第2話 銀行員は3度ベルを鳴らす
翌日になっても葉子はあの電話のことが気になっていた。
柴田絹江。
まったく聞き覚えのない名前の人物を知っているか? と突然聞かれたのだ。わけがわからない。いっそのことこちらから電話を掛けなおしてみようか、相手はちゃんとした金融機関から電話を掛けてきている為、一応心配はないと思うのだが、やはりあまり乗り気はしなかった。面倒事は避けたかったからである。
そこで葉子は、そう言えば生前に叔父宛に○○信託銀行から、なにかしらの郵便が届いたことがあったのを思い出す。ちょうど盆の時期だったので暑中見舞いだったのかしらと思うのだが、それがなんだったか記憶は曖昧であった。
そんなことを考えているとスマートフォンが振動する。画面を見ると例の信託銀行からであった。逡巡するも葉子は電話に出た。
「もしもし」
「もしもし、度々のお電話申し訳ございません。先日お電話差し上げました。○○信託銀行の西条と申します。時田葉子様でしょうか?」
「はい、そうですけど」
「やや、先日は突然失礼いたしました。今、お時間は大丈夫ですか?」
大袈裟に畏まって見せる西条に、面倒くさい人だなと思いながらも葉子は、柴田絹江なる人物の事は知らないが話だけなら聞いても構わないことを告げると、西条は電話口の向こうからでもわかるほどに、安堵したような様子で話し始めた。
「そうですか、ご存じありませんでしたか。実を言うと我々も非常に困っておりまして、時田様の叔父様である時田重信様が、生前弊社の取り締まりと親交がございましたものですから」
べらべらと饒舌に話す西条に、なるほどそういうことかと葉子は合点がいく。なにかあった時には自分に話しが行くようにと、叔父がそう遺言していたのだろう。両親が亡くなった後、子育ての子の字も知らない叔父が、ましてや思春期の女の子を引き取り、男手一つで面倒を見てくれて大学にまで行かせてくれたのだ。学費も叔父の生命保険で卒業までの心配はなかった。
そんな叔父に葉子は感謝をしているが、死んでからもこういう面倒事を押し付けてくるのは叔父らしいなと思ってしまうのであった。
よくよく西条の話を聞いてみると。なんでも、柴田絹江なる人物は明治生まれの人らしく、○○信託銀行へ多大な貢献をしてくれたいわば上客、VIPだと言う事であった。
過去に時田家も大層お世話になった方らしく、なにかあった時にはその御恩をお返しするようにと、戦前まではよく聞かされていたそうだが、戦後になり核家族化が進むと親類縁者の付き合いも希薄になっていった為に、葉子には伝えられなかったのだろうと言う事であった。
「まったく知りませんでした。そんな話」
「左様でしょうね。実を言うと、我々もまったくもって寝耳に水の状況でございまして。先日、金庫の整理をしておりましたところ、その柴田絹江様からお預かりしておりました幾つかの品が出て参りまして、信用をモットーとしております弊社といたしましては、なんとかこれの引き取り手をと、方々を探し回っていた所なのです」
事情は大体わかったが、そんなもの血縁者でもなんでもない、先祖がただ単にお世話になっただけの所に電話をしてくるなんて、一体どういった経緯でそんなことになるんだと、葉子は少し疑問に思うのだが。大昔にはそういった縁者同士の付き合いというものが、この日本では重きを置かれていた時代もあるのだと言う事を知る。
「だいたい事情はわかりましたけれど、流石にそれは引き取れません。失礼ではありますけど、もう親族もいないのであれば処分されてもよいのではないですか?」
そう提案するのだが、西条は渋っている様子。理由を聞くと葉子はその突飛な話につい噴き出してしまった。
「あははは、ちょっと、それ本気で信じてるんですか? 未来の恋人宛に出したラブレターって」
失礼だとは思うが笑わずにはいられなかった。それは一通の手紙であり、平成29年の4月1日、とある場所に現れる男性に渡して欲しいと言う遺言が添えてあったと言うのだ。
まさか信託銀行の金庫をそんなタイムカプセル代わりにして、しかも一世紀も先の未来に出すなんて。日付が4月1日、エイプリルフールと言うのも洒落がきいているではないか。
ひとしきり笑ったところで葉子は告げる。
「まあなんにしても、それは引き取れないです。ごめんなさい」
そう言って電話を切ろうとするのだが、西条はこれまでの畏まったものとは違う真面目なトーンで話してきた。
「私は素敵なお話しだと思うんですよ。なんだか夢があると思いませんか? 時空を超えた恋なんて。どんな物語と結末がそこにあるのか興味があるんですよ」
だったら自分でそのラブレターを届けに行けばいいではないかと葉子は思うのだが、その後に出てきた西条の言葉につい乗せられてしまうのであった。
「もし、引き受けて頂けるのであれば。遺言には謝礼もお支払いをすると書いてあるのですが」
それはバイト代だけでのやりくりが厳しい葉子にとって、当分生活に困らない魅力的な額であった。社員である西条は謝礼を受け取るわけにはいかないと言う事なので、とりあえずもう少し詳しい話を聞くだけだと、葉子は明日直接信託銀行へと赴くこととなるのであった。