第04話 ガガイモのスープ
「お、お邪魔しております……」
布団の下から覗いた顔を見て、俊一郎の動きが止まる。
「きゃっ」
一瞬躊躇して、ばさりと布団を再び被せた。ちょっと待てと眉間に指を押しつけて、そっと布団に手を伸ばす。
「あ……あの」
やはり見間違いではない。出てきた予想外すぎる人物に、さしもの俊一郎も訳が分からないと目を見開いた。
「えっと、その……せ、セシリア姫ですよね?」
「はい。そうです」
大きく伸びた角に、白い肌。誕生会で見た顔を思い出しながら、俊一郎は傍らで固まっているメイドを見つめた。
「どういうことだシルフィン。説明してもらうぞ」
「あ、いえ! そのですね!」
あたふたとシルフィンが両手を動かす。流されたとはいえ、誰のせいかと言われれば自分のせいだ。今更になってとんでもないことをしてしまったと、シルフィンはぐるぐると頭の中を回した。
「ち、違うのです! シルフィンさんは悪くないのです!」
その瞬間、セシリアがベッドから立ち上がる。懇願するように一国の姫に詰め寄られ、俊一郎が慌てて背中を反らせた。
「わたくしが帰りたくないと頼んだのです! どうか! シルフィンさんは悪くありません!」
「わ、分かりましたから落ち着いて。大丈夫です」
セシリアを宥めながら、俊一郎はけれど困ったように軽く頬を引きつらせた。なにせ王女だ。どのような経緯かは知らないが、場合によっては大変に面倒くさいことになる。
「とりあえず、事情をお聞かせ願いますか?」
こくりと頷くセシリアを見て、どうしたものかと俊一郎は乾いた笑みを浮かべるのだった。
◆ ◆ ◆
「なるほど。お城での生活が嫌になって」
あらましを聞いた俊一郎が興味深げにセシリアを見つめる。
なんとも思春期らしい話だが、ふんすと語るセシリアの顔は真剣そのものだ。
(籠の小鳥もストレスは溜まる……か)
当然の話だ。安全な寝床に十分な餌。それで満足しろと思えるのは、その人が籠の外から小鳥を眺めているからである。
とはいえこのまま小鳥を籠の外に逃がすわけにもいかない。俊一郎はセシリアに目を向けると、仕方がないかと腹を決めた。
「シルフィン、君は姫様のお相手を」
「だ、旦那様はどこへ?」
立ち上がり「ゆっくりなさってください」と微笑んでいる俊一郎を見て、シルフィンが不安そうに聞く。
「なに、お金持ちの親友に助けをな」
お手上げだと笑う俊一郎に「あっ……」とシルフィンも全てを悟ったと小さく口を開けるのだった。
◆ ◆ ◆
「あの方がシルフィンさんの雇い主ですよね。ふふ、誕生会を思い出します」
「その節はまことに申し訳ございませんでした」
部屋を後にした俊一郎の背中を見送って、セシリアは思い出したようにくすりと笑った。シルフィンもかつての蛮行を思いだし、誠心誠意で頭を下げる。
「くす。よいのですよ。びっくりしましたが、とても愉快な思い出です」
笑顔で話すセシリアに、申し訳なさそうにシルフィンは耳を下げた。なにせ大事な誕生日に、そのメインディッシュを勝手に切り分けたのだ。
しかしセシリアにとっては本当に愉快な記憶だったらしく、朗らかな笑みで当時を思い出していた。
「羨ましいですわ。好きな殿方とひとつ屋根の下。わたくしも女ですから憧れてしまいます」
「ぶッ!!」
優しく呟かれ、思わずシルフィンは噴き出してしまった。きょとんとした顔でセシリアに見られ、動揺したシルフィンが頬を染める。
「あら、違うのですか?」
「ち、ちちち、違います! 私と旦那様はそういう関係ではありません!」
声を張り上げるシルフィンを「あらあらまぁまぁ」と見つめ、楽しそうにセシリアは両手を合わせた。
「つまりは片思いですね! 素敵! 応援しますわ!」
「い、いえ! そもそも好きとかそういうのでは!」
にこにこと笑顔のセシリアに、どう説明したものかとシルフィンは頭を抱えた。
リュカといい、どうも知り合う女性は自分たちをそういう関係に持って行きたいようで、「違うのに」とシルフィンは天井を見上げる。
「旦那様は……なんというか放っておけないというか。子供っぽいというか、危なっかしいというか。というより、私なんかとは世界の違う方ですし」
「あら、彼もシルフィンさんのこと好きそうでしたけど?」
再び噴き出した。なんてことを言うんだと、シルフィンがセシリアに振り向く。
「そ、そそそ、そんなことあるわけないでしょう!?」
「そうでしょうか? 先ほど、焼きもちを焼かれていたように見えましたけど」
あっけらかんと言うセシリアの言葉を聞いて、そんな馬鹿なとシルフィンは呆れる。確かになにやら不服げだったが、あれは言葉通りに家に他人を連れ込まれるのが嫌だったのだろう。
(旦那様に限って……というより私なんかに。ないない)
姫様には悪いが、こればかりはあり得ない。なにせこんな無愛想で面倒な女だ。多少は好かれているだろうが、それはただ胃袋が向いているだけだろう。
(で、でも。実際のところ、どうなんでしょう。そういえば先ほどは、確かに苛ついてらしたような……)
そもそも女性に興味があるのだろうか。そこからまず疑わしいと思いながらも、シルフィンは悶々と頬を赤らめた。
「いや、私もですね……」
「シルフィン、ちょっといいかな」
びくぅ! とシルフィンの身体が跳ねる。振り返ればドアを開けた俊一郎が、不思議そうな顔で見てきていた。
◆ ◆ ◆
「夕食、ですか?」
俊一郎の口から出た単語に、シルフィンとセシリアは揃って顔を上げた。二人に見上げられながら、俊一郎はその通りと笑みを浮かべる。
「バートに頼んでお城に連絡してもらいました。王様は大変お怒りで、帰ったらお仕置きだそうです」
「!?」
びくりとセシリアの肩が跳ねた。心配そうに見上げてくる王女にくすりと笑って俊一郎は言葉を続ける。
「ただ、許可はいただきましたよ。姫様、今宵はうちの自慢のメイドが作る夕食を食べていってください」
その一言に、シルフィンの耳がぴくりと揺れる。慌てて、シルフィンは俊一郎に耳打ちした。
「だ、旦那さま! 姫様のディナーなんて、いったいなにを作れば!?」
「そう気を張るな。いつも君が食べてるようなものでいい」
慌てるシルフィンに俊一郎は落ち着けと肩を叩く。出されたオーダーにシルフィンは不思議そうな顔で「?」を浮かべるのだった。
◆ ◆ ◆
「まあ!」
目の前に出された料理に、セシリアの顔が輝いた。両手を合わせ、興味深げに皿の中を見つめる。
「シルフィンさん、これは?」
「えっとその……ガガイモの、煮込み料理です」
キラキラとした瞳のセシリアの声を聞き、シルフィンはしどろもどろに説明した。ちらりと、不安そうな視線を傍らに座る主人へと向ける。
その主人の目の前にも、当然同じ料理が置かれていた。
ガガイモに豆、そして干し肉を戻して一度に煮込んだもの。漂ってくる香りに、俊一郎はうんと頷く。
「俺もこういう食事を取るのは久しぶりだな。いやはや、人間贅沢になるといかんね」
「それはまぁ。旦那さまにこのような質素な料理を出すわけにはいきませんので」
当たり前だとシルフィンは俊一郎を見つめた。これでも、少し肉の量を多めにしたから豪華な方だ。
「あれ、これだけですか?」
きょとんと、セシリアがシルフィンを見つめた。ほら見ろとシルフィンが俊一郎を睨むが、平然とした様子で俊一郎は木の匙を握った。
セシリアを責めてはいけない。疑問に思うのは当然で、なにせ目の前にはパンのひとつも添えられてやしないのだ。
「す、すみません! わたくしてっきり!」
セシリアが慌てたように木の匙を手に取った。失礼なことを聞いてしまったと、王宮育ちの王女は数秒前の自分を恥じる。
そんなセシリアを見やりながら、俊一郎は小さく口を開いた。
「セシリア様は、このような食事は初めてですか?」
「え? あ、はい。その……申し訳ありません」
つい謝ってしまったセシリアにくすりと俊一郎が笑みを浮かべる。明らかに動揺しているセシリアを見た後、俊一郎はシルフィンに顔を向けた。
「貴族や王族の教育にはな、平民の食事の体験というものがある。当然、ガガイモも干し肉も姫様は知っているということだ」
「どういうことですか?」
聞いて、意図が読めないとシルフィンは首を傾げた。それなら目の前のような食事も知っているはずで、そんなに特異な料理を作ったつもりはない。
「俺もバートから聞いて呆れたがな。奴が貧民の食事サンプルとして学んだ食卓には、干し肉と芋の煮物に野菜のスープ、塩漬けされた小魚のグリルに小麦のパン、極めつけには果物なんぞが並んでいたらしいぞ」
「はい?」
仰天したように、シルフィンが思わず声を上げる。どこの祭りだと目を丸くしていると、おずおずとセシリアが顔を上げた。
「あの……その、違うのですか?」
不安げに聞いてくるセシリアに、どう答えたものかとシルフィンは躊躇する。しかし俊一郎の視線を受けて、そのままを答えることにした。
「なんというか、ひとつひとつは間違ってはいないのですが。……そんなに料理が並ぶことはあまりありません。今お出ししたものでも豪華なくらいで、肉がないこともしばしばです」
シルフィンの言葉に、セシリアは目を見開いた。改めて皿に目を落とし、まじまじとそれを見つめる。
「では、その……パンも?」
信じられないという顔だ。彼女からすれば主食がないのも当然で、けれどシルフィンは困ったように俊一郎を頼る。
仕方がないと、俊一郎は在りし日のスラム街時代を思い出した。
「貧民にとって、パンは値が張るものの代表です。芋が食えれば上等で、僕も昔は塩のスープとそれで生活していました」
告白に、セシリアは俊一郎の顔を見つめる。シルフィンも、そういえばと俊一郎の話に聞き耳を立てた。
なんだかんだで村の中ではお嬢さん育ちの彼女は、平民ではあっても貧民ではない。
「ありがとうございます」
質素な食事を前にして、セシリアは俊一郎に心から礼を述べた。
「カツラギ様は、贅沢な我が儘を言っているわたくしに、ご教授してくださったのですね。……恥ずかしながら、自分の無知と愚かさが身に染みました」
セシリアは強く匙を握りしめた。ヌクヌクと王宮で育っておきながら、嫌になって飛び出した自分。今になって、後悔と羞恥の念がセシリアを襲う。
「まさか。そんな趣味の悪いことはしませんよ」
しかし、そんなセシリアの言葉を俊一郎は切って捨てた。セシリアが「え?」っと顔を上げ、シルフィンも意外な言葉に目を向ける。
俊一郎は匙で芋を潰して掬うと、それを口に運んだ。咀嚼し、うんと確かめるように頷く。
「どうぞ。食べてみてください」
「は、はいっ」
言われ、慌ててセシリアが匙を運ぶ。一口食べて、そして彼女は驚いて目を見開いた。
「どうです? 美味しいでしょう」
笑い、俊一郎は干し肉も口にする。素では噛みちぎることも難しい。ここまで柔らかくなっているのは、ひとえに傍らのメイドの手腕だ。
芋も豆も柔らかすぎず固すぎず。塩だけで味付けされたにしては風味が深い。
「安かろうが高かろうが、美味いものは美味い。これらは全て、庶民の知恵です。……まぁ、僕のメイドは特別優秀なんですがね」
言われ、シルフィンの身体がぴくりと動く。褒められて、どこかこそばゆいようにシルフィンは横目を向いた。
セシリアも、黙って俊一郎の話に耳を澄ます。
「素晴らしいじゃないですか。飯が美味い。生きていく上で最も大切なことです」
言い切った俊一郎に、ポカンとセシリアが口を開けた。シルフィンも、俊一郎がなにを言いたいのか掴みきれずに眉をしかめる。
「あの、旦那さま? 言いたいことがよく……」
メイドに進言さて、けれど俊一郎は首を傾げた。どうも自分の主人の腹言葉は難解で、シルフィンはどうしたものかと眉を寄せる。
そんなシルフィンに、俊一郎はあっけらかんと答えてみせた。
「いやだから、芋と豆の貧乏飯でもここまで美味いですよって伝えたくてだな」
「は?」
俊一郎の言葉に、今度こそ本当にシルフィンは耳を疑った。
「えっとつまり」
「君の料理上手を姫様に自慢してやったわけだ。感謝するんだな」
得意げに笑う俊一郎に、思わずシルフィンはずっこけそうになってしまった。なにやら深い話が聞けるかと思ったが、どうも単純に飯が食べたかっただけらしい。
「いやでも、ほんと凄いぞこれ。俺に少しでも君くらいのスキルがあれば、まだマシな極貧生活だったろうに」
苦いスラム時代を思い出す。固いパンや芋ばかり食べていたが、調理にももっと気を割くべきだった。余裕のなさは、まずは手間と心を奪っていく。
「要は、飯が美味いうちは大丈夫だということだ。……どうです姫様、王宮での食事は美味しかったですか?」
俊一郎はそこでセシリアに向かって閉じた問いを向けた。少し考えて、セシリアがこくりと頷く。
「はい、美味しかったです」
微笑みながら、セシリアは呟いた。そして、今日という一日を思い出す。
「ですが、少しだけ寂しかったかもしれません。本当に、今日口にしたものたちは、王宮でのご馳走に負けないくらい素晴らしいものでした」
セシリアはシルフィンを見つめる。初めての友人に感謝して、王女はゆっくりと匙を口に運んだ。
「……本当に、美味しい」
味わい。セシリアは目を瞑った。
もうすぐ、迎えの時計の鐘が鳴る。シルフィンは、ぎゅっとエプロンを握りしめて唇を震わせた。
「あの、その……淋しくなったら、またいらしてください。今度は、一緒にご馳走作りましょう」
シルフィンの言葉に、セシリアはにっこりと笑みを浮かべる。
今度がいつになるかなど分からないが、心からの笑顔を彼女に向けた。
「ええ、またいつか」
◆ ◆ ◆
「すごい人ですねぇ」
数ヶ月後、人混みの中でシルフィンは綺麗な青空を見つめた。
「そうだな。それだけ、姫様が好かれているということだ」
傍らの俊一郎も顔を上げる。
王宮のバルコニー。目を凝らしても見えるか分からない位置に、彼女はしっかりと立っていた。
「……戴冠式。これで、姫様がこの国で一番偉くなるんですよね?」
ちらりと、不安そうな顔でメイドは主人を見つめる。
政治にも詳しいご主人様は、相変わらずに意地悪な言葉を口にするのだ。
「さてな。そう単純なものではないさ。まだ国王もお后もご存命だし、リューオーもロプスも目を光らせてる。頭の飾りが増えただけだろうよ」
身も蓋もない主人に、ぷぅとシルフィンは頬を膨らました。
けれど、俊一郎はくすりと笑う。
「まぁ、でも大丈夫だろ」
人々から祝福を受ける少女を、俊一郎は見つめた。かろうじて、手を振っているのが確認できる。
「なんでです?」
無責任な呟きに、こいつめとシルフィンは袖を引いた。説明を求めるメイドの頭に、主人はポンと右手を置く。
「君のおかげだ」
なにせ、美味いものは覚えている。
あの芋の味を、彼女が忘れなければ大丈夫だろう。
「あっ! 旦那さま! 見てください!」
そのとき、シルフィンが上空を指さした。集った人々も、感嘆の音と共に頭上を見上げる。
「おお、あれが……!」
真っ赤に燃える炎のような羽に、金色のくちばし。頭上の視界を覆うような大きさの影が、王宮から北の空へと飛んでいく。
王家守護聖鳥ホウオウドリ。かつて彼女と共に食べた卵の主を、俊一郎は目を細めて見送った。
「なに、大丈夫さ」
自信を持って呟いて、主人はメイドに目を戻した。
きっと、彼女の作る道はこの空のように澄んでいることだろう。




