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第08話 ジュエルクラブ

「美味いな」

「そ、そうですねっ」


 目の前の魚をもぐもぐと口に運びながら、俺は思わず呟いた。

 白身魚の焼いた奴、それに何かのソースがけ。文字のするとそんな感じだが、結構美味い。


 店内をそわそわと気にしつつだが、シルフィンもどうやら楽しんでくれているようだ。それにしても、魚の食べ方が汚い。少し意外である。


 まぁ別に、飯の食い方なんかどうでもいい。しょうのない話で料理を冷ます女の百倍マシだ。


「……しかし、普通だな。普通の焼き魚だ」

「ふぉ、ふぉうでふかっ? んぐっ、すごく美味しいですけど」


 白身魚を飲み込み、シルフィンが聞いてくる。

 確かに、美味い。それは認めるがそうではない。俺はここに、ただ美味いものを食いにきたわけではないのだ。


「貝のスープに、小海老のサラダ、白身魚のグリル。……こんなもん、日本でも食えるわ」

「ニホン、ですか?」


 不思議そうな顔でシルフィンの首が傾いた。説明する気もないので、俺は待ちくたびれたと足を揺する。

 やはりここは、メインディッシュに期待しなくてはいけないようだ。


「お客様、こちらが本日のメインになります、ジュエルクラブでございます」


 期待を膨らませていると、ウェイターがなにやら盆の上に茶色い塊を乗せてきた。

 ぎちぎちと動くハサミと脚に、シルフィンがびくりと身体を竦ませる。


「おお、ありがとう。……思ったよりも普通だな」


 盆の上で動いている二匹の生き物に、俺は眉を寄せていく。

 ゴツゴツとした、岩のような甲羅。ハサミも脚も、無骨で岩石で出来ているかのようだ。


 ジュエルクラブというから、宝石のような蟹でも出てくるのかと期待したが、どうやら外れだったらしい。

 大きすぎることも小さすぎることもない殻の中身は美味そうだが、まぁ味も普通の蟹だろう。


「本日はこの、ルビー種とサファイア種を調理させていただきます。ボイルでよろしいでしょうか?」

「ああ、構わないよ。美味くやってくれ」


 俺の返事に、ウェイターが畏まりましたと頭を下げる。

 ちらりと覗いたジュエルクラブは、確かに甲羅の色がそれぞれ違っていた。茶色の中に、うっすらと赤みと青みが混ざっている。


 赤岩と青岩って感じだが、ルビーとサファイアとはご大層なことだ。去っていったウェイターの背中を眺めながら、俺はくすりと呟いた。


「まぁ、余興にはなったな。動いてるから新鮮そのものだ」


 多少なり、来た甲斐があったというものだ。生きたものを調理してすぐに。これはどこの世界でも贅沢なものである。

 

 脚を組み替え、ふと目の前に視線を向けた。


「……どうした?」

「い、いえ。ちょっとびっくりして」


 ぽけっと、シルフィンが食べる手も休めて俺の方をじっと見つめてきている。どうしたというのだろう。


「おいおい。まさか、生きてるところを見たから食べられませんなんて言うんじゃないだろうな?」

「だ、大丈夫ですっ! 食べますっ、食べますよっ!」


 シルフィンが叫んで、はっと口を手で覆う。静かな店内の気配を察して、シルフィンが恥ずかしそうに顔を俯けた。

 なんだろう。今日のシルフィンはどこかおかしい。いつものクールさが微塵もない。


「……す、すいません。こういうお店、初めてで」


 不思議に思いながら料理を待っていると、シルフィンの唇がわずかに震えた。泣き出しそうな声で呟くシルフィンに、ようやく俺は彼女の状況を察する。


 どうやら、エスコート役としては不十分だったようだ。

 見栄を張るだけというのは、どうもいけない。


「気にするな。女の初めてにケチをつける男など、どこにもおらん」


 気の利いたことのひとつも言えない俺では、彼女の相手に相応しくはないだろう。

 ただ、そうは言うものの、こうして食卓をすでに共にしてしまっている。


 なんとかシルフィンの機嫌を取り戻せねばと考えあぐねていると、彼女の顔がゆっくりと上がった。


「……おいしいです」


 言いながら、笑顔で白身魚を口に運ぶ。わけが分からん。情緒不安定か?

 とにかく機嫌が直ったのは良いことだと、俺は胸をほっとなで下ろした。


 そうこうしているうちに、盆を持ったウェイターがこちらに向かって近づいてくる。シルフィンのことを考えるのも、一旦はお預けだ。


 メインディッシュには、真摯な態度で臨まなくてはならない。




 ◆  ◆  ◆




「ジュエルクラブのボイルでございます」


 そう言われてテーブルに置かれた料理を、俺は口を開けてぽかんと眺めた。シルフィンも、目を見開いてそれを見つめる。


 煌びやかに光り輝く宝石が、きらきらと目の前のテーブルに鎮座していた。


「これは、凄いな」

「きれい……」


 思わず二人して溜息を漏らしてしまう。

 先ほどまで茶色く無骨な見た目だった外殻は、まさにルビー色とサファイア色に輝きを放ってきていた。


 驚愕に目を開く俺の視線を受けて、ウェイターが説明のために口を開く。


「ジュエルクラブの甲羅は、熱で処理をすることで宝石のように輝き出すのです。もちろん、お持ち帰りいただいて構いません」

「ほぅ。なるほど、それであの値段か……」


 言われてみれば、記憶の端に聞いたことがあった。ジュエルクラブ。そんな素材の装飾品を、バートの奴が取り扱っていた気がする。そのときは聞き流したが、まさか本当に蟹のことだったとは。


 ウェイターに礼を言い、俺は今一度まじまじとジュエルクラブを見つめた。


「ふむ。宝石の質としても申し分ない」


 透き通りながらも、存在感の強い輝き。炎のようなルビークラブに、海の青を思わせるサファイアクラブ。加工しなくとも、このまま飾っても十分に素晴らしい調度品だ。


「た、食べていいんでしょうか? これって」


 殻を眺めている俺に、シルフィンが恐る恐る聞いてくる。しまった。俺としたことが、一瞬だが食い気よりも宝石の輝きに魅せられていた。まさかシルフィンに食い気で負けるわけにはいかない。


「構わないさ。食うために頼んだんだ。……それにしても、宝石よりも食欲とは」

「ふぇっ!? ち、違いますよっ! そういうつもりではっ!!」


 慌てるシルフィンをやれやれと見つめながら、俺はジュエルクラブの殻に手をかけた。切れ込みが入っているようで、ぱかりと甲羅が手前に外れる。


「おっ、なんだ。中身は普通の蟹だな」


 柔らかそうな蟹の身。肉厚で美味そうだが、殻とは違い、中の身はそこまで特別でもなさそうだ。


「お、美味しそう……」


 じゅるりと蟹の身を見つめているシルフィンに、俺もくすりと笑みを浮かべてしまう。案外と彼女くらいの年齢の娘は、色気よりも食い気なのかもしれない。


「サファイアのほうが身が少しだけ青みがかっている気もするが、ほとんど同じだな」

「そうですね。ルビーのほうは綺麗な赤色です」


 シルフィンと見た目の感想を言い合うが、見ているだけでは埒があかない。シルフィンに促されつつ、俺は甲羅の中身ではなく脚の一本に手をかけた。


 ばきりと心地よい音がなり、シルフィンがびくりと身を固まらせる。見た目は宝石のようだが、とくに砕けるということはない。質感はもろに蟹の殻だ。


「ふふ、どこの世界でも蟹を食べるのは骨が折れるな」


 ご丁寧に脚にも切れ目が入っている。こういう心遣いは素直に嬉しい。そこから力を入れ、俺は脚に詰まった身を引き出した。


 ぶるんと、震える蟹の身が目の前に出てくる。

 シルフィンが見守る前で、俺はジュエルクラブの身にかぶりついた。


「どれどれ……んむっ!?」


 口に入れた瞬間、俺は驚きに目を見開いてしまう。


「むむぅッ!?」

「ど、どうしました旦那さまっ!?」


 叫ぶ、これは叫ぶぞ。表情の変化を心配しているシルフィンを無視して、俺は衝撃を口に出して叫んだ。


「美味いっ!!」


 美味い。もう一度言うが、美味いっ。

 ぶりんとした海鮮特有の弾力。上品で強力な甘み。ボイルしていてなお、中心に一層ねっとりとした旨味の層がある。


「おいおい。当たりかこれはっ」


 続けて一口を食べるが、やはり美味い。ほどよい塩加減も絶妙で、口いっぱいに蟹の旨味が広がっていく。


 正直、味は半分諦めていた。今までと同じで、見た目だけファンタジーなのだろうと。

 けれどどうだ、この濃厚な蟹の味は。ファンタジーかはともかく、これだけ美味い蟹は日本でもなかなか口にすることは出来ない。


「あふっ……お、おいひぃっ」


 目の前で蟹を咥えたシルフィンの顔が、締まりのないものに変化する。当然だ。さしもの鉄面メイドも、この蟹を食べればこうなってしまう。


「ふはは、これにして正解だったな。やはり高いだけのことはある」


 爪を一本手に取ってみる。ルビー色に輝く、蟹の爪。これだけでも美しい調度品のようだ。

 この美しい美術品をバキバキと割って身を取り出す快感。これは、確かにジュエルクラブでしか味わえない。


「あ、あの。高いって、どれくらい……」

「ん? 気にするな。君の給料数ヶ月分くらいだ」

「ぶふッ!!?」


 なにやらシルフィンが吹き出しているが、もったいない。テーブルマナーのなってない奴だと思いながら、俺は爪の膨らみから身を取り出した。


「んぅー、美味いっ。最高の味だっ」


 生の蟹もねっとりとして美味いが、熱を加えたことで旨味が凝縮されている気がする。それに、このぷりぷりとした食感。美味い以外の感想がない。


「数ヶ月分……私の……数ヶ月分……」


 ぶつぶつ言っているシルフィンが、少し心配になってきた。

 しかし、試しにシルフィンの蟹に手を伸ばしてみると見事に払われたので、どうやら心配は無用らしい。


「うぅ。おいひぃ、おいひぃでふ」


 なぜか泣きながら蟹を食べ出したシルフィンに、俺は首を傾げる。そこまで美味かったのだろうか。まぁ、貧民出のシルフィンには刺激が強すぎたのかもしれない。


「くぅ。この蟹味噌がまたっ!」


 まあどうでもいいかと思い直し、俺は甲羅の中身に匙を入れる。こそいだ身の集まりがまた、みそに合う。たまらん。


 ぐいっと高い果実酒を煽り、ふぅーと息を吐いた。久しぶりだ。久しぶりに満たされている。


「来てよかっただろう?」

「はい、よかったでふぅ」


 もぐもぐと口を動かすシルフィンを見て、俺は満足げに胸を張るのだった。




 ◆  ◆  ◆




「いやぁ、食ったな。そろそろ出るか」


 結局、食後のデザートまで食べてしまった。窓の外を見やれば、もう深夜を回ってしまっている。入るのが遅かったから仕方はない。


 水をぐっと飲み干して、俺はコートに手をかけた。

 せっかくの宿も寝なければ意味はないと、俺は立ち上がってコートを羽織る。


「どうしたシルフィン、帰るぞ?」


 もう出るというのに、なにやら慌てたようにテーブルを指さしているシルフィンを見て、俺は何事だと眉を寄せた。


「あ、あの旦那さま……ッ!? ジュエルクラブはッ!?」

「ん? 身がまだ残っていたか? ……なんだ、綺麗に食べているじゃないか」


 どうかしたかと思えば、シルフィンのほうの殻も綺麗に食べ尽くされている。よくぞまぁ、初めての蟹でここまでこそいだものだ。恐るべきは貧乏根性といったところか。


「食ったならいくぞ。腹がいっぱいで眠くなってきた」

「えっ!? お、お待ちくださいっ! ちょ、まっ、待ってっ!!」


 後ろでガチャガチャと音を立てているシルフィンを無視しながら、俺はひとつあくびを出した。帰ったら、もう一度風呂に入るのもいいかもしれない。


「ほんと、お待ちをっ! 旦那さまっ!? あぅッ!?」


 盛大に誰かがずっこけたような音が後ろでしているが、気のせいだろう。

 ガチャガチャと慌てて何かを拾う音を聞きながら、俺は口に手を当てた。


「……食い過ぎたな」


 げふぅと小さく腹を撫で、俺は満たされた気持ちで店の入り口へと歩いていく。

 今宵は、いい食事になった。



 ・・・ ・・・ ・・・




 ジュエルクラブ


 原産:オスーディア東部海域

 補足:世界中の海に生息している甲殻生物。岩のような外殻を持ち、岩場に擬態していると考えられている。外殻を加熱すると宝石のような輝きを生み出すことからジュエルクラブと呼ばれるようになった。

 生息域によって何色の宝石になるかは決まっており、装飾品として加工される場合は収穫地が値段を大きく左右する。餌や岩場の地質が影響されていると考えられているが詳しくは不明。最も高値で取引されるのはオスーディア北部にのみ生息するダイアモンドクラブ。


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