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第07話 魔法水槽と発明王

「疲れた……」


 シルフィンは、ベッドの上に横になった。天井を見上げ、ふかふかとした背中の感触に目を瞑る。


 魔導鉄道での旅。立ったままではないとはいえ、宿場町に寄ることなく一気にニルスまでやってきた。座席で寝た背中が、未だに痛い。


 あの人は大丈夫だっただろうか。案の定、うめき声を上げながら寝ていたが。

 自分のように庶民の生活には慣れていないだろう。そんな心配をしながら、シルフィンはベッドのシーツを手繰り寄せる。


「いい香り」


 石鹸の匂いだ。他でもない、自分の髪から漂う香り。

 久しぶりの湯船は、天にも昇る気持ちであった。


「凄いや。お風呂とか」


 簡易的とはいえ、部屋に備え付けの風呂。ちょっと想像できない世界だった。呟きながら、シルフィンは自分とは縁のない世界に想いを馳せる。


 使用人の部屋など、良い部屋をあてがう必要もないのだ。何なら、別の安宿でもいい。

 彼女が田舎から出てきたときは、宿場町の縄宿で立ったまま眠ったものだ。建物の中にロープを貼っただけの、宿とも言えない夜を過ごす場所。


 この部屋の代金で、あの縄宿にいったい何泊できるのだろう。そんなことを、シルフィンはぼんやりと思い浮かべた。


「ほんと、不思議な人」


 出不精かと思えば、ここにはご飯を食べに来ただけらしい。旅行や仕事のついでならともかく、そこまでする人なんて聞いたこともない。


 種族もよく分からない。エルフのようだが、あんなに耳の丸いエルフは珍しい。耳の形を聞くのはとても失礼なことだから黙っているが、言えない苦労もあっただろう。


「……悪い人では、ないのよね」


 変わった人だとは思うが、シルフィンは未だに自分の雇い主のことがよく分からない。

 分かる必要もないと思っていたが、少しだけ心が変わっている自分に戸惑う。


 メイドに必要なのは、張り付けた笑顔と淡々と業務をこなす生真面目さ。日々の与えられた仕事を、迅速かつ的確に。それでいいと思っていたし、自分はそれくらいしか出来ないと彼女は思う。


「シュンイチロー、さん」


 呟いて、シルフィンは自分でも驚いたように口を閉じた。慌てて、扉の方へ目を向ける。

 ほっと胸をなで下ろし、シルフィンはごろんと横に身体を倒した。


「シルフィン! 飯だっ、行くぞおっ!」

「って、きゃあああああああッッ!?」


 勢いよく開け放たれた扉の音に、シルフィンの叫び声が木霊する。跳ね起きたシルフィンを不思議そうに眺めながら、俊一郎は眉を寄せた。


「何をやってるんだ君は、そんな格好で出かけるつもりか?」

「へっ? ……えっ?」


 シーツで身体を隠しながら、シルフィンは混乱した頭を立て直す。

 今現在、シルフィンは裸に薄い布服を纏っただけだ。今日はもう寝るだけだと思っていたから当然である。


「あの、出かけるとは?」


 恐る恐る、俊一郎に質問する。死んだような瞳をしていたのは、どちらかといえば彼の方だ。まさかとは思うがと、シルフィンは窓の外の月を見やった。


「夕飯に決まっているだろう。何のために来たと思っているんだ、早く着替えろ」


 案の定な答えに、シルフィンはあんぐりと口を開ける。

 どうやら、腹が減っては大人しく寝ることもできないらしい。




 ◆  ◆  ◆




「あの、どこで食べるのですか?」


 ニルスの町並みを見渡しながら、シルフィンが聞いてきた。

 電灯ではなく油式の街灯を見上げながら、俺は懐から一枚の紙を取り出す。そこには、数件のレストランの名前が書かれていた。


「抜かりはない。バートの奴に、有名な店を聞いておいた」


 ここニルスは、ただの漁村ではない。貿易というのは、物が運ばれてくるだけではないのだ。物を運ぶためには、人も移動しなければならない。

 その中にはアキタリア皇国の重鎮のような金持ちもいて、もちろんこの港に降り立つことになる。


 その場合、すぐにエルダニアに向けて出発するのか? 答えはノーだ。一日くらいは、どこかで宿を取るはず。

 そういう上流の方々に向けた店も、この街には当然ながら存在する。


「新鮮な海鮮というだけで素晴らしいがな。どうせなら、異世界の海というものを堪能しようじゃないか」


 つい笑い声が出てしまう。心配そうな顔でついてくるシルフィンに微笑みながら、俺は目の前に現れた看板を愉快げに睨んだ。


「ここだ。……くく、洒落た外観なことだ」


 足を止め、店を視界に収める。

 白い石造りの壁のところどころに、貝殻が埋め込まれている。そして、店から漏れてくる美しい音楽。見るからに、他の店とは一線を画す高級な店構えだ。


「こ、ここで食べるんですか?」


 服の裾を摘み、シルフィンが不安そうな声を出した。恥ずかしそうに、自分の格好を見下ろしている。


「どうした?」

「いえ、その。変ではないでしょうか?」


 水色のドレスを確認しながら、シルフィンは居心地が悪そうに聞いてきた。どうも、ドレスを着た自分に違和感があるらしい。


「問題ない。金を持っているだけの娘より、よほど似合っている」

「そ、そうでしょうか?」


 サイズが不安だったが、支障はなさそうだ。ここら辺は胸が無いのが幸いした。服屋には身長を伝えるだけで良かったからな。わざわざ荷物として持ってきたのだから、着てもらわないと困る。


「わたしはやはり、外で……」

「だめだ。こんな暗い時間に、女を一人にできるか」


 無視して店の入り口に手をかける。慌ててシルフィンが俺の後を追った。まったく、いつから主人の誘いを断るメイドになったのだか。


「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」


 店に入ると、頭が魚なウェイターが出迎えてくれた。半魚人というやつだろうか。あまり直視はしたくない外見だ。


 シルフィンの方をちらりと見て、俺に視線を向けてくる。さて、どう答えたものか。


「いいところを見せたくてね。彼女に相応しい席を頼むよ」

「かしこまりました」


 恭しく頭を下げる半魚人。見た目はともかく、サービス自体は期待できそうである。

 席に向かう前に、シルフィンへと振り向いた。


「……どうした?」


 なぜか固まっているシルフィンに、俺は首を傾げるのだった。

 



 ◆  ◆  ◆




「ほう、こりゃまた」


 席に座り、見上げた先に思わず溜息を吐く。良い意味で吐いたのは久しぶりだ。


「すごい。綺麗です」


 シルフィンも、びっくりした顔を隠しもせずに目の前の光景を眺めていた。


 視界を覆うほどの、丸い水槽。

 驚くべきは、その水槽には水槽が無いことだろう。


 言っている意味が分からないだろうが、本当なのだから仕方ない。


 目の前の球体状の水の塊は、ただの水の集まりなのだ。


 透明なガラスで覆われているわけではない。水が球体に留まっていて、その中を優雅に色とりどりの魚が回遊している。


「これが、魔法か」


 球体水槽の下。床に取り付けられた装置を見て、俺は感嘆の声を漏らした。俺の呟きに、シルフィンが辺りを見渡す。


「ということは、どこかに魔法使いの方がいるわけですか?」


 幻想的な、水の反射光に彩られた店内。紳士的な雰囲気に、興味深げに後ろを振り向いたシルフィンは慌てて姿勢を戻した。ウェイターと目でも合ったのだろう。


「違うな。床の装置、あれは魔力瓶だ」

「魔力瓶?」


 聞き慣れない単語だと、シルフィンが反復する。水槽に手を伸ばして、俺は指先をちょいと浸けた。

 濡れた指先から、水流を感じ取れる。この水槽の水は、どうやら僅かに回転しているらしい。


「近ごろ注目されている発明だ。魔法を瓶型の装置に閉じこめ、魔力を注げばそれを使用できる」


 魔力そのものを蓄えることも出来るから、この水槽は水の魔法を閉じこめたものだろう。

 大量の水。球体水槽の大きさは、見るからに巨大だ。俺が中に入っても、泳いで遊ぶことが出来るほどの大きさ。


 何リットルになるか想像も出来ない。風呂の浴槽を十杯汲んでも、こうはならない。

 これだけの量の水を留まらせるとすると、魔法にしても高度なもののはずだ。それを魔法使いなしで、しかも店の内装に使うとは。


「まぁ、正しい使い方と言えるな」


 この水槽を置くためだけに魔法使いを雇うというのも、上手くはない。魔法瓶の使いどころとしては、これ以上はないところだ。


「いいぞ、興が乗ってきた。やはりファンタジーはこうでなくてはいかん」

「ふぁんたじぃ?」


 水槽を見上げていたシルフィンが、きょとんとした顔で振り返る。それに微笑んで、俺は気にするなとグラスを口に含んだ。


「今夜は俺の奢りだ。好きなものを頼め」

「えっ? そ、そう言われましてもっ」


 メニューを見つめながら、シルフィンの目玉がぐるぐると回転していた。彼女にしては、今夜は少し挙動不審だ。


「どうした?」

「い、いえ。その……値段が……か、書いてないんですが」


 ふるふると、シルフィンの唇がわずかに震える。なんだ、そんなことを気にするとは、意外と小心者な奴だ。

 一応メニューをざっと見渡して、値段を確認する。高いといえば高いが、手持ちで払えないメニューはなさそうだ。


「こういう店は、女性側のメニューには値段が書いていないものだ。遠慮するな。日頃の礼だ、気になった奴を言え」

「そ、そうなんですか? ……え、えぇと。それでしたら」


 悩みながら、シルフィンがメニューを睨みつける。俺も注文では悩むほうだが、ここまでではない。少し面白くなって、今夜のメニューはシルフィンに任せることに俺は決めた。


「き、決まりましたっ。せっかく海に来たので、カニを食べたいですっ」

「ほぅ、いいチョイスだ。蟹は俺も好物だぞ」


 甲殻類はシーフードの代表である。海老に蟹。異世界で食っても、大きく外れることはない気がする。


「……キングクラブの、りょ、漁師風? を」

「却下だ」


 シルフィンが恐る恐る料理の名前を口にして、続く俺の言葉に目を見開いた。


「えっ?」

「キングクラブは食ったことがある。ただのでかいだけの、大味の蟹だ。異世界でも何でもない。……ふむ」


 困惑しているシルフィンを無視して、俺は蟹料理の欄を見つめた。さすがの品ぞろえで、蟹の種類だけで何品も置いてある。


 その中になんともそそる字面を見つけて、俺はにやりと笑みを浮かべた。



「決めたぞシルフィン。今夜のメニューは、ジュエルクラブだ」


 

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