第08話 炎のステーキ
「お機嫌が悪そうですね」
「まぁな」
むすりと仏頂面をしかめている俊一郎をシルフィンはちらりと覗き込んだ。
エルダニアの街を歩く主人は機嫌が悪いらしく。昨日のことがまだ尾を引いているらしい。
「シャロン嬢といいアキタリアの皇女様といい、なんというか偉い女性に嫌われるな俺は」
「そうですかね?」
メイドの返答はあっけらかんとしたものだ。なんというか、嫌われるというよりは目を付けられているといった方が正しい気がする。
「皇女さまと知り合えただけでもいいじゃないですか」
「まぁ、そう言われればな。前向きに考えれば、今度リベンジすればいい話だ」
とはいえ辛口の採点をされたことは悔しいようで、俊一郎がため息を吐く様子をシルフィンはじっと見上げた。
なんだかんだで仕事人間な自分の主人だが、足を向かわしているのは例によって飯屋だ。
「それで、今日はどちらに?」
「嫌なことがあったときは肉と法律で決まっている。ぐあーと豪快に行きたいね」
腹を鳴らしながら俊一郎は指を立てた。そんな法律聞いたことはないが、肉を奢ってもらえるならば文句を言うものでもないとメイドは黙って耳を澄ます。
「魔法使いの料理人がやっているステーキ屋があるらしくてな。……ふふ、ステーキには苦い思いでもあるがリベンジと行こうじゃないか」
「魔法使いの方がですか?」
シルフィンに聞かれ、こくりと俊一郎が頷く。
「珍しいですね」
「なんでもオスーディア出のエリートらしいぞ。料理人を下に見る訳じゃないが、そんな人物がなんでステーキなんか焼いてるかは興味があるな」
日本風に言えば東大出の秀才がラーメン屋を始めたような感じだ。味も大いに気になるところで、もしかしたら変わった料理が楽しめるかもしれない。
「百聞は一見にしかず。千見すら一食に及ばずだ。食ってみるしかないな」
「なんですかそれ?」
得意げに語る俊一郎に呆れたように返しながら、二人は店への道を並んで歩いていくのだった。
◆ ◆ ◆
しまったなというのが第一の感想だった。
「お兄さんこの店初めてー?」
「メイドとか連れて、お金持ちなんだー」
左右をやたら露出の激しい紫色の肌に挟まれて、俊一郎はどうしたものかと冷や汗を垂らしていた。
先ほどから同席しているメイドの視線がやけに痛い。
「えっと……ここってステーキ屋さんですよね?」
「そうそう、美味しいよー。お肉食べて元気つけなきゃー」
踊り子風の衣装に身を包んだ女性がにこにこ笑う。確かにカウンターの前には細長い鉄板が置かれていて、これだけ見ればライブキッチンな鉄板焼屋だ。
「あたし達はただのウェイトレスだからー。ほら、まずは飲み物頼もー」
「メイドさんもほらほら。どうせご主人さまの奢りなんだし、飲んじゃえ飲んじゃえ」
「え、いえ! 私は別に!」
メニューを見せられてシルフィンが困惑したように首を振った。
とはいうもののメニューにはきちんと普通のディナーメニューも書かれていて、要は多少ウェイトレスが可愛いコンセプトなようだ。
「ま、まぁ入ったものは仕方ない。ディナーセットと果実酒もらえますか」
「はーい、二名分ねー。一番高いやつ入りまーす」
有無をいわさず高い酒のオーダーを入れられてしまった。とんでもない店だなと思いつつ、肉への期待感でなんとか自分を励ましていく。
「……こういうお店、お好きなんですか?」
「馬鹿言え、好きそうに見えるか?」
じとりとメイドに見つめられ、今日は厄日だと俊一郎は苦笑する。
ただシルフィンも主人が他種族が苦手であるのは知っているので、少し同情するようにウェイトレスを見つめた。
(……なにを食べたらあんな)
出るとこが出ている身体を見て、くっとシルフィンは奥歯を噛みしめる。なんというか、自分の主人の周りには大きな人が多い。
「やっぱお肉なんですかね?」
「ん? あ、ああ肉は美味いよな」
いまいち繋がっていない会話をしつつ、そうこうしている内に奥からエプロンを付けた男性が顔を出した。
銀の盆に巨大な肉の塊を乗せて、男はカウンターの前にやってくる。
「マスターのジンです。どうです? うちの店は」
なんとも整った顔つきだ。十人見れば十人がイケメンだと言うであろう顔つきの青年は、肉の乗ったバケットをカウンターに置いた。
かなり大きな肉塊だ。数キロはあるだろうその肉は、赤身がしっかりとしたいい肉だった。
とはいえドラゴンの肉とかいうわけでもなさそうで、こりゃあ珍味は期待できないかなと俊一郎は肉を見下ろす。
「お好みの大きさで焼きますよ。どかんといっちゃいます?」
「ん、そうだなー。せっかくだしいってもらうか。シルフィン、君はどうする?」
マスターが指で厚みを示してくれる。かなり分厚いことに胸躍らせるが、メイドは「私は普通でいいです」と遠慮がちだ。
「遠慮するな。辞書くらいの厚みだぞ」
「普通の人はそんなに食べれませんから」
呆れたように見返すシルフィンにシシシと笑って、俊一郎はマスターを見返した。
エプロンが翻ったと思ったら、手には長剣が握られていて、まるで獲物をしとめるように肉がステーキ大に切り分けられていく。演舞のような華麗な剣捌きに二人の目が見開いた。
ぶっちゃけただのパフォーマンスなのだが、二人は「おおー」と小さく拍手する。
「味には関係ないが面白いな」
「だ、旦那さま、そんなはっきりと」
手を叩く俊一郎の声にジンがはははと大きく笑う。パフォーマンスは百も承知で、ジンは切り分けた肉に塩と香辛料を振りかけた。
いちいち動きが大げさだが、たまにはこういうのもいいと俊一郎は素直に楽しむ。
「貴族の方に受けがよくてですね。ま、若造はこういうことして生き残らないとですね」
冗談めいて笑うジンの話を俊一郎はほうほうと聞いていた。
しかし、肉を鉄板に並べるとジンの表情がにたりと変わる。自信ありげに構えられた両手から、俊一郎はなにかを期待した。
「まぁ、味でも負けるつもりはありませんがね」
ジンの両手の指がパチンと響く。その瞬間、鉄板の上は青い炎に包まれた。
炎は瞬く間に勢いを増し、二人はぎょっと目を見開く。
手の動きに合わせ、青白い炎がまるで意志のあるもののようにうねり動いた。
「こ、これが炎の魔法か!」
「すごいですね!」
フランベなんてもんじゃない。ようやく出てきた魔法使いらしさに、俊一郎のテンションも上がっていく。
「どうぞ、炎の魔法のステーキです」
数分後、香ばしい焼き目の付いたステーキを前にして、ごくりと唾を飲み込んだ。
◆ ◆ ◆
「美味いな!」
「はい!」
肉の食感に驚きつつ、俊一郎はナイフでステーキを切っていた。
柔らかく、噛んだときもジューシーだ。これ以上はない焼き上がりに、軽く感動しながら肉を運ぶ。
「美味しいもんですね、魔法で焼いたステーキって」
「はは、こう見えても炎の扱いは一流でしてね。魔法ですと火力も自在な上、全方位から熱を加えられます。ジューシーさなら負けませんよ」
ジンの説明になるほどと俊一郎が頷く。ただのパフォーマンスだと思ったが、火入れに関してはプロの仕事だということだ。
確かに肉の焼き上がりは鉄板やオーブンのものとは一風変わっていて、いいじゃないかと俊一郎は腹に入れていく。
「1ポンドはあったが、軽く食べてしまったな」
「……早すぎません?」
ぺろりと平らげてしまった俊一郎を、まだ食べているシルフィンが呆れ顔で見つめた。あんなに盛られていた肉がものの十数分で空である。
「しかし、美味かったがファンタジーって感じじゃなかったな。どっかに珍しい食い物があればいいんだが」
腹をさすりながら、俊一郎は果実酒の入ったグラスを呷った。またそんなこと言ってとメイドが睨むが、それを聞いたジンが俊一郎に声をかける。
「お客さん、珍しい料理が好きなのかい?」
俊一郎がジンを見つめる。「ええ、まぁ」と頷いた俊一郎に、ジンはふむと指を当てた。
「メニューにはないけど、面白いものがあるよ。食っていくかい?」
「え? いいんですか」
「構わないよ。その変わり、満足してくれたら代金は弾んでおくれよ」
指で丸を作るジンに、俊一郎も二つ返事だ。
どんな食材が出てくるのだろうと期待の眼差しを向ける俊一郎の前で、ジンは素手の両手をゆっくり構えた。
「少し……集中させてもらうよ」
ジンの瞳が小さく収縮したと思った、その瞬間。
バスケットボールほどの炎の球体がジンの目の前に出現していた。
先ほどと同様に青白い炎は端から見ても熱を発していて、それを集中したジンが少しずつ撫でるように手で囲っていく。
「おお……」
俊一郎の目から見ても、だんだんと炎の球体が小さくなってきているのが見て取れた。圧縮されるように、炎が拳大へと丸まっていく。
球体の中心に輝くものが生まれ始めた。宝石のような太陽のような、そんな実体のない輝きだ。気づけば、青白かった球体は赤い紅蓮に変わっている。
額に汗を垂らしたジンが、満足げな笑みで球体を俊一郎に差し出した。
「完成だ。炎のステーキとでもいうのかな。食ってみてくれ」
「え!? こ、これをですか!?」
綺麗なので見入っていたが、まさか直接食べろと言われるとは思わなかった。しかしジンが自信ありげに頷くので、恐る恐る俊一郎はその球体を手に取る。
「あ、熱くない。なんだこれ」
「エネルギーはそのままに、温度は魔法で押さえ込んでる。かじるってより、丸飲みにしてくれ」
言われ、俊一郎はたじろいだ。そんなことを言われても、炎を飲み込むなんか自殺行為だ。
けれど好奇心か食欲か、自分の性を恨めしく思いつつ、俊一郎は輝きに引かれるように炎の球体を口に運ぶ。
「んぐっ」
ちゅるんと、そんな音が聞こえるかのように炎は驚くほど滑らかに喉へと入った。
そのときだ、カァーっと熱い刺激が胸の奥に発生し、俊一郎は驚いて身体を丸める。
(あっ……あつッ!?)
球体が通った箇所。食道か胃か、そして胸の奥に火がともったように熱が暴れる。
ぎゅうっと胸が締め付けられるような身体の熱さに、俊一郎はなるほどと汗を垂らした。
「だ、旦那さま!? 大丈夫ですか!?」
心配そうなシルフィンの声を聞きながら、俊一郎はがばりと顔を上げた。
ふぅーと、小籠包を丸飲みしたときのような息を深く吐く。
その途端、俊一郎の口から炎の息吹が細長く立ち上った。
さすがに仰天して、俊一郎は慌てて口を閉じた。
「炎の魔力をそのまま食べてもらいましたからね。しばらくすると治りますよ」
笑いながら腰に手を置くジンに、俊一郎は参ったと顔を作る。
まさか炎を食わされるとは。味はなかったのかもしれないが、それでも確かに炎の味を俊一郎は理解した。
「どうです、堪能してもらえました?」
「ええ、とても」
これは代金は弾まなくてはいけない。観念したように財布を取り出す俊一郎を見て、ジンは楽しそうに笑うのだった。




