「そんな、仁美ちゃんだって明だって心配してるんだぞ」
「明君もいるの? はぁ……なんなのあんたら?」
「なんなのって? 俺達のことを心配して」
葉子はいい加減うんざりしていた。心配して心配してって、そんなことを頼んだ覚えはない。そんなのただ単に、他人に対してお節介を焼いて自己満足に浸っているだけではないか。それも他人の色恋沙汰に首を突っ込んで悦に入っている。最低の部類の自己満だ。
「君はいつもそうだ。そうやって何に対しても醒めた態度で、決して本心で語ろうとしない。他人と積極的に関わるのを避けて、面倒事から逃げようとする」
「はあ? 何いきなり? お説教? ハァ……もういいわよそういうことで」
「それだよ、俺は君のそう言う態度に我慢ならなかったんだ。本当に君は俺のことを好きなのか自信がなかった。だから試した。他に好きな子ができたと言ったら、君がどういう反応をするのかっ!」
「なにそれ? 馬鹿にして……。あんた私のこと馬鹿にしてんのっ!」
信じられなかった。あの別れ話がそんな自分を試すような。そんな馬鹿にした話があるか。葉子は新幹線の中であることも忘れて樹に怒りをぶつける。
「教えてやるわよっ! 今から東京に何をしに行くのかっ! これから男の人にラブレターを渡しに行くの、ご愁傷様っ!」
驚いている声が聞こえるのだが葉子はそれを無視して電話を切ると、スマートフォンの電源も切るのであった。