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第1話 別れ告げられベルが鳴り

「好きな子ができたんだ」


 そう別れ話を切り出してきた彼を前に、葉子は眉一つ動かさず「そう……」と答えた。


 小洒落たカフェの店内にはゆったりとした外国語の歌が流れている。会話の邪魔にならないよう、かと言って静かすぎて冷たい雰囲気にならないよう、そう絶妙に選択された曲調。なんと言っているのかはわからないが、最後に聞き取れた「I LOVE YOU」という歌詞が、今の自分達を皮肉っているように聞こえて葉子は少しおかしくなった。

 なにも入れていないブラックのブレンドコーヒーのカップに口をつけ、つまらなそうに返事をしたのだが、彼もそれを織り込み済みといった様子であった。

 細身の身体に整った顔立ち、軽薄そうには到底見えない好青年風の男性。大学に入ってからすぐに付き合い始めて二年とちょっと、サークル活動の忙しい彼に、生活費を稼ぐためのアルバイトで忙しい葉子。二人はなかなか一緒の時間を持てなかった。


 もうとっくに冷めていたのかもしれない。いや、それどころか、燃え上がるほどの恋を彼にしていただろうか?


 それは彼も同様であると葉子は思った。好きな子ができたなんてのも、本当のところは嘘であると見抜いていた。

 彼は元々趣味人で、女性との付き合いよりも自分の時間の方が大事な人であると、付き合い始めてかなり早い段階で気が付いていた。拘束されるよりは気楽だと思っていたのだが、これでは何の為に付き合っているのか。別れ話をするにはむしろ遅すぎたとさえ思える。


「ごめん葉子。君には俺なんかよりもっとふさわしい相手がいると思うんだ」

「そういうのいいから。別れたいんだったら全然いいし。ま、卒業するまで大学でも顔合わせるだろうからさ、これからも友達ってことでいようよ」


 葉子の醒めきった反応に苦笑いしながらも彼は、「これはけじめだから」と、頭を下げて席を立つのであった。



 帰りの道中はなんだか清々しい気分であった。いつもの街の風景もなんだか違って見える。散々扱き使われたバイト先を明日からもう来ねえよと言って飛び出してきたような、そんな解放感を感じて、葉子は日没の迫る春の夕暮れを見上げながら深呼吸をした。

 大学生の春休みは長い。2カ月近くも授業がないなんて、高い授業料を取りながらボッタくりではないかと思うのだが、学生にとっては嬉しいものでもある。勿論その二か月近くの間になにもせずダラダラしている者と、将来を見据えて勉学に励み、就職活動に勤しむ者とで圧倒的な差が生まれてしまうことを、在学中に気付けるか気付けないかで勝ち負けが決まると言ってもよいだろう。

 葉子は自由になった。とは言っても彼と付き合っていた間、プライベートな時間がなかったわけではなく、むしろそちらの方が多かったのだが。少しは将来のことを考えてみる切欠になったと、前向きに考えることにした。



 アルバイトを終え一人暮らしのアパートに戻って夕ご飯を作るのも億劫と思い、途中のコンビニでサンドイッチとサラダ、そして缶ビールを買って帰った。

 家に戻りその質素な食事をとり、シャワーを浴び終えたところでスマートフォンが鳴る。

 もしかしたら、やっぱり別れたくないと彼が泣きついてきたのかも。そんなことを思うのだが、かえって自分の方が引き摺っているではないかと嫌な気持ちになった。

 画面を見ると知らない番号。ちゃんと市外局番から始まる固定電話からだったので、変な電話ではないなと思いつつも、知らない番号に出るのは億劫なのでそのまま無視することにした。

 後で番号を検索かけてみよう、そう思いながらベッドに寝転がると葉子は、いつの間にか眠りに落ちるのであった。


 葉子は既に天涯孤独の身であった。もう10年以上も前に両親を事故で亡くし、父方の叔父の家で幼少期を過ごした。

 その叔父も二年前に癌で他界している。母に兄弟はいなかったので、親戚はもういなかった。

 両親を亡くしてからというもの、葉子はあまり感情を表に出さなくなった。悲しいという感情がないわけでなく、涙が零れ落ちそうになる時も沢山あった。しかし、辛い時こそ苦しい時こそぐっと堪える。涙を流してしまったら、悲しみに耐えきれなくて自分自身が壊れてしまう。そんな気がしたからだ。

いつしかそれは癖になっていたのかもしれない。叔父が亡くなった時にも涙一つ見せない葉子に、葬儀の列席者達はどんな目を向けていたのだろう。

 本当は悲しくて悲しくて、胸が張り裂けそうに苦しくて、お棺に縋り付いて声を上げて泣きたかった。でもできなかった。もう自分は一生、涙を流すことなどないのだろうとそんな風に思った。


 感情(こころ)の壊れた氷の女……。





 枕元で聞こえるメロディーと振動音。電話だと思い目を覚ますと葉子は、着信番号も確認せずに出た。


「もしもし……」


 寝起きの掠れた声で答える。今は何時頃だろうか? 薄っすらとカーテンの外が明るいのでもう日は上っているのだろう。そんなことを考えていると、電話口の相手は落ち着いたトーンの丁寧な口調で話しだす。


「もしもし、お忙しいところ恐れ入ります。私は○×信託銀行名古屋支店の西条と申します。時田葉子様のお電話でお間違いなかったでしょうか?」


 これまた御大層なビジネスライク丸出しの話し方に、なんかの勧誘だろうかと、適当にあしらって切ろうと思うのだが、信託銀行と言うのが気になった。なんの財産も持たない貧乏大学生のところに電話をかけてきて、一体なにを信託させようとしているのか? こういうものは適当に片っ端から電話をかけるのかな? と寝ぼけた頭で色々と考え込んでいると、西条と名乗った男が再び呼びかけてくる。


「もしもし、もしもし?」

「あ、すいません。間に合ってるんで」

「時田葉子様のお電話で間違いないんですね? その、怪しい者ではないので、少しだけお時間ございますでしょうか?」


 自分から怪しい者じゃないなんて、それほど怪しいものもない。そもそもなぜ自分の名前と携帯番号を知っているのか? 段々と頭が冴えてくると葉子は苛立ちを感じ、キツめの声で答えた。


「はあ? 今ちょっと忙しいんで」

「も、申し訳ございません。その、柴田絹江さん、という方を御存じではないでしょうか?」


 わけのわからない質問に葉子は気味が悪くなる。なにも答えずに電話を切ると、そこでようやく番号を確認した。どうせ非通知だろうと思うのだが、それは昨夜掛かって来た番号と同じであることに気が付く。すぐにその番号をインターネットで検索するのだが、確かに間違いなく○×信託銀行のものであった。


 一応、素性の知れない電話ではないことにホッとするのも束の間、また電話が鳴る。スマホの画面を見ると、それは友人の物であった。おそらくは、昨日彼と別れたことをどこからか伝え聞いて掛けてきたのだろう。面倒ではあったが葉子は電話にでると、そこから三時間も根掘り葉掘り聞かれるのであった。


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