第16話 精霊の都アトランティス(2)
「はは……クジラの穴から入場か。洒落てんだかどうなんだか」
鯨の側面に備えられた階段を昇りながら、俊一郎は眼下に広がる港町を見つめた。
高さにすれば五階建てにも及ぶ高さだ。階段を昇るだけでも重労働で、これがファンタジーの限界かと俊一郎はため息を吐く。
「た、高いです……」
「頑張れ。もう少しだ」
見れば、貴族だろうか、恰幅のよい獣人の男性がカゴに乗って階段を昇っているが、勿論そんなものは雇っていない。
ふるふると下を見ないように震えているメイドを振り返りながら、俊一郎は近づいてきた頂上に目を向けるのだった。
◆
「どうぞ。これに乗ってお滑りください」
頂上まで来た俊一郎は、そう言って渡された革製のソリをマジマジと見つめた。
潮吹きの穴の側にはスタッフと思しき者が数名待機しており、傍らのメイドも同様にソリを渡されている。
「ま、まさか……これを滑るのか」
潮吹きの穴を見下ろした。生き物を感じさせる穴は人間が通るには十分すぎるほどに大きく、底の見えない暗穴に俊一郎は唾を飲み込む。
案の定、横を見れば高所恐怖症のメイドが愕然とした顔で下を見つめていた。
「シルフィン、先に行くぞ」
「えっ!?」
俊一郎はスタッフに促されるままにソリに乗る。後もつかえているし、メイドの覚悟が決まるまで待っていては後続の邪魔になりそうだ。
「お、お待ちを旦那さま!」
「待たん。後がつかえてるんだ。さっさと追ってこいよ」
そうして、俊一郎はシルフィンの目の前で本当に暗穴の中へ消えてしまった。
「あ、ああ……」
伸ばした手も虚しく、主人の姿が消えてしまう。そうこうしている内に、後続から人が来てシルフィンは泣きそうな顔でスタッフを見つめた。
にこりと笑われ、致し方ないと覚悟を決める。
「だ、大丈夫! ノーブリュードさんに比べれば! まだマシ!」
リュカが聞いていれば怒りそうな台詞を口にしながら、シルフィンは「ええーいこんちくしょー」とソリに体重を預けるのだった。
◆
「う、うぎゃあああああ!!」
着地点で待ち構えていると、自分のメイドの叫び声が穴の中から聞こえてきた。
割と早かったなと思いながら、俊一郎はもの凄い形相で滑り降りてくるシルフィンを出迎える。
「はーい。お疲れ様でしたー」
にこやかなスタッフに手を引かれ、ぐったりと立ち上がるシルフィンを俊一郎は愉快そうに笑った。
「死ぬかと思いました」
「ははは! あんなもん子供用の滑り台と変わらんぞ。……それより見ろ」
俊一郎に言われ、シルフィンが顔を上げる。
そして、目の前に広がる光景にシルフィンは「わぁ」と顔を華やかせた。
「すごいぞ。……気分はどうかね?」
「な、治りました」
呟くシルフィンに俊一郎もニカリと笑う。このメイドの高所酔いを一瞬で醒ますほどの光景。
それも当然だろうと、俊一郎は眼前に広がる光景を深く息を吐きながら見渡した。
「いい、いいぞ。実にいい……」
文句などない。そう心で呟きながら、俊一郎は一歩前に進む。
そこには、黄金郷が広がっていた。
階層にして十数階。海面に出ていた高さは半分以下だったらしい。グランドシャロンにも匹敵する階層の建物が、街としか思えない空間の左右に広がっていた。
その中央を吹き抜ける巨大なスペース。眼下には、まるで王都のメインストリートのような賑やかな通りが広がっている。
その奥に聳えるのは、黄金で出来た宮殿。「ここは夢か?」と呟きそうになりながら、俊一郎は疼く身体をうち震わせた。
「行くぞシルフィン! こんなところで立ち止まってられん!」
「は、はいっ!」
俊一郎の声にシルフィンが慌てて鞄を持ち上げる。
感動的な光景。見ているのもいいが、足を運べるなら運ぶべきだ。
年甲斐もなく早足になりながら、主人とメイドは黄金郷のメインストリートへと一目散に駆けていった。
◆
「う、おお……すげぇ。本当に街が入ってやがる」
客席が並ぶ階層を抜け、一階まで駆け下りた俊一郎は感動に声を震わせていた。
どれくらい感動したかというと、傍らにメイドがいるのに口調を取り繕うのを忘れるほどにだ。
「だ、旦那さま! 服屋さんがありますよ!」
「見ろ、あっちはジュエリーショップだ!」
本当にここは鯨の体内なのだろうか。街が丸ごと飲み込まれたように、煌びやかな店々が二人の目の前に建ち並んでいる。
そこを行き交う人々はなるほど、ひと目で上等だとわかる身なりの者たちばかりだ。
「い、いかん。俺としたことが興奮してしまった」
「なんかお上りさんみたいですね私たち」
シルフィンがきょろきょろと辺りを見回す。周りの人たちはこの光景を当然だと言わんばかりの顔で闊歩していて、口を開けている二人をくすくすと見やる者もいた。
「……胸を張り給えシルフィン。俺たちだってオスーディアの王都出身だ」
「い、いえ。私の出身はアルフ村ですが」
そんなもん今はどうだっていい。たとえ地球の故郷がど田舎の漁村だろうと、こっちでは王都出身と言って差し支えない。
あまりのファンタジーに興奮してしまったが、落ち着いて見渡せば街自体は王都のメインストリートに及ぶかどうかといったところだ。
「まぁ、服や宝石は後にしよう。それより飯だ」
「そ、そうですね。お腹空きました」
珍しくシルフィンも賛同する。いきなりの出立だったので食事を済ませておらず、ここはなんとしても当たりを引きたい。
「一発目が重要だからな。行くぞシルフィン、最高の飯屋を探すんだ」
「はいっ!」
なにせこれだけ広大な腹の都市だ。レストランを探すのにも一苦労だぞと、俊一郎は気合いを入れて腹の向くままに一歩を踏み出すのだった。
◆
「と意気込んでみたものの……拍子抜けするほどにあっさり見つかったな」
「わかりやすかったですね」
数分後、二人は椅子に体重を預けながら、至極すんなりと発見した店の中で客席を見回していた。
ご丁寧にレストランまでの道筋は看板でナビゲートされており、一切迷うことなく直近の店まで足を運ぶことができた。
「いくつか飯屋はあるようだが……雰囲気もいいし一発目としては正解っぽいな」
「そ、そうですね。素敵です」
店内は落ち着いた雰囲気で、鯨の中だからだろうか。内装は海をイメージして作られているようだ。
ニルスの巨大水槽ほどではないが、店の中央では水の魔法による水柱のイリュージョンが展開されており、それを背景に人魚の歌姫が優しい声を奏でている。
「人魚の声のBGMか。これほどの贅沢はないな」
薄暗い店内だが、テーブルの上の円柱状の水槽に浮かんだクラゲが幻想的な光を発していた。決して強すぎない、緑とも青ともつかぬ淡い光だ。
「ふふ、見ろ。メニューに値段が書いてないぞ」
「ほ、ほんとですねっ」
以前は女性のメニューだけだったが、今回は男性側である俊一郎もだ。それも当然で、この船内での飲み食いは全て無料で提供される。
さすがにジュエルクラブほどの食材はないものの、高級といって差し支えない素材の料理が出し惜しみなく並んでいた。これを自由に食べ放題というのだから嬉しい目眩がしてくる。
「値段がわからない以上、もの珍しさで決めたいな」
「……あ、それでしたら旦那さま。この女神貝のムニエルなんていかがでしょう? 聞いたことないです」
シルフィンの指さした場所を俊一郎は確認する。確かに、女神貝のムニエルと書かれていて、響き的には美味しそうだ。
「ほう、いいかもしれないな。せっかくだしシーフードにしよう。でかしたぞシルフィン」
「えへへ」
褒められて耳をピンと揺らすメイドを見やりながら、俊一郎はくすりと笑った。
相変わらず多少は緊張しているようだが、それでも以前に比べれば随分とマシだ。さすがにこれだけ連れ回せば多少は慣れるということだろう。
「どうしました?」
「ふふ。いや、なんでもないよ」
微笑む俊一郎をシルフィンが首を傾げて見つめる。それにもう一度笑みを浮かべつつ、俊一郎は通りがかったウェイターを呼び止めるのだった。




