第3話 時をかける手紙
正午過ぎ、名古屋駅で電車を降りると葉子は約束の時間には少し早いのでお昼ご飯は、地下街のエスカで済ませてしまおうとエスカレターを下った。
ひつまぶしに味噌カツ、あんかけスパゲティ等のお店は他県からやってきた客達で賑わっている。愛知県民の葉子にとっては左程珍しいものでないし、昼食にわざわざ千円以上かけるほどブルジョワではないので、マクドナルドへ入ると100円マックで済ませた。
そうしている内に丁度良い時間になったので、葉子は信託銀行へと向かった。
店内へ入ると係り員に用件を伝え、ソファーに腰掛け待っている間も引っ切り無しに客が出入りしており、まあ普通の銀行と変わらないな、なんて思いながらボーっとしていると、奥から黒いスーツを着た小太りの男性がやってきた。
パタパタと小走りで駆け寄ってくると、白いハンカチで額を拭いながら葉子の前で頭を下げる。
「いやはや、わざわざご足労いただきまして申し訳ありません。初めまして、と言うのも変ですが西条です」
「どうも、時田です」
「ささ、ここでお話をするのもあれですので、どうぞ奥へ」
店内は春先にしては強すぎるくらいに冷房が効いていて寒いくらいなのに、大粒の汗をかきながらそう言う西条に、夏になったらこの人はどうなってしまうのだろうと、どうでもいいことを思いながら葉子は奥の来賓室へと通された。
部屋に入るとドラマで見た様な黒い革張りのソファーにガラスのテーブル、という様なこともなく。普通に長机とパイプ椅子が並んでいる会議室のような感じで、結構しょぼいななんて失礼なことを思った。そこへ腰掛けると紙コップに入ったコーヒーを出される。
「砂糖とミルクは?」
「結構です」
「ややっ! ブラック派ですか? お若い女性にしては珍しい」
電話での対応と変わらない、やや大袈裟な話し方をする西条は、「すぐに例の物を持ってきますね」と言うと、一度部屋から出て行った。
来ることはわかっていたのだから用意しておけばいいのに、と思いながら葉子はコーヒーに口をつける。酸化しきった酸っぱいコーヒーに思わず「まず……」と口に出してしまうのであった。
西条は五分もしないで戻ってきた。銀のトレーを両手で持ち、部屋に入って来ると長机の上に置く、そして葉子の対面に座った。トレーの上には長型3号、所謂A4サイズの三つ折りの紙が入る一般的な茶封筒と、二つ折りにされたA4サイズの便箋が乗っていた。
便箋の方は少し茶色く変色してはいたものの劣化が激しいということもなく、保存状態はとても良かった。
「随分と丁寧に保管されていたんですね」
「いやいや、誰も金庫を空けずに手つかずだっただけですよ。まあ、それが幸いして非常に状態も良くて、内容もしっかり読めるんですけどね」
自嘲気味に笑いながら言う西条であったが、信頼がモットーと昨日電話で言っていた癖に、十数年もほったらかしにしていたとは、結局それがこの会社の体質なのだろう。今回も、お客様の為にと言うよりは、興味本位からくるものであると言うのがその言葉から読み取れたような。よほど暇なんだろうなと葉子はそんな風に勘繰ってしまう。
「中身、読んだんですか?」
「まさか、封書の方は開けていませんよ。例え既に他界しているお客様のものであっても、プライバシーは尊重するのが我々のモットーです」
満面の営業スマイルで笑う西条。
「私の方で柴田絹江様のことを色々と調べたのですが、これが結構な逸話をお持ちの方でして」
そう切り出すと西条は柴田絹江さんのことを話し始めた。
1900年代の初頭は明治末期、日露戦争の真っ只中。勝利に勝利を重ねる日本軍に沸き立つ国内。日本が列強国としてその名を世界に知らしめ、大日本帝国としてその影響力を強めていった時代に絹江は生まれた。そこそこに裕福な家で育ちも良いご令嬢であったらしい。
絹江が齢十八を迎えると帝国陸軍の士官と婚約をして順風満々な未来を迎えると思っていたのだが、婚礼をあげることもなくその婚約者は帰らぬ人となった。
婚約者が遠い大陸の地で事故死したことを伝え聞いたその夜、絹江は行方不明になったという。東京の日本橋をフラフラと歩いて行く姿を目撃されたのが最後、婚約者を亡くした悲しみから身投げでもしたのではないかと親戚一同心配し昼夜を問わず探し回ったのだが一向に見つからず、半ば諦めかけていたところ、一週間が経ったある日ふらりと戻ってきたと言うのだ。
それからと言うもの、これまで慎ましいご令嬢といった風であった絹江は、とても活発になり、男さながらに働き女伊達らに身を立てたと言うのだ。
「へー、すごい女性だったんですね」
「まあ経歴もさることながら、これからが面白いところでして」
西条は含み笑いを見せると勿体ぶりながら話す、葉子は少し苛立ちながらも話を聞いている内に、その内容になんだか醒めてきてしまっていた。
絹江は行方不明になり戻って来ると不思議なことを言い始めたというのだ。
自分は未来の日本国に行っており、そこで二年もの間過ごしていたと。当時は皆そんな絹江のことを笑い、神隠しにあって頭がおかしくなったのだと思ったそうだ。
しかし、はっきりとは言わなかったが、絹江の予言めいた言葉がピタリと当たることがしばしばあったそうだ。
「当時では日本帝国軍が戦争で負けるなんて誰も予想していなかったでしょうに、それも予言していたと言います。また、その後日本は経済大国となって平成の世になるけれど、外国での戦争はまだまだ続いているなどなど」
「馬鹿馬鹿しい。当時だって中には負けると思っていた人もいただろうし、言っていることが漠然としすぎてる」
「いやいや、当時はそんなことを口にしたら国賊だって憲兵にしょっぴかれちゃいますから、なかなか口に出せないものだったんですよ」
どうやら西条はそういったオカルティックな話が好きなのだろう。目をキラキラと輝かせながら、葉子に話す様はまるで子供のようであった。
葉子は半ば呆れながら便箋を見ても良いかと尋ねると、西条はどうぞとそれを手に取って渡した。なんだか少し緊張しながらゆっくりと二つ折りになっている便箋を開く。中には達筆な毛筆で数行書かれていた。
この封筒を平成二十九年の四月一日、午前一時半頃、東京の日本橋橋梁の上に現れる「井上庄之助」と言う男性に渡して欲しいとの旨が書かれてあった。
そこで葉子はあることに気が付く。
「4月1日の午前一時って、もう明けて明日じゃないですかっ!」
「いやはや、そうなんですよ。どうします?」
どうしますって、なにを言っているのだこいつは、と葉子は閉口してしまう。まさか時間の指定まであるとは考えてもみなかった。名古屋駅から東京駅まで新幹線で約1時間半、そこから日本橋と言う所までどのくらいかかるのかは調べてみないとわからないが、まあ十分にまだ間に合う時間ではある。
葉子はしばし迷うのだが、よくよく考えてみると迷う必要なんてあるだろうか? そんな馬鹿げた話しを信用して東京まで行く必要なんてないし、そもそもそんな交通費もない。
まったくもって無駄足であった。ここまでの電車賃だってタダではないし、一日を無駄にしたと葉子は思うのであった。
「西条さん。申し訳ないですけど、これはもう諦めるしかないんじゃないですか?」
「やっぱりそうですかね。引き受けてくれるというのであれば、一応交通費くらいは私が出そうかとも思っていたのですが」
信じられない、やはり銀行マンは儲かるのだろうか? こんなことの為に往復の新幹線代約三万円近くを出そうと言うのだから葉子はもうぐぅの音も出ない。葉子からしてみれば三万円なんて一ヶ月の生活費であるから尚更である。
そこで葉子はふと、封筒に目を落とした。話している間もなんとなく目に入っていたのだが、改めてその封筒を見つめる。
しばらく黙り込み考えていると、西条も黙って葉子の答えを待っているようであった。
「……車ですよ」
「え? なんですか?」
「グリーン車にしてくれるなら……それからっ! 道中のお弁当代もお願いしますっ!」
もうこうなったら乗りかかった船だと葉子は覚悟を決めた。そして、たかれるだけたかってやろうとするのであったが西条は待ってましたとばかりに快諾、すぐに新幹線のチケットを買いに行きましょうと部屋を飛び出して行くのであった。