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第01話 バフィラスの世界樹(前編)

お久しぶりです。第4章アキタリア編スタートです。


「わぁ……!」


 クジラの背中の甲板で、シルフィンは目の前に広がる光景に声を出した。

 遠目に見えてきた大陸。ぼんやりとしたシルエットの中に、微かに港町とその奥の森と大きな影が見えている。


「シュンイチロー様! 見えてきましたよ!」

「ほう、すごいな」


 嬉しそうに指さすシルフィンの傍らで、俊一郎も目を凝らした。

 この世界では初めてとなる異国の地。異世界というだけも突拍子もないのに、更に未知の土地が広がる。


「来たぞ、アキタリア!」


 それでも、わき上がる胸の高鳴りを抑えられずに、俊一郎は眼前の大陸へと宣言した。



 ◆  ◆  ◆



「見てくださいシュンイチロー様!」


 シルフィンが驚いたように顔を上げる。クジラの客船に別れを告げ、降り立ったアキタリアの地。つられて上を見上げた俊一郎は、そこで出会った最初の奇跡に思わず小さく唸っていた。


「ほう。あれが噂に聞くアキタリアの世界樹か」

「お、おっきいですね……信じられません」


 わくわくした表情で見上げている俊一郎と、唖然と見上げているシルフィン。二人の頭上には、にわかには信じられない光景が聳え立っている。


 頭上遙か高くに伸びている大樹は、まるで天空に続く城のように巨大だった。

 いや、まさに城なのだろう。巨木の表面に備えられたバルコニーや窓を遠くに眺めて、俊一郎は感嘆の声をあげる。


「あの中に人が住んでるってんだからな。ほんとファンタジーな国だよ」


 窓からちらりと人影が見える。この目で見るまでは半信半疑だったが、こうして見てしまえば言い逃れはできない。


「アキタリアの国は世界樹と共に繁栄してきましたからね。大きな都市には決まって世界樹が生えているらしいです」

「なるほど。世界樹の根元に自然と街ができたってわけだ」

 

 得意げにシルフィンが解説する。このメイドは他国の基本情報も学習済みのようで、俊一郎は優秀な自分のメイドの説明に納得したように頷いた。


「クジラの客船も凄かったが、いやはや……来てよかったな。わくわくする話じゃないか」


 地図を片手に広げながら、俊一郎が城を見上げる。あれ以上のファンタジーは難しいのではないかと思っていたが、どうやらその心配は杞憂なようだ。

 この国ならば期待できそうだと胸を膨らませている主人の横で、シルフィンはしかし残念そうに下を向いた。


「うう……でもやっぱり名残惜しいです」

「ははは! 君、ずいぶんと満喫していたもんな!」


 よよよと指を咥えてしょげるシルフィンを、俊一郎が堪らず笑う。

 食事にマッサージに観劇と、このメイドは豪華な船旅を余すところなく楽しんだようだった。


「そりゃあそうですよ。あんな経験、私みたいな庶民には普通は一生無理です」

「それを言うなら海外旅行もそうだろう。船乗りでもなければ一生来ることなんてないぞ」


 言われ、恥ずかしそうにシルフィンが俊一郎の顔を振り向く。ニシシと笑いながら地図を弾き、俊一郎は何の気なしに言い放った。


「ま、いつかまたプライベートで乗ろうじゃないか。今度は俺の金でな」

「!」


 なにげなしに呟く俊一郎に、シルフィンの耳がぴこんと揺れる。


「どうした?」

「い、いえ別に」


 焦る顔を誤魔化しながら、シルフィンはけれど俊一郎の背中に向かって嬉しそうに微笑んだ。

 メイドの笑顔に気づかぬまま、主人はゆっくり歩を進める。


「確か……バートさんと合流する前に行くところがあるんですよね?」

「ああ、せっかくアキタリアまで来たからな。寄れる儲け話には寄らせてもらう」


 石造りのオスーディアとは違う土壁と木で造られた区々を進みながら、俊一郎は傍らの声に耳を澄ませた。

 

「ひとまず足を借りるぞ。バートから聞いたんだが、この国は移動手段もなかなかに面白いらしい」

「そうなんですか?」


 地図とは別にメモを取り出しながら、俊一郎は通り道にある店々を視線で指した。

 屋台のような店に、様々な品が売られている。


 中でも目を引くのは、やはりオスーディアでは中々お目にかかれないものだ。


「見ろ、市場の雰囲気も違うだろう?」

「確かに……ちょっと変わってますね」


 見た目の雰囲気もどことなしにエスニックな風味を帯びているが、大事なのはそこではない。

 屋台に張られた梁から釣り下げられた塊から、甘い香りの漂う蜜が下の壺へと流れていた。

 蟲蜜。この世界ではもはやお馴染みの、傍らのメイドも大好きな嗜好品である。


「オスーディアでは高級品の蟲蜜も、ここでは値段は十分の一以下だ」

「じゅ、十分の一」


 告げられた衝撃の値段にシルフィンがごくりと唾を飲む。十分の一とはいえ、元が元な高級品。この国でもそれなりの値ではあるものの、その価値は同じとはとても言えない。


「本来、それだけ海を渡るのは大変だということだ。勿論逆に、オスーディアだと当たり前のものでもこちらでは高値で取引されているものもある」

「はぁ……輸出品ってやつですか。学校でも習いますね」


 歩きながら指を立てる俊一郎にシルフィンも頷いた。

 紅茶やレース製品、果実酒などは代表的なオスーディアの特産品だ。それらは蟲蜜と同様に海を越え、今度はこのアキタリアの地でときに何十倍もの値段を付けられることになる。


「そうだ。特にアキタリア製品は……っと、ここだな」


 言いかけて、俊一郎が立ち止まった。一軒の店を見つめ、面白い形だと見上げる。

 円柱状のサイロのような建物には、「ムジャ小屋」と大きな字で書かれていた。



 ◆  ◆  ◆



 カウンターの奥に座ってる店長?を見上げながら、二人は困惑した顔で立ち尽くしていた。

 なぜかというと、大きい。なにがというと、店長がだ。


 大きなモップ犬のような獣人が、店の壁ミチミチに詰まってる。目は毛で見えておらず、口元はぼんやりとした犬っぽい。

 背丈は三メートルくらいはあるだろうか。この異世界をして、中々お目にはかからないサイズだ。それが、本当に店の奥一杯に詰まってる。


「す、すみません。森を抜けたいのですが」


 恐る恐る俊一郎が声をかける。唖然と見上げるシルフィンは、思わず俊一郎の袖を掴んだ。

「……。」


 果たして目が見えているのかいないのか。じーっと俊一郎を見つめる店主が、動いたかと思えば無言で毛の中から箱を取り出した。

 どうやら料金箱のようなそれを、俊一郎はどうしたらよいのかと見つめる。


「あ、あの……バフィラスまで行きたいんですが」


 一応財布を取り出すが、料金が分からない。

 すると、のそっと店主の身体が動き、壁に張られた料金表の方へと鼻が向けられた。


(自分で確認するのね……)


 アキタリアの地図に料金が書いている。

 代金を箱に入れながら、結局最後まで一言も発しなかった店主に俊一郎はひとまず頭を下げるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「しっかしまぁ……のんびりした乗り物だなこれまた」


 ゆっくりと流れていく森の景色に、俊一郎は呆れたような声を出した。

 ムジャと呼ばれる動物の容姿にどこか既視感を覚えながら、静かに揺れるゴンドラに肘をかける。


「なんか、さっきの店主そっくりだなこいつ。兄弟とかじゃないか?」

「ま、まさか」


 のそのそと進むムジャを見下ろして、俊一郎は背中に付けられたゴンドラから森を見回した。

 なんかモップ犬を丸くしたような動物だ。ただし、大きさは象ぐらい大きくて見ようによっては可愛らしい。


 さきほどの店主によく似ていて。冗談で話してみたが、偶然とは思えない一致である。


「旦那さま見てください! 野生の精霊があんなに!」


 そうこうしていると、森にふよふよと精霊が幾匹か漂っている。

 こうして目に見える実態を持った精霊はオスーディアでは珍しい。それこそ当然のようにいる精霊に俊一郎も目を向けた。


「お、手を振ってくれてるぞ。人懐っこいな」


 こちらに気づいた精霊が楽しそうに手を振ってくる。ケラケラと笑う純心そうな精霊たちに二人も笑顔で振り返した。


「精霊はオスーディアにもいますけど……やっぱりアキタリアで見ると感慨深いですね!」

「そうなのか?」


 興奮してる様子のシルフィンに俊一郎は首を傾げる。確かに珍しいが精霊ならばオスーディアにもいるし、なんならそれより珍しい妖精も見たことはある。


「なにせアキタリアは精霊大国ですからね!」

「ああ、確か魔法とは違う技術体系……精霊術が発達してるんだっけか?」


 詳しくは知らないが、この森や世界樹を見ているとなんとなくだが分かる気はする。

 やや科学チックに発達したオスーディアの魔法とは別の、ファンタジーに根ざした神秘がこの国はあるような気がした。


「そういえば、蛍木なんかも精霊と関係があったもんな。精霊大国とはよく言ったものだ」


 前にも言ったが、どうもこのアキタリアという国には妙な縁がある。理由はまぁひとつ思い当たるのだが、それはそれとしてと俊一郎は澄んだ森の空気を肺に入れた。


「世界樹もその土地の精霊によると言われていて、形や種類が場所によってそれぞれ違うらしいですよ」

「へぇ。そりゃますますファンタジーな話だ」


 シルフィンの説明に納得したように俊一郎も頷く。

 土地に根ざした世界樹。それは土地神とはまた違った形でこの国の人たちに神聖さを届けているのだろう。


「お、ちょうど話してたら……あれじゃないか?」


 のんびりとした旅も、いつの間にか森を抜けそうだ。

 森の木々の先に見えてきた巨大な枝葉の影を感じながら、俊一郎はまだ見ぬ土地の世界樹に期待の匂いを感じ取るのだった。


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