私、息子殺します
私、息子殺します
「どうやって殺そう。殺虫剤を飯に混ぜるか。首吊りに見せかけるか。シンプルに海に突き落とすか」
そんな言葉が口をついて出た。 ギシ、ギシ、ギシ。ナイフで肉を切る。それとも、こんなふうに殺してやろうか。
日本国民の三大義務。勤労、納税、あとは教育だったけな。
うちには非国民がいる。高校まで出してやったのに、私の息子はニートだ。ニートになって丸一年が経つ。社会問題ニート、私に伸し掛かる。もう倒れそう。はっ倒してくれる夫はいない。
トンテキをかみしめる私の怒りはマックスだ。このテレビにもいらっとくる。おい。女子アナ。殺人事件のあと、ニコニコ顔で加湿器の告知かよ。お前の人間性滲み出てんぞ。ああ、のどが渇いた水でものもうか。ゴクゴクゴクリゴックリと。グラスの水を飲み干した。
壁の写真を見ると、色々思い出す。私はシングルマザーだ。キャバ嬢上がり。好き放題やってた私。母一人、子一人なんとかやってきた。私は頑張ったな。まあ、母子手当てのおかげも大きいけどね。
あんなことこんなことがあった。ほら、あの乳歯が抜けたやつなんてすごくかわいい。息子が屋根の上に放った乳歯ってどうなったんだろ。土に還るんだろうか。
弁当箱を持つこの屈託の無い笑顔もいいね。あいつどこに忘れてきたんだ。料理なんてろくすっぽしてなかったから弁当づくりとか超大変。何個も作った玉子焼き。困ったときのミートボール。海苔と紅生姜、ほっぺに桜でんぷんで作ったアンパンマン。カレーパンマン。ドキンちゃんに食パンマン。ばいきんマンは、江戸むらさきを使った。犬のチーズはおぼろ昆布か。なぜ、スライスチーズにしなかった。美月。眉毛は森永の小枝。斬新だ。
息子は高校を出てからプロボクサーになった。インターハイとか大きな大会で二位、三位に何度かなったこともあり、活躍が期待された。しかし、七戦目に日本ランク上位の選手。老獪な選手と当たった。ポイント狙いの戦いに息子は手こずった。終盤、相手の頭や肘が息子の顔に。確か、バッティングと言うらしい。右の目じりから出血。試合が止まった。
「偶然のバッティングにより試合が終了ました。規定により八ラウンドまでの採点。判定結果をお伝えします。勝者~」
あのアナウンスが鮮明に記憶されていた。もうひとつ、相手のニヤリと笑った相手の横顔。
「わざとやりやがったな。このやろう」
汚い言葉がこぼれ出た。
試合後、観客席に座ってリングをじっと見つめていた。医務室で縫ってもらった傷、痛々しい。隅っこで息子の背中を見つめることしかできなかった。
翌日の精密検査、診断は軽い網膜剥離。
「それ程の怪我ではない。しばらく休んで試合はそれから」
と医師は言った。
しかし、「俺、もう辞める」息子は言った。
会長さんいわく。燃え尽き症候群。
私には不完全燃焼と感じた試合。息子のなかで何が切れてしまったのか。
夢破れたものに掛ける言葉はない。今考えると、これがよくなかったと思う。
そして、息子はニートになった。
私は、易々と息子をニートにしたわけではない。眼の傷が小さくなった頃合いに。私の勤める清掃会社や知人が経営するスーパーなどにほおりこんだが、すぐに辞めてしまった。
あんなに活力であふれた姿が幻のように思えるぐらいに息子は変わってしまった。
息子がすることといえば、自室でパソコンに向かうことと、散歩するぐらいだ。
神様、神様。存在を信じてもいないのに、手を合わせる。ハロィン、クリスマスを満喫しましたがどうかお願いします。
「今年は働きますように」
そう願った。
神様はニートと言うことばをご存じではないのだろう。
全く変化がない。
私はもう限界だ。
勝手に、人生を絶望してる息子。
私はいろいろとアクションを起こした。いろいろと。
私がこんなに苦しむ必要があるのか。
そうだ、息子を殺そう。これが私の愛情だ。そう思った。
息子を殺したら、恋でもしようか。長年していなかったな、恋。キャバ嬢時代、あそこまでとは言わないが恋がしたい。
スマホで検索する。ネットで調べたところ、殺虫剤は足がつきやすい。首吊りは争いなく殺したとしても、世間体が悪い。近所の奥様連中が無いことを尾びれ、背びれ、ご丁寧に胸びれまでつけて泳がすことを予想される。恋なんてできない。
だったら海に突き落とすのが、ベストだ。
計画を練る。時間はやはり夜だ。岸壁に打ち寄せる波。一緒に夜釣り。頃合いを見て、突き落とす。計画は完璧だ。
しかし、私は母親だった。
海面から顔を出して叫ぶ。私は息子が悶え苦しむ中、それに背を向ける自分の姿を想像する。
無理だ。母親の性は捨てられない。
壁の写真。生まれたてのあいつを抱き抱える。手の掛からない子供だった。夜泣きで寝不足になることはほとんどなかった。コロコロと転ぶ子だったが、私の心配そうな顔をのぞきニヤッと笑ってから立ち上がる。
子供は未熟だから守ってあげなければならないのに。私の不安を悟り続けた息子は反対に私を守らなければならない。そう思っていたのか? 息子よ。
息子への殺意より、息子が今何を考えているのか、気になった。 最近、人の思考が読み取れる装置が実用段階に近づいてると、なにかのテレビでやっていた。そんなものはないから、手っ取り早くパソコンでものぞくか。
部屋にじょっぺんはかっていない。閉ざしかたは末期ではない。レベルで言うと一か二。治る見込みはあるし。働かないが、日常会話はできる。というか、じょっぺんなんて今は死語か。
ここのところ、散歩が長い。暖房の温度を下げろと、口酸っぱく言っているので図書館かフリーWi-Fiのあるふれあい会館にでも行ってるのか。
部屋に忍び込み、そいつを起動させる。パスワードは設定してない。トップ画面は木村くん。木村くんは、息子のアマ時代ライバルだった選手。彼もプロに転向、強豪ジムに所属。六戦でフェザー級の日本チャンプ。今も無敗、世界チャンプになった。
未練たらたら。だったらやればいいのに。ボクシング。
まず、履歴を見る。
就職、アルバイト募集関連なら殺意も和らぐぞ。そう思った。
そんな期待は裏切られた。
〉DMM
〉DMM
DMMが続いた。破廉恥なタイトルで、もう予想はついた。開くまでもない。そうエロ動画だ。筆下ろしや親子丼。息子の趣味がはっきりわかった。偉いのは試聴動画を選んでいたことぐらい。このばかやろうが。
DMMの他はボクシングの試合結果速報……風俗店も見てやがる。場合によっては恩赦で刑の執行も考えた。働かないでものをこすってばっか。だれのおかげで生活できているんだ。水もヒカリもただだと思っている息子に腹が立つ。とりあえず、きょうの飯はカップラーメン。決定。
続いてメールチェック。
受信ボックスは迷惑メールばっか。あんなもんみてるからだよ。私はその中に紛れてたメールを見逃さなかった。
〈水田のぞみ〉
〉ありがとうございました。すっきりしました。また、お願いするかもしれません(笑)
はっ。ふざけんなよ。あいつ、行きやがったな。すっきりする金が残ってるなら、家に金を入れろっつうの。よしっ。この女も同罪だ。
これで打ち込むのか、イヤだな。うわっイカくさっ。
〉いきなりごめん。よかったらこれから、店ではなく普通に会いたい。駅の改札前、六時でいい?。
送信。
ふしだら娘に制裁だ。待ちぼうけで風邪をひく刑だ、小娘。まあ、来ないか。風俗嬢だし。
お次はワードでも見るか。
ファイルには低俗な小説があった。ロッキーシリーズを薄めたような話。小説書いて生活しようとする魂胆に腹が立つ。こちとら、鼻毛も凍る朝っぱらから便器こすっているっていうのに、着の身着のまま起きて銭ならない文章書いていいご身分ですな。今日は飯なし。水飲んで寝ろ。
〈日誌〉というタイトル。ニートの日誌なんて、と思いながらクリックした。
内容はボクシング。今日のスパーはどうだったとか。僧帽筋がまだ足りないからダメージが残る。肘の返しのが甘い。腰が入ってない。足の親指で地面をつかめてない。ボクサーだったんだな。コイツは。
あの朝を思い出す。自転車にまたがる私が少し開けたドアの隙間に顔を入れる。
「ちゃんと閉めなよ」
とドアを閉め、自転車を漕ぎ始める。耳にイヤホンして。ワイマーの蝶結びのうた。リピートしてた。特にAメロの歌詞が印象深い。しばくして出掛ける私の背中。追い掛けるようにして息子が出てくる。扉の前の寝癖頭ニット帽を挟んだ指で靴紐を結ぶ。口には首からぶら下げる鍵。口で施錠してから走り出す。たぶんそうだと思う。施錠が雑だから大きい音がした。それで私はいつも振り向くの。すぐに私に追い付きニット帽を浅く被る。
「目やについてる」
そう言うと、目やにを擦って、私を追い越した。
懐かしいな。
更に下へスクロール。日誌はあの日に近づく。
〉一一月一六日。計量。明日は試合か。木村に先に超されたぶん、ここで負けられない。木村に負けた半年前、全日本新人王を思い出せ。あの悔しさ。あの時の自分より、俺は強くなった。さあ、母さんのカツ煮食って寝れば。明日が来る。明日はカツ。
フッ。だじゃれかよ。このあとの結果……。
〉一一月一九日。the end終わった終わったんだよ
何度でも立ち上がる。竹原ピストルじゃあるまいし。パンチでは倒されていない。木村くんが離れていく。精神的なダメージ、それがコイツを沈めた原因だった。
〉一二月三日。母さんの会社でバイト。頑張るれるかな?
〉一二月二〇日。バイト、やめた。母さんに公務員試験を受けるなんて嘘をついてまで。なんか力が入らないんだ。バイトの掛け持ちしまくって俺。ポスティングに居酒屋、交通誘導。そんな俺が六時間清掃に耐えれたかった。俺、ダメだ。それから、美佳と別れた。いい人見つかればいいな。
心がいたいな。私がコイツに仕事を紹介した。それは間違ってた。こころの修復。それが最優先だった。
〉一月一八日。新年が開けたっていうのに。気持ちが晴れない。たぶんもうだめだ。死んでしまおうか。
〉三月五日。真剣に死のうと思う。警察の参考書完璧に理解した。でも働くってイメージしたら吐き気がする。ずっとおんなじことすんだなって思ってしまうと絶望しか感じない。かといってリングになんて戻れない。
〉三月九日。これから、リビングにあった更の風邪薬を飲む。ゼリーにまぜて。
〉三月一一日。死ねなかった。丸二日、寝ただけだ。母さんには風邪引いたって誤魔化した。
〉四月一日。エイプリルフール。この日に死んだら、母さんの悲しみも少し和らぐのか。
〉四月二日。昨日死ねなかった。ドアノブに結んだロープほどけた。結びかた自己流だったから。死ぬのって、こわいのな。心臓より胃が過敏に動く、体質かもしれないけど
〉四月三日。下見。駅裏の公衆便所にいい感じでロープをくくれる。ネットで絶対ほどけない結び方を習得した。
〉四月四日。死ぬための日。でも、死ねなかった。夜九時、ちゃんと結んであとはわっかに首を通すだけ。怖かった。足が震えてる。と、まっぽが来た。自転車の番号確認させろっていうから、なんか腹立って拒んだ。言い合いになった。あんまりにも楯突くもんだからやつがあきらめた。邪魔入って良かった。死ぬ恐怖乗り越えないと死ねないことがわかった。逆に死ぬなってことか。働けねえ体質、直すしかねえな。しばらく、電源入れてないスマホ、リブート。会長やらの着信。出れねえよ。こんなんじゃ。俺は天才だと思ってボクシングやってた。木村にだってそのうち勝つ。俺は天才だ俺は天才だ俺は……と、うぬぼれてうぬぼれながら死ねれば幸せなのに。最高に気持ちいいのに。俺のマスターべーションの人生終わりにしたい。
私は散らかったティッシュで目尻を抑える。私を照らすブルーライト。眩しい。親ってこんなの見つけたら、ひっぱたいて抱き締める。私にそんな資格はないか。今まで私は親をやれていたか。
〉五月五日。死ぬのやめて小説はじめました。俺は書く才能ねえわ。あー暇。
〉八月二日。二一になった。良さそうな仕事はお祈りメールだから楽な仕事探してたら、だし子を勧められた。捕まりたはくない。そういや最近、区の社会復帰プログラム。訳すとニート相談室とやらに行ってる。卓球とかやって社会復帰? バカらしい。次の段階、就労体験でリハビリしろとさ。暇だしやるか。
〉八月一三日。就労カフェ。就労体験いい感じ。
〉八月二二日。客にボクサーがばれた。なんかばかにされた言い方。就労体験やーめた
〉八月三一日。山田さんが家にきやがった。言い分は分かるがあんたみたいにまっとうに生きれんわ。俺。今度は障害者が働く事業所に行けって。ふざけんな山田。 〉九月七日。くるなって言ってるのに山田が来る。母さんにばれたら恥ずかしいから、明日あそこに行く。一日行ってばっくれようか。
〉九月八日。事業所行った。障害者。すげえ。効率よく働いてる。賃金、雀の涙でよくもこんなに頑張るわ。健常者ニートの俺と障害者の働き者。障害者と健常者の差ってなんだよ。基準決めるのはいいが、あの人達言ってたぞ。健常者の眼が刺さるって。テクノロジーはどんどん進化すっけどよ。人って未だにアウシュビッツとかの反省してねえわ。何が優性だ。なんかさあ俺、わかんねえわ。これが社会の構造か。
〉九月九日。山田が俺を役所の臨時職員にしやがった。俺の履歴書勝手に作って出してた。文章偽造じゃね。悪い公務員もいるもんだ。九月一日で採用されてる。書類って怖いな。
〉九月一八日。山田にいいように使われてる。休日も拉致られて。哲学カフェに連れ出された。哲学カフェって言っても、円になってボールを渡されたら自分の意見言うだけ。好きと知りたいどっちが先。どうでもいいんじゃないんですか。と言ったら山田に蹴られた。いたい。
コイツ働いてんじゃん。言えよ。言えよな。母親ぐらいには。障害者の差別を撤廃する法律ができた。うちの会社でも枠が増えた。でも障害者という言葉は適切か。ニュース解説者が障害者の主体性が。障害者障害者障害者と並べる度に悲しくなるのは私だけ。法律が出来ても悲しい事件が起きても隔たりがどんどん高くなる気がする。私だけ。
〉一〇月一五日。ニートの生活が最高だって、改めて思う。部屋に籠れば外部のもろもろを遮断できる。あの時は良かった。自分に傷がつかないから。ここ一ヶ月、山田のせいで傷つきっぱなしだ。いろんな人にいろんなことを言われてる。不思議なことに傷も箇所が多いと気にしないもんだ。心の傷。ボクシングは体の傷だけど、まあ似たもんか。最近、山田があちこちの部署に絡むから困ってる。なかでも教育委員会の異才発見プロジェクト。特別支援学級の取り扱いがうまければ文科省の評価が高い。その学級の生徒達が得意分野をプレゼンする発表会がある。それを嗅ぎ付けた福祉課の遊軍・山田が一枚噛んだ。そこには自分の好きな分野の知識をものすごく詰め込める子、絵の上手い子、プログラミングや映像制作のスキルが高い子。色々いる。馴染めない、集団を乱す。それだけの理由で特援送り。山田は言った。「もっと変わらなきゃ。歴史を変えられるのは変わり者。優れたやつは既存のもので上手くやる。色んな角度を見て、新発見をするのはいつも変わり者だったんだ」ちなみに、俺
が担当してる子、揖斐雄二くん。計算とコミニケーションが苦手な雄二くんはイラストと文章が得意。異才発表会では自作の絵本を朗読。絵本の構想はもうできてる。ストーリーは他人と接するのが苦手な子・ジロウは人間の友達がいない。森にいるリスやウサギだけが友達。ジロウはリスたちにちょっかいを出すサルのサスケを嫌っていた。ある日、遅くまで森で遊び日が暮れてしまう。真っ暗な道、ランプを持って歩く。しばらくしてお母さんがもたせてくれたランプの燃料が切れてしまった。リスたちに助けてもらおうと、必死に叫ぶが巣から出てこない。途方に暮れているところに、サスケが現れた。サスケの他にフクロウのよし爺などに助けられ自分の家にたどり着く冒険物語。でも、朗読が苦手みたい。大勢を前に、想像すると。過呼吸になってしまう。克服できるかな。逃げきた俺が言えることじゃないか。
眼が乾く。コイツいい経験してる。とどの詰まりなんてよく知ってるな。山田の影響か。
〉一〇月二〇日。発表会の日程が本決まり。一一月一七日。去年、俺が死んだ日。哲学では新たな人生観を築くことをRe:berthという。生まれ変わったのか。逃げ続けているのか。未だわからず。最近の悩み。山田の暴走が止まらない。山田が相談室をはじめた。よくある事務的なものではなく。人生相談。ボランティア運営で金曜の夕方五時半から夜八時、場所は就労カフェ。パーテンションで相談室ぽくして。相談員には街のお爺ちゃんお婆ちゃん連中がやりだかったけど、説教染みたのは流行らんということで若い人・若手経営者などを相談員に据えた。若いというだけで俺も入ってる。つとまるわけがない。
〉一一月一七日。発表会おわった。口の尖った教育委員共やこの子たちを特援に送った連中が度肝を抜かれた。俺の担当、雄二くん。タイトルは「ランプ」。練習ではバッチリできた。でも、なかなか第一声が出ない。やつらはざわつく。それしかできない。透かさず、山田が俺の耳に呟く。前に行ってしゃがめ。そう言った。訳のわからないまま、そうする。雄二くんと目が合った。俺がうなずくと、雄二くんは朗読をはじめた。雄二くんは主人公のジロウと自分を重ねたんだろう。雄二くんにとって森は自分を取り巻く環境。ハンデがあるという歯がゆさは森に迷い混んだよう。普段は仲がいいが困ったときは知らないふりのウサギやリスはクラスメイト。行く手を阻む狐やコウモリ、熊は二枚舌のいじめっ子やうやむやにして問題解決をはかるやつら。そんな森でもサスケ、よし爺が寄り添い励まし、ピンチを救ってくれたオオカミのリリーがいたことでジロウは森から抜け出せる。雄二くんにとっての希望の物語だ。偏屈だが適切なアドバイスをするよし爺は山田だと思う。おっちょこちょいだ
が一本木でジロウを支えるサスケは。俺か? 俺はあんなにまっすぐではない。ずるいし嘘もつく。サスケになれるよう努力したい。まあ、憧れはリリーだけどね。朗読、朗読は大成功。拍手がなりやまなかった。
ちくしょう。涙が止まらないよ。ティッシュ、ティッシュティッシュがないぞ。この部屋。机の上にある使用済みティッシュ、これはなんだ。鼻水かあれか。まあいいや、濡れてない水っ気のない部分で拭こう。私泣きっぱなし。
〉一二月一日。山田が飯に連れてってくれた。昼飯は頻繁におごってくれるが夜ははじめてだ。馬料理がうまいという大衆居酒屋。馬刺をつまみながら、山田の話を聞く。酔っぱらった山田を見たことがない。熱燗を二本、三本。手酌でちょこをすすった。そして、呂律のまわらくなった山田がゆっくり語りだした。「個性がある子って要領よく出来るやつが嫉妬するんだよな。嫉妬がいじめに繋がるんだよ。バカはバカらしくバカやってろみたいな言い分。やつらの言い分。やつらはイーブンじゃない状況を作って潰すの得意だらな。要領いいから」何言ってるんだと。一瞬は思ったけど。雄二くんたちの生き辛さのことを言ってる。ちゃんと福祉をやってる人間・誰もが幸福であるべきと叫ぶ人間。それが山田だ。もう帰ろう。俺が言うと、山田が精神福祉ホームにいた頃の話をした。「重度の統合失調症の利用者がいてさ。その人は問題行動を繰り返すから鉄格子の部屋にいつもいた。意志疎通がとれないんだよ。食事投げつけたりもした。先輩たちは人として扱ってなかったな。オラウータンみ
たいだからオランさんとか、あだ名をつけてた。当直の時、その人に薬を飲ませる担当になってさ。とにかく薬ぎらい。だから薬渡さないで水だけ渡した。そしたらさ、手を出してきた。薬よこせって。びっくりしたよ。そんとき、わかったんだ。この人は意志疎通ができる。自分を眠らせる薬なんてのみたくないけど。お前、あいつらと違うから飲んで寝てやる。そんな感じ。最近の研究結果でこの手の人はコミニケーションが相手と取りにくい分、相手の気持ちや考えを読み取る脳の領域が人より大きいのさ。ホーム辞める時あの人さ涙ながしてくれた。あの時の頬を伝ったしずく忘れない。絶対」山田の原点を知った。しゃあない山田隆之。についていくか。
山田。いいやつだな。いい人に出会ったんだな。果物園の摘みたてジャムで財を成したブランド好きの社長さんがテレビで言ってた。果物には堆肥をあげ過ぎない。花は摘む。木は生命の危険を感じると果実にその栄養を送り込むらしい。まあ果実に限った話じゃないけどね形振り構わず必死な山田。甘やかさない山田。ぬるま湯に逃げ込んだ息子、負け犬体質が根付きはじめていた。そんな腐りかけの息子をひっぱがしてくれた山田。ありがとう。一度は実を落とした息子の人生。再びフレッシュな実をつける。どんどん大きくなれ。一方そばに、おなじ屋根の下にいたのに、何も気付かなかった。そう、私の眼は節穴。
〉一二月一五日。相談室を閉める午後八時。相談者がきた。カランコロンが鳴る。現れたのは迷える子羊、という感じはしない男。キャップを深くかぶって、ラフなかっこジーンズ姿だ。今日は山田がいないし。組から足洗うみたいな話に対応できる人いないぞ。みんなその男から目をそらすんで、俺が「相談員のご指名はございますか?」「矢島さん。あなたで」低い声で男は言う。俺かよ。俺のースに入って来た男はどかっと椅子に座った。あれっ、どっかで聞いた声だ。男はキャップを上げる。「よう」木村だ。さっきは低い声で攪乱しやがって、ようじゃねえよ。だから俺も「よう」と言った。木村は俺に説教を垂れやがった。電話にでんわとか、おやじギャグを言いながら。最後に「ジムの会長ぐらいに顔みせろや」そう言って、出て言った。もうたじたじだ。木村はわざわざこのために大阪から来たんだろうか。高校時代、何度勝ったことがあるからライバルなんだと思ってくれていたのか。木村「ありがとうな」
さすが、世界チャンプだ。木村いいやつだな。おちぶれたやつのために、私からも言うよ。「ありがとう」
〉一二月三〇日。昨日が仕事納めだった。だから、スマホを切って一日中家にこもってた。最高だ。また戻ろうか。やつが戻してくんないな。今、母さんが男を連れ込んだ。久しぶりだな。昔はよく、ストレス溜まったらよく連れ込でた。母さんも化粧を施せば、まだ男がついてくる。
うるせえな。コイツ。
〉一月一日。年が明けた。母さんに神社へ誘われたが断った。なんかに願うほど、行き詰まってない。まあ、山田に振り回されたくはないが、福祉はやりたい。
はーあ。私のお腹から生れたのに、コイツの気持ち読めなかった。勝手にあたりちらしてた。恥ずかしい。なんだこの音? なんだメールの着信か。あの女、トラップにひっかかりやがった。
「良いけど。店ってどういうこと?」
しらじらしい女。
暇だから顔でも拝もう。パソコンはこのままでいい。コイツ私に嘘ついてたんだから、怒れないでしょうよ。続きはまた今度。
駅に着いた。時刻は六時三分前。女が二人いる。どっちだ。ブスと小綺麗。
駅の向こう、息子が自転車を漕いでいる。家の方に。パーカーの背中が小さくなっていく。
あっ。ブスがどっかに行ったぞ。茶のパンツスーツ、風俗嬢の感じはしない。こういうのがうけがいいんだろう。この子ナンバーワンだな。きっと。そんな感じがする。役所の臨時職員なんかに狙い定めるなよ。そこらへんにいるだろ、小金持ちのじじいがよ。
女は一〇分経っても帰らない。仕事とは言えなんか、可愛そうになってきた。話掛けてみる。
「すみません」
その女は風俗嬢じゃなかった。仕事は英語通訳をやってると言う。私の勘違いだった。女、のぞみちゃんは妹が風俗で働いてることを息子に相談した。のぞみちゃんは自分の勘違い、本当はとなりのビルの歯医者に通ってたみたいなオチを願っていたが妹さんのバックから風俗店の名刺を発見。三玲という源氏名だった。息子は直接、妹さんと話し合う子とを勧めた。そのあと、息子とのぞみちゃんは妹さんをファミレスに呼び出す。山田はこっそりとのぞいてたらしい。妹さんは自転車で通行人の男を怪我させた。男は就職にひびくからと示談を提案した。示談金で五〇万。誰にも相談できない妹さんは風俗へはしってしまった。そこにジャジャンとあらわれた困った時の山田。山田はその人物を当たり屋とにらんだ。翌日、山田と息子は男に接触。山田は彼女が未成年なので示談契約をの破棄して警察に行こうと揺さぶった。案の定、拒んだ。あくまで私の推測だか、男は警察に行くと当たり屋常習犯だとばれてしまうから拒んだのだ。男は突然態度を変えたという。怪我は癒えたと言い出す。示談
の破棄を認め、これまで彼女が払った示談金も返した。山田は男から慰謝料をとろうとしたが、彼女はもう男と関わりたくないと、拒んだ。
悪いやつがいるもんだ。なんかドラマみたい。雄二くんに小説にしてもらえればいいのに。
「そうだったんだね」
今、流れでのぞみちゃんと食事をしてる。
「息子さんもう帰って来てるんですかね?」
「知らない」
「そうですか」
二人で大きいパフェをつつく。「会いたいなら、行けば」
「いいんですか」
「いいんですよいいんですよどんなに好きになったってもいいんですよ」と私は歌った。
「それラッドですか」
顔を赤くした。かわいいな。私なんて、寒空歩いても顔が赤くならなくなったよ。皮とファンデのせいで。
「暑い暑い」
のぞみちゃんはインナーの襟を伸ばした。
「私の化粧が?」
「違いますよ。冗談きついですよ」
「ファンデがきつい?」
「もう美月さん。いじめないで」
Lineの音が鳴った。
〉腹へった。飯は?
〉ファミレスのテイクアウト。かわいい子がデリバリーしてくれるよ。
〉なんだよ。それ
〉お楽しみにしてください
店を出て、のぞみちゃんをうちの団地までご案内。私は邪魔しちゃいけないと思って、息子が行った大衆居酒屋で一杯引っ掻ける。「山田か?」
私は暖簾をくぐって早々にカウンターに目をやり、そんな雰囲気を纏ったやつがいたから咄嗟に反応した。
「はい。山田です」
「そうか、あんたが福祉の山田か。下の名前は隆之だろ」
「はい」
「息子が世話になってんな」
」
山田と酒を飲んだ。店のテレビでは稀勢の里の優勝を騒いでいた。しばらくして、ジムの会長が来た。息子がたまに子供たちにボクシングを教えてるらしい。
「凛子さん。スマホ光ってますよ」
山田がLineの着信を教えてくれた。
なになに。
〉凛子さん。さっき一月一日の続き気になってたんで送りますね
お前は、読まなくていいんだよ。嫁気取りか。
〉そうだ母さんも幸せにしなきゃな。A五の肉でも食わすか。ですって
執行猶予確定ですな。
「凛ちゃん。どうしたの泣いちゃって」
不覚、何とかの目にも涙、だね。
山田と会長があたふたした。
〉息子、ごはんたべた?
〉完食ですよ。私デザートにされました
はい。はい。おかわりもどうぞ。
「山田。のむぞ会長のおごりだ」
「はい。お供します」
「今日は断れんな」
私たちは酒を酌み交わした。時間は長くないがハイピッチ。深酒してしまった。私と山田の眼が虚ろ。
「もうかえろ」
会長が言った
「美月さん」
山田は私に眼を向ける。
「なんだ」
「俺はね。革命起こしますよ」
「革命?」
「知能遅れだの。バカがうつるだの。ほざくやつはいる。言われる方は屈辱。でもね、そいつらの才能を伸ばして、見せつける。やつらに拍手、手を叩かすんですよ。見下したものに対しておくる拍手ほど屈辱に値するものはない。そう思うんですよ。俺」
「山田。愛してるよ。息子の上司とかもう関係ないわ。抱け」
「すいません。既婚者です」
「場末の不倫はセンテンススプリングされないでしょうよ」
私は山田に抱きついた。
「ストップストップ」
会長が割って入った。
「はい。レフェリーストップ。おわり」
山田はゴングを模してグラスを叩く。ゴングが鳴ってしまった。試合終了だ。
「ちくしょう。まだやれるのに」 と私は叫んだ。もう一〇若かったらな。
〈了〉