第12話 精霊の国
大仰なトランクの中を見て、俊一郎は思い切り眉を寄せた。
「……これは?」
それもそのはずで、トランクの中には小指の先ほどの小さな粒が転がっていたからだ。
「……種か」
目を凝らし、俊一郎はそれを見やる。
粒の表面にはよく見ると小さなしわが寄っていて、どうもなにか植物の種のようだ。
なるほどなと俊一郎は思案する。バートが金に糸目を付けないほどの食い物などパッと想像できなかったが、種だというなら可能性は無限大だ。
事実、現在進めているライトロードのプロジェクトは蛍木の光玉の苗を一株偶然手に入れたことからスタートしたもの。ひとつの種でも、大枚をはたく価値があるものはあるだろう。
「なんの種だ?」
「へへへ、びっくりするぜ旦那」
そう言って、大げさにマークは両手を広げた。恭しく腰を折り、種に向かって手のひらを向ける。
「なんとこちら、世界樹の種になりまーす」
「世界樹!?」
予想していたよりも遙かに大げさな言葉に、俊一郎は思わず声をあげた。
もちろん、あの長老の森を思い出す。あれは世界樹といっても差し支えのないもので、事実リュカもそう言っていた。
であるなら、俊一郎は種どころかその実を食べたことがある。
「アキタリアの国がどんな風になってるか知ってるかい?」
その言葉に、俊一郎は目を見開いた。それこそ教科書で学んだ知識だが、だとすればとんでもない。
ちらりと覗いた俊一郎の視線に、シルフィンはこくりと頷いた。
「アキタリア皇国は国土のほとんどを森林で覆われた精霊大国です。国民は巨大な木の上に住むとも言われ、残った土地で稲を育てて生活しています」
一拍置き、ごくりとシルフィンは目の前の種を見つめた。
そんなことあり得るのだろうかと、言葉を続ける。
「ですが、国の中心……皇族の方が住むお城は、ただの巨木とは一線を画します。精霊が集うのではなく精霊を生み出すその大木は、アキタリアの方々の間で『世界樹』と呼ばれ崇拝されているのです」
説明に俊一郎はごくりと唾を飲み込んだ。本当だとすれば、金がどうこういう問題ではない。
「ちなみに、世界樹が実を付けるのは500年に一度って言われてる。正直、実が生っているところを見た奴は誰もいないんだ」
マークの声に俊一郎は眉を寄せた。こんなもの、食い物の範疇を越えている。食った日には、腹から根が突き破って死んでしまいそうだ。
「ならなんでお前がそんなご大層な実の種を持っている。誰も実ってるのを見たことがないんだろ?」
もっともな質問に、マークも愉快そうに笑みを浮かべた。
「そりゃあ、こいつがその500年前の実から取れたうちの一粒だからだよ。……ま、正直言うと俺も半信半疑だけどね。本物なら、ぶっちゃけ持ってちゃ命が危ない代物さ」
素直にマークは白状した。世界樹の実など、おとぎ話の世界の話である。
「たまたま手に入れて、どっかの物好きに売ろうとしたら、あんたんとこの大将が裏で出張ってきた。……商売人としちゃ興味を引かれる話さ。まったく信じてなかったけど、大金ぐらいを稼ぐにはちょうどいい話だ」
要は、マーク自身はこの種が本物なんて思っちゃいないということだ。ただ四大貴族さまが欲しがる代物なら、彼にとってはその真贋などはもはやどうでもいい。
「欲しい品を、欲しい人に売るのが仕事でね。金さえ貰えたら俺は帰るよ」
マークの声に、俊一郎は考えこんだ。だが、取るべき行動は決まっている。
懐から取り出した小切手に、俊一郎は妥当な値段を記入した。
「……桁一つ多くない?」
渡されたマークが、少し引く。ただ貰えるのなら文句はないと、マークはそれを懐に仕舞い入れた。
「金持ちってのは、いるもんだね。日陰者にゃ眩しすぎる世界だ」
トランクを俊一郎に手渡すと、マークは手ぶらで倉庫を後にした。
同感だと頷く俊一郎の胸ポケットに、ぐしゃりとメモを突っ込んでいく。
「一応、俺の連絡先入れとくよ。ま、欲しいものがあったらそこに来て」
見ると、そこには街の名前と一軒のバーが記されていた。ありきたりな奴だと、俊一郎はマークを見送る。
トランクの中に鎮座している小さな種を一度見つめて、俊一郎はゆっくりとトランクの鍵を閉めるのだった。
◆ ◆ ◆
「せ、世界樹って……本物なんでしょうか?」
「知らん。ただ、バートの奴が動いたんだ。それなりに信憑性はあるってことだ」
ほとんど空のトランクを俊一郎は持ち上げる。軽すぎて違和感があることこの上ない。
面倒だと、俊一郎はトランクを開けると中から種を取りだした。
胸元から蟲蜜玉の小瓶を取り出し、コルクの栓を抜く。
「シルフィン、手出せ」
「え? あ、はい!」
ごろごろと蟲蜜の飴玉が手のひらを転がって、シルフィンが目を見開いた。
「やる。休憩中にでも舐めるといい」
空いた小瓶に種を丁寧に入れながら、俊一郎はその種を見やった。
瓶の底に転がる小さなそれは、とても世界樹などという大仰なものには見えない。
「これが本物なら、こいつを植えたところに国ができるってことか?」
そう考えれば、確かに破格の品ではある。
けれど俊一郎の呟きを、必死になってハンカチで飴を包んでいるシルフィンが遮った。
「それは……無理だと思います」
「なに? そうなのか?」
だとすれば、この種になんの価値があるのか。俊一郎の当然の視線に、シルフィンは包みを胸元にしまいながら説明する。
「世界樹が育つ土地は、アキタリアだけと言われています。……まぁこの話も結局はおとぎ話に近いんでしょうが」
シルフィンの話に俊一郎は納得した。要は土地か水か空気か、はたまた異世界特有のファンタジー成分か。なにかの条件が揃わなければ世界樹は育たないということだ。
「面白い」
手のひらの中に国が入っているかと思うと、不覚にも胸が震える。
親友がなにをさせようとしているかなど知るわけもないが、今回の仕事も中々に骨が折れそうだ。
この間の、皇女様の顔が思い浮かぶ。
未だ見ぬアキタリアの国を想いながら、俊一郎は不適な笑みを浮かべるのだった。




