第06話 グランドシャロン(2)
「それにしても豪華な部屋ですね」
一通り落ち着いた声で、シルフィンはゆっくりと客室を見回した。
何度思うか分からないが、本当に凄い。
テーブルの上に置かれた花束を指でつつきながら、シルフィンはソファーで足を組んでいる主に顔を向ける。
「国内の貴族の他に、諸外国の皇族すら宿泊するホテルだ。この箱物でロプス家が得るものは単に金だけじゃないということさ。豪勢なのも当然だな」
さっそく棚に備えてあった果実酒のボトルを開けている俊一郎に、シルフィンはなるほどと頷いた。ここの評判は、そのままロプス家の信頼へ繋がるというわけだ。
「そんな凄いホテルの……」
言い掛けてシルフィンは言葉を止めた。グラスを片手に俊一郎がニタりと笑う。
「なにを言い掛けたか当ててやろうか? シャンさんだろう?」
「うっ」
図星のようでシルフィンは白状するように眉を寄せた。
客も一流ならば、そこに集うスタッフも一流なのがここグランドシャロンだ。そんな場所の副メイド長を思い出して、シルフィンは納得いかないように息を吐いた。
「なんというか、意外でしたので」
「ははは! だろうな! グランドシャロンの副メイド長といえば有名な問題児だ」
愉快そうに笑う俊一郎にシルフィンが顔を向けた。「知っていたのですか?」という視線に俊一郎はぐいとグラスを呷る。
「ああ見えて彼女が優秀なのは本当だぞ。各国の重鎮や豪商から気に入られ、リピーターの数はホテルいち。彼女に会うためにわざわざ海を越えてくる客もいるという怪物だ。……ま、人に好かれる才能という奴だな」
話を聞き、シルフィンは珍しく不満げに表情を作った。目の前の主が、自分のコンプレックスを知った上でこれみよがしに別のメイドを褒めたからだ。
「どうせ私に、他人に好かれる才能はありませんよ」
というか、嫌われる才能ならば自信がある。無愛想だなんだの言われ、職場を転々としていたのは苦い記憶だ。
けれどそんなメイドをちらりと眺めて、俊一郎は二杯目をグラスに注ぐ。
「それなんだがな。君は自分に自信が無さすぎだ。少なくとも僕は君を気に入っているんだし、もっと胸を張りたまえ」
「……張るほど胸もないですし」
ぷいとシルフィンがそっぽを向く。これはいよいよ拗ねたようで、俊一郎はどうしたものかと苦笑した。
とはいえ先ほどの言葉は本心で、なんなら彼女の周りに集う人物はシャンと比べても遜色ない。
本人にその自覚があるかは怪しいがと、俊一郎は空になったグラスをシャンデリアにかざした。
「ツマミが欲しいな。ルームサービスを取ってもいいが……せっかくのエルダニアだ。少しデートしないかね?」
メイドの耳がぴくりと動く。表情はそのままに、シルフィンは胸元から指輪のネックレスを引っ張りだした。
◆ ◆ ◆
「エルダニアの街を歩くのも久しぶりだな」
「そうですね」
長閑な日差しが降り注ぐ中、二人は活気のあるエルダニアの街角を進んでいた。
王都に負けず劣らずの人混みで、ともすれば街行く人の多様さはこちらの方が上かもしれない。
「港が近いからな。人も物も、王都以上に集まる場所でもあるわけだ」
説明になるほどと頷いて、シルフィンは市場に並ぶ海鮮に目を移す。新鮮な魚貝が売られているのも、海が近い立地のおかげだろう。
それでも馬車で半日ほどはかかる距離。主のお目当ては、今回は海鮮ではないようだった。
「シーフードはニルスで食うとして、エルダニアといえばやはり畜産業だ。肉にチーズ。どうせ宿泊費はタダなんだ、飯は豪華にいきたいだろう」
「……なら、ホテルのレストランで取ればよかったのでは?」
もっともなことをシルフィンの口が告げる。グランドシャロンの厨房といえば評判は国中に及ぶ。いかにも自分の主人が好きそうだがと、シャロンは不思議そうに首を傾げた。
「いやまぁ、そうなんだが。……あのお嬢様に会いそうでな」
舌鼓を打っていたら「あら、奇遇ですね」とにこやかな一つ目が現れそうだ。せっかくのバカンス。感謝はしているが、今日のところは遠慮したいと俊一郎は頬を掻く。
シルフィンも「ああなるほど」と苦笑して、けれどそれ以上は言わなかった。あのお嬢様が苦手でないのなんて、それこそあの発明王くらいだ。
「こんなこともあろうかと、バートの奴にお勧めの店を聞いておいた。まぁ一日目だ、無難に美味しく行こうじゃないか」
ともあれ、主人がそれでいいというならメイドに文句はない。お供しますと横に並び、二人は昼過ぎのエルダニアをゆったりと進んでいくのだった。
◆ ◆ ◆
「いやぁ、美味かったな」
「はい、おいしかったです!」
数時間後、満足そうに腹をさすりながら俊一郎はホテルへの帰路を歩いていた。
食事は大成功で、特に珍しい食材というわけでもなかったが、味は全く文句がなかった。
美味い肉に高い酒、甘味も付いているとなればメイドの目を輝くというもの。たまには普通にこういうのもいいと、俊一郎は見えてきたホテルの正門を眺めた。
「庭も豪華なもんだな。どうだ、腹ごなしに見て回らないか?」
「いいですね。私も興味がありますし」
噴水に周りを彩る花の数々。整えられた庭園は、それだけでも来る価値があるほどに美しい。
家庭菜園を趣味にしているメイドは、その見事な出来映えに「ほえー」と口を開けた。
「手入れも大変そうですね。さすがに私一人では、ここまでの庭は」
「あー構わん構わん。他人の庭だからいいんであって、自分の家の庭なんて小綺麗ならそれでいい。むしろ食えるもの作ってる君の方が偉い」
最近では裏庭は全てシルフィンの菜園になってしまった。そのおかげか夕食で使われるハーブや野菜の種類が増した気がして、俊一郎からすれば麗しいだけの庭よりもそちらの方が百倍いい。
「ほんと旦那さまって花より食い気ですよね」
「当然だ。美しさなんぞ腹の足しにもならん」
そう言って、俊一郎はきょろきょろと辺りを見回した。なにか食べれる植物でも実ってないかと思ったが、さすがにそんなものはないようだ。
「お、ちょうど壁際だな。俺たちの部屋が見えるぞ……って!?」
用意された客室は角部屋だ。下から数えて行くと、ちょうど自分の部屋の階層にとんでもないものを見つける。
最上階近くの窓から垂らされた白い布。ロープのように連なったそれらに捕まって、ひとつの人影がホテルの壁を下っていた。
「え? ちょ、ど……泥棒!?」
「だ、旦那さま! 通報しませんと!」
世界有数の金持ちが集う宿泊施設。まず頭に思い浮かんだ単語を口にして、隣のメイドも慌てたように口を開いた。
「ちょっ! 待つのじゃ! 怪しい者ではない!」
そんなとき、壁を伝っていた人影が声を発する。
怪しい者ではないと言われても、これほど怪しい奴などそうそういない。
疑わしそうに眉を寄せる二人の目の上で、声の主は慣れたような足付きでするすると壁を降りてきた。
「あーしんど! 妾もそろそろ歳じゃのう!」
腰を叩きながら、件の人物は楽しそうに伸びをした。
見るからに良さそうな身なりに、二人は不思議そうに顔を見合わせる。
美しい金髪が風に揺れる。
まるで太陽のように愉快そうな顔で、目の前の人影は褐色の右腕をひょいと上げた。
「おー! すまんなさっきは! ちと脱走中でな!」
なにやら物騒な言葉を耳にして、俊一郎とシルフィンはますます眉を寄せるのだった。
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