第15話 精霊の都アトランティス(1)
「シュンイチロー、お前にはアキタリアに行ってもらう」
そう言って差し出された資料を、俊一郎はふむと受け取った。
驚いている傍らのメイドは無視して、手元の資料をぱらぱらとめくる。
「……あんまり驚いてないな」
「そりゃあな」
俊一郎は一旦紙束をテーブルに置くと、来る日が来たかと椅子に背を預けた。
「正直、そろそろ来るなとは思ってたよ。こんなものも買ったことだしな」
懐から小瓶を取り出し、それをバートの目の前へことりと置く。中に入れられた世界樹の実を見やって、バートが「ほぅ」と口を開いた。
「これが実物か。……なるほど、ただの種じゃあないな」
「俺にはただの種に見えるがね」
この世界において、少々形が変わっているだとか、光っているだとかはなんの不思議にもならない。
その実に宿るという精霊の力も、地球生まれの俊一郎からすればちんぷんかんぷんだった。
「それ、本当に世界樹の種なのか?」
「ん? さぁね」
バートの声に俊一郎は眉を寄せた。大枚を叩いたのだ。そんなことでは困ると睨んだが、バート自体はなに食わぬ顔だ。
「アキタリア皇室にすら、現存するのは何粒なのやら。下手をすればこの実が唯一無二の可能性すらある。例の秘伝栽培とはレベルが違うということだ」
「なるほどね。真贋の判定は向こうに行かないとというわけか」
魔法と精霊は似て非なるものだ。いくらあの発明王に見てもらったところで、確実な真贋の見分けは不可能だろう。
正直なところ、バートも本物だと確信しているわけではない。というよりも、十中八九偽物だとは思っている。
「万が一があるということだ。そして当たりを引いたときの価値は計り知れない。……ま、これくらいの博打を打つくらいには余裕がでてきたということさ」
「そりゃ景気がいいことで」
紅茶のカップを手に取って、ずずと口に含む。上質なエルダニア産の一等茶葉。さすがは四大貴族様だが、うちのメイドの方が上手く淹れる。
「俺の仕事は真贋の判定か? もし本物だったらどうすればいい?」
「そのときはお前に任せてもいいが……そのときは渡して欲しい人物がいる」
もう一束、バートからもうひとつ資料を渡される。それにざっと目を通して、俊一郎はぴくりと眉を上げた。そして面倒そうに息を吐く。
「……アキタリアの政治に首を突っ込むってわけか。気が滅入るね」
「まぁそう言うな。味方は多い方がいいし、その味方だって強い方がいい」
苦笑しながら、俊一郎は渡された資料をしまい込む。どうやら自分の勘は当たっていたようだ。
旅支度を調えているシルフィンを見やって、俊一郎は仕方がないなと腰を上げた。
◆ ◆ ◆
「こ、このままアキタリアに行くんですよね?」
「そうらしいな。バートもせっかちなことだ」
ニルスに向かう鉄道の中で、シルフィンは落ち着かない様子で窓の外と俊一郎の顔を交互に見つめている。
遠出はするかもと聞いてはいたが、まさか海外だとは思っていない。
「俺もこの世界で海外旅行は初めてだな。……君は、あるわけないか」
こくこくと頷くシルフィンを見て、俊一郎はため息を吐く。初心者同士、心許ないことこの上ない。
「だ、大丈夫でしょうか!? 船で行くんですよね!?」
海外とかいう以前に、目の前のメイドは海すら見たことがなかったのだ。当然船旅などしたことがなく、その不安は計り知れないものだろう。
「その点については心配ない。おそらく世界で一番安全な船旅だろうよ」
懐からチケットを取り出して見せてやる。その黄金に輝くチケットに、シルフィンは目を丸くした。
「アトランティス号。アキタリアとオスーディアを行き来している、世界中の金持ちが集まってる豪華客船だ。俺も話に聞いてはいたが、さすがに楽しみだな」
「ご、豪華客船ですか」
シルフィンには馴染みがない響きだ。客船なんて豪華なものじゃないかと思ったが、今回の船はわざわざ豪華と言い張るほどに豪華らしい。
「バートから聞いたんだがな、船の中のサービスは基本無料で自由に使えるらしいぞ。もちろん食事もだ。これは食うしかあるまい」
俊一郎のにやり顔にシルフィンは驚いて耳を疑う。無料と言うことは、タダってことだ。
「そ、それって私もですか!?」
「当然だ、こうしてちゃんとチケットを購入しているからな。値段聞いたらたまげるぞ。リュカさんのとこの航空券すら問題にならん」
シルフィンは頭がくらくらしてきてしまった。こんな経験、一介のメイドがしていいものではない。
それこそ貴族の屋敷に長年仕えたメイド長や執事長でようやく、主人の側近として帯同が許されるのだ。
「いやぁ、海外出張なんて面倒なことしたくはないがな。こういう役得があるなら話は別だ。せいぜいこの世界のセレブどもの暮らしを堪能しようじゃないか」
「わ……私は素直に堪能できそうにありません。うっ」
思わずシルフィンが吐き気を催す。なんとか耐えたが、緊張やらなんやらで既に喉まででかかっている。
「おいおい勘弁してくれよ。一応ヒロインなんだから」
「も、申し訳ないです」
前途多難なメイドを見つめつつ、俊一郎は漂ってきた海の香りに鼻を鳴らす。
世界一の豪華客船、いやおうなく期待も膨らむというものだ。
「問題はレストランだな! 日数限られてるから、気合い入れて食わないと!」
「そ……そうでふね」
食べれるかしら。そんな不安を抱きつつ、シルフィンも嗅ぎなれない海の香りに顔を上げるのだった。
◆ ◆ ◆
頭上を見上げて、二人は唖然と口を開けていた。
世界一の豪華客船。巨大だとは思っていたが。
「……はは、こりゃあファンタジーだな」
眠そうに半分閉じている目玉を見やって、俊一郎はやれやれと呆れてしまう。
太古の昔、アトランティスと呼ばれた精霊が集う黄金郷。
大海原を移動する都市を飲み込んだ大鯨が、当然の顔をしてニルスの沖に停泊している。
「だ、旦那さま……生きてますよ」
怯えるメイドの声を聞きながら、俊一郎はこりゃあ期待できそうだと、腹の中で待っているであろうレストランのメニューに想いを馳せるのだった。
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