第07話 蟲蜜の姫君
「えっと……脱走というのは?」
目の前の人物。褐色金髪の女性を眺めながら、俊一郎は疑わしそうな眼差しをなおも向けた。
彼女の着ているドレスを見るに、盗人の類でないのは本当だろう。けれど胡散臭いことに変わりはなく、言ってしまえばトラブルの匂いがムンムンだった。
「あーお主、いまいち妾のこと信用してないじゃろ! こう見えても妾はじゃなー」
そのとき、ハッと気づいたように女性が上を見上げる。かと思えば、慌てたように駆けだした。
「もう感づかれたか! まっこと優秀な執事よ! 主たちも来い!」
「えっ!? ちょ、ちょっと!?」
手を引かれ、俊一郎は驚く暇もなく連れ去られてしまう。呆気に取られたのもつかの間、自分の主人を追って、シルフィンも慌てて後を追うのだった。
◆ ◆ ◆
どれほど走っただろうか。数十分、街の人波を縫うように駆け回り、息を切らした俊一郎は肩で息を吐いていた。
「あの……ど、どこまで……!」
「んんー? 情けない奴じゃのう。もうへばったのかえ?」
小柄な少女にも見える彼女の方はというと、息一つ乱さず呆れたようにこちらを見ている。傍らで、エルフのメイドも同じ様に息を切らしていた。
それを見て、女は辺りを確認するとふむと指を口に当てる。
「まぁよいか。ここまで来ればジェラードの奴もそうそう見つけられんじゃろうし」
にこにこと笑っている女を見て、俊一郎は眉を寄せた。成り行きで付いてきてしまったが、状況くらいは説明してほしい。
「あの、貴方はいったい……用がないなら僕たちはですね」
「あるある! 用なら大ありじゃ!」
先手を打たれ、俊一郎は「あるのかよ」と目を細めた。なんだかとんでもないことに巻き込まれたようで、けれど誰か分からない手前邪険にもできない。
なにせあのホテルの宿泊客である。誰と何処で繋がっているか分からない。
「エルダニアに来るのも久しぶりじゃからな。街も様変わりしていよう。どうか妾を愉快な場所に連れて行ってくりゃれ」
「え……?」
どうやら街の案内を頼んできている女に、俊一郎はどうしたものかと困惑した。そんなことを言われても、自分たちも地元民ではないわけで。というより最近似たようなシチュエーションがあったなと思い出す。
「姫さまを思い出しますね」
「ああ、そうだな」
大方、どこかの貴族の娘が護衛の目を抜け出して街の散策に繰り出したのだろう。お転婆というかなんというか。どうして育ちのいいはずのお嬢様方は無茶をするのだろうと俊一郎は呆れ果てた。
「その、どこの貴族の娘さんか知りませんけど……街を見て回りたいならお付きの方と回るべきですよ。危ないですし」
「あー、だめじゃだめじゃ! あの頭の堅いジェラードが横にいてみよ? 楽しめるものも味気なくなるわ」
分かりやすく唇を尖らせられた。どうも付き人のジェラードという人は嫌われているようで、ただこの女性の付き人としては彼はなにも間違っていないのだろうと、俊一郎は苦労人の執事に思いを馳せる。
「どうします?」
「どうするもなにも……貴族の娘さんだぞ? なにかあったらそれこそ」
「あ、その点なら大丈夫じゃ!」
言い掛けて、嬉しそうに遮ってきた声に俊一郎は目を向ける。
なにを言うかと思いきや、女は得意げな表情で自分を指さした。
「妾、貴族の娘でも豪商の娘でもなんでもない」
「は?」
なにを言い出すかと思えば、意味不明だ。シルフィンと顔を見合わせ首を傾げる。確かにドレスは踊り子っぽいといえばそうだが、まさか本当に情婦や踊り子の類でもないだろう。
まさか、金持ち貴族の愛人かなにかだろうか。それはそれで面倒臭いと俊一郎が身構えた瞬間、彼女はにこやかな笑顔で宣言した。
「妾の名は、サリア・キュリオシテ・アキタリア。正真正銘、アキタリア皇国が第三皇女……『お転婆』のサリアとは妾のことじゃからな」
にかりと、それはもう素晴らしい顔でサリアが笑う。
目を見開いて絶句している俊一郎とシルフィンを満足そうに眺めつつ、サリアは何も問題はないと平らな胸を張るのだった。
◆ ◆ ◆
「……い、いいんでしょうか?」
「知るか。もうなるようにしかならん」
不安そうなメイドの声を聞きながら、俊一郎はどこか諦めた心情でグラスの中のエールを呷った。
「ぷはー! オスーディアの麦酒もなかなかではないか! ま、我らがアキタリア産には及ばんがのー!」
口のまわりにべったりと泡ひげを付けながら、サリアは心底最高だというように声を上げた。
ぐびぐびとエールを喉に流し込み、これだー!と飲み干してグラスをテーブルに叩きつける。
場末の飲み屋にて宴会が開始されてから数十分。すでに五杯目に突入しているサリアに俊一郎は呆れ果てた。
「あの……本当にサリア様なんですよね?」
「当たり前じゃろうが。妾ほどの美女、二人おっては世界中の男の大損失よ」
よく分からないことを言いながら、サリアは楽しそうにツマミを摘む。未だ疑いの眼差しを向ける俊一郎とシルフィンに、ニヤニヤと皇女様は笑みを浮かべた。
「なに、心配するでない。あまり小心を晒すと、雇い主であるサキュバールの名を汚すぞえ?」
「……ッ」
驚いたように俊一郎は顔を上げた。サリアに会ってからここまで、自分は勿論、シルフィンもサキュバールに関することは喋っていない。
警戒を強めた俊一郎を見て、サリアはしかし通りがかったウェイターに追加を頼んだ。
「そう睨むな。ふふ、ほんに若い男の鋭い視線はええもんじゃのう。祖国に殉じると決めた妾の女も、久しぶりに疼いてきよるわ」
「誤魔化さないでください」
俊一郎はまっすぐにサリアを見つめる。どこで自分の情報を得たかは知らないが、だとすればあの出会いは偶然ではなく計画的なものだったことになる。
「なぜ僕のことを知っているんです?」
返答いかんによってはこちらも考えがある。そう視線で語る俊一郎を眺めて、サリアは愉快げに口を開いた。
「カツラギ・シュンイチロー」
「!?」
名前まで。いよいよ腰を浮かせかけた俊一郎を、サリアはまぁ待てと片手で制した。
「黒い髪。丸耳のエルフ。エルフの従者……主、数ヶ月前のグラニクスの地方記に名前が出ておった。サキュバール秘蔵の代行人。名は初めて知ったが、主のことは前々から知っておったよ」
「グラニクスの?」
バートの指令で訪れたクリスタル鉱山。確かに自分はあそこの町おこしに一枚噛んでおり、名前が出ていても不思議ではない。
けれど、所詮は片田舎の地方記だ。信じられないという俊一郎の視線に、サリアはにこりと笑みを浮かべた。
「これでも親オスーディア最大派閥の長なのでな。手に入る情報には全て目を通しておる。主たちがこそこそと進めておる、我が祖国の秘伝を使った銘酒……それも勿論知っておるよ」
雰囲気の変わったサリアの瞳に、俊一郎は汗を垂らす。
証拠など必要ない。この有無を言わせぬ圧倒的な底の知れなさ。二人ほど相手にしたことがあるが、これは彼女たちと比肩してもなお――
「……そのアキタリアの皇女さまが、一介の代理人になんのご用で?」
「こらこら勘違いするでない。さっきのは偶然じゃ。興味があった男に出会ったのでな、つい連れてきてしもうた」
許せと小さく呟いて、サリアは楽しそうに麦酒を呷る。
「会食に資料に挨拶周りに、好きでやっとることじゃがたまにはな。場末の酒場で羽でも伸ばしたくなるものよ」
サリアを見つめ、俊一郎は指を組んだ。もはや彼女が本物であることは明白で、だとすればどうするのが正解か。
「お探しとあれば、サキュバールやロプス御用達の一等店でも手配いたしますが」
「あー、よいよい。貴族の息のかかった店なんぞ面白くもなんともないわ。民草が集う店、そこの酒とツマミこそがその国の真実よ」
そう言うと、サリアは食卓の上のツマミ達を指さした。
焼き魚にチーズ、干し肉に焼いた果物の蟲蜜がけ。他にも手当たり次第に頼んだだけに見えた品々を、俊一郎は見下ろす。
「質も種類も二年前とは別物じゃ。魔導鉄道、予想はしておったがここまでとはな。これが造船に適用されれば、アキタリアの有利は地に落ちるじゃろうて。……くく、ほんにあの『死神』は大戦が終わってもなお立ち塞がってきおる」
愉快そうに笑いながら、サリアはチーズを一切れ摘み上げた。
あの『死神』、誰のことを言っているかなどは明白だ。
「じゃが……ま、少しばかり懸念しておったが、大丈夫そうじゃな。ふふ、発明王一人だけなら、我が祖国は安泰じゃて」
その言葉に、俊一郎は目を見開いた。
煽って来てくれると、苦い顔をサリアに向ける。
「……随分と、挑発的な物言いですね」
「くく、振り向いてほしけば男を磨かんとな。顔は好みじゃのに、残念じゃ」
瞬間、酒場の扉が大きな音を立てて開かれた。
皮の防具に身を包んだ一団が、ウェイターの案内も待たずに歩みを進める。
「サリア様! また貴女は勝手に出歩いて!」
「おうジェラード、どうした顔を真っ赤にして。主も酒でも飲んでたかえ?」
サリアの一言に、顔に傷のあるエルフの男が息を吐いた。なにか言いたげな空気を飲み込んで、「こちらは?」と対面の男を見やって視線を向ける。
「ん、ちと興味があったのでな。一杯つき合ってもらっておったのよ。ま、もう必要ない」
ぴくりと、俊一郎の肩が揺れる。
言うやサリアは立ち上がると、懐から布袋を取り出すとテーブルに置いた。じゃらりと金貨の崩れる音がして、付き人のジェラードが俊一郎へ頭を下げる。
「つき合わせた詫びじゃ。……ふふ、またどこかで見合えるのを楽しみにしておるよ」
去っていくサリアの一団の足音を聞きながら、俊一郎はグラスを握った。
主人の表情を見たメイドがびくりと身体を震わせて、次の瞬間、注がれていたグラスが空になって音を立てた。
◆ ◆ ◆
「……気に入った男性を挑発する癖、治してもらえませんかね?」
「ふふ、そう言うでないよ。男子からはやはり、睨まれるくらいがちょうどよい」
帰りの馬車の中で愉快そうに月を見ながら、精霊と蟲蜜の国の皇女は、愉しそうに髪を梳き上げた。
「オスーディア……ほんに愉快な宿敵よ」




