第14話 雨の日
雨が降る窓の外をじっとメイドは見つめていた。
「よく降りますねぇ」
王都に帰ってきてから数日ほどずっとだ。まぁ、旅程と重ならなくてよかったかとシルフィンは曇った窓に指を通す。
ついと引かれた指跡にくすりと笑って、シルフィンはぐいっと一度伸びをした。
「あ、シルフィン。ちょうどいいところに」
腰を曲げていると、聞き慣れた声が廊下から聞こえてくる。振り向けば、雇い主が資料片手にこちらへ歩いてくるところだった。
「バートの屋敷に行く件だがな、来週になった。もしかしたらそのまま遠出になるかもしれないから準備しておいてくれ」
「来週ですか? わかりました」
このタイミングでとなると、シルフィンにも想像がつく。例の世界樹の種の件だろう。
正直、彼女自身も半信半疑だが、他ならぬ彼らが本物だとして動いているのだ。それはつまり、たとえ偽物であってもただの種ではないということ。
メイドに口を挟める領分ではないと、シルフィンは与えられた仕事にこくりと頷いた。
「しかし、どうした? 珍しくボーっとしていたが」
「ああ、窓の外を見ていまして。よく振るなぁと」
シルフィンに言われ、俊一郎も「そう言えばそうだな」と眉を寄せる。
「確かに。ここ数日ずっとだな。……遠出をするときは晴れてくれるといいんだが」
「旦那さまは雨はお嫌いですか?」
質問に俊一郎は腕を組んだ。お嫌いですかと聞かれても、好きですという奴もそうそういないだろう。
「恵みの雨というのも頭では理解できるが、どうにもな。泥は跳ねるし肩は濡れるしで、正直好きではないな。……あと、階段も滑りやすくなるしな」
「はぁ。気をつけないといけませんね」
気のないシルフィンの返事に俊一郎は苦笑する。
その通り、雨の日は足下には気をつけないといけない。さもなければ、楽しみにしていた昼食を逃した挙げ句、知りもしない異世界なんぞに連れて来られる羽目になる。
「ま、今ではそう悪くないと思っているがな」
「そうなんですか?」
不思議そうに首を傾げるシルフィンに俊一郎はくすりと笑った。
色々と恋しいものも多い異世界だが、それでも悪くないと思わせてくれるのだから女というものは恐ろしい。
「君はどうだね? 家庭菜園とかもしてるから、雨は好きそうだが」
「私ですか? そうですねぇ」
俊一郎に聞かれ、シルフィンは窓の外を見つめて目を細めた。
家庭菜園といっても趣味レベルの小規模なもので、なんなら水やりなどジョウロで数分である。
「靴が濡れるので嫌いですかね。あと、髪がごわごわするんですよ」
「靴?」
髪の話も気になるところだが、俊一郎はシルフィンの口から出てきた言葉に首を傾げた。
「……旦那さまのような立派な革靴はどうか知りませんが、私のような者の靴は濡れると水が入るんですよ。靴下が濡れると気持ち悪くて」
「ああ、なるほど」
それなら俊一郎にも理解できる。スニーカーで水たまりに入ってしまうと、水が浸透してぐぽぐぽと気持ち悪いのだ。
小学生のときはそれが嫌で雨の日はスリッパで登校していたことを思いだし、ふむと俊一郎は腕を組んだ。
(靴ねぇ……)
窓の外を見つめる。この世界に梅雨があるかどうかは分からないが、どうもしばらくは続きそうな曇天だ。
よしと頷いて、俊一郎は来た道を戻り出す。
「夕飯、少し遅めでいいぞ」
珍しい主人からの申し出に、メイドは驚いて眉を寄せるのだった。
◆ ◆ ◆
「ど、どうしたんですかこれ!?」
その日の夜、夕食が終わった食堂でシルフィンは唖然と口を開いていた。
目の前には深紅の色合いが綺麗な、けれど妙な形の靴が置かれていて、隣では主人が満足そうに夕食の味を反芻している。
「靴が濡れるのが嫌だって言ってただろ? 最近雨も多いし、長靴があればいいかなと思ってな」
「な、長靴……ですか?」
聞き慣れない単語にシルフィンは目の前の赤い靴をじっと見つめる。
確かに名前の通り上が長くて、少しだけヒールになっている形はかなりお洒落だ。つついてみると、靴とは思えないグニグニした触感が指に伝わってきた。
「ゴム製だからな。濡れても水を通さないし、これで雨の日も大丈夫だ」
「そ、それはいいんですが……」
じぃっと靴をシルフィンは睨む。見たこともないデザインに、聞き慣れない素材。そしてこの全体的に漂う高級感。どう考えても普通の品ではない。
「どこで買ったんですか?」
「ん? アラン工房だよ。さすがは四大貴族御用達だ。見た目も洒落てるし、可愛いだろ?」
やっぱり。予想通りの名前が出てきて、シルフィンは小さく息を吐いた。
プレゼントは素直に嬉しいが、高級品というのは貰うほうも中々にプレッシャーなのだ。値段は聞かないでおこうと、シルフィンは長靴を引き寄せた。
「……なに見てるんです?」
「いや、履いてくれるかなと思ってね」
にこにこと微笑んでいる俊一郎に、シルフィンは「仕方ないか」と観念した。別にいつでも履いた姿は見せれるだろうが、新品の状態で履けるのは今だけだ。
靴を脱ごうと屈んで、シルフィンは顔を向けている俊一郎を睨みつけた。
「あの……見られると恥ずかしいんですが」
「おお、そうか? すまんすまん」
睨みつけられて俊一郎は目を逸らした。靴を履き替えるところのなにが恥ずかしいんだろうと思いつつ、女心の複雑さにやれやれと肩を竦める。
「……履けましたけど」
数分後、疲れた声のシルフィンに振り向いて俊一郎は手を叩いた。
「おお、似合うじゃないか。可愛いぞシルフィン」
「かっ!? そ、そうですかね?」
ストレートに褒められてシルフィンの顔が赤くなる。数歩だけ歩いて、シルフィンは履き心地のよさに顔を明るくした。
「サイズもぴったりです」
「そうか、よかった。まぁアランさんに確認したから大丈夫だとは思っていたが」
俊一郎も満足そうに笑みを浮かべる。プレゼントに靴は悪手だとはいうが、まぁ今回ばかりはいいだろう。
「その……あ、ありがとうございます」
ぎこちなく礼を言ってくるメイドを見やって、俊一郎はからかうように笑うのだった。
◆ ◆ ◆
雨が降る窓の外をじっとメイドは見つめていた。
「今日も雨ですか」
連日雨続きで、こうも空が晴れないと気持ちも曇ってきそうである。
今日も夕飯の買い出しには出ねばならず、だとすれば少々陰鬱な空模様だ。
「……さて、行きますか」
しかし、シルフィンは軽い足取りで玄関まで歩いていった。
今日は少し豪勢にしてみよう。そんなことを思いつつ、傘立てから傘を抜く。
立派な骨組み付の傘だが、これでも足下の雨粒は防げはしない。
「いってきます」
誰が聞いているわけでもない空間に向かって、シルフィンは小さく呟いた。
出てみると、案の定かなり強い雨が振っている。
足下に大きな水たまりがあるのを見て、シルフィンは恐る恐る足を近づけた。
「……!」
その感激に、シルフィンの目が見開かれる。
「ふふ♪」
雨の日にも関わらず、メイドは笑顔で市場への道を駆けていくのだった。




