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第35話 水底の森

お読みいただきありがとうございます。

おかげさまで漫画版『幻想グルメ』が売り上げ好調につき、本日の出版会議で大幅増刷が決定いたしました!これもご購入してくださった読者の皆さまのおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。

この調子でなろう版含めより一層頑張って参りますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。


「聖域?」


 翌日、土地の査定をしていた俊一郎はシルフィンの言葉に首を傾げた。

 辺りを見回し、畑くらいしかない平原をきょろきょろと見つめる。


「ええ、実はこの辺りは山向こうが水底の森という聖域になってまして。私も行ったことはないんですが、そこの一族の方に挨拶した方がいいだろうと父が」

「なるほど」


 納得したように俊一郎は畑の向こうの山々を眺める。聖域ということは、竜の森の長老のような土地神がいる可能性も高い。取り仕切っている一族がいるというなら、挨拶くらいするのが筋だろう。


「まぁ、迷惑はかけない距離だとは思うが。……大丈夫なのか?」

「村から話は通してあるみたいです。聖域に触れない限り、どうでもよいと」


 言われ、ふーむと俊一郎は唇に指を置く。なんとなく面倒な予感がするが、こういうのも仕事の内かと俊一郎は手元の書類をぱたんと畳んだ。


「よし、なら早い方がいいな」


 もたもたしていると日も暮れる。先方を待たすわけにもいかないと、俊一郎は深々と茂る森に足を向けるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「歩くと結構あるな」

「そうですね」


 かれこれ一時間。近くに見えた森は、歩くと中々に足にくる距離であった。

 整備されていた道が消え、足下が苔や枯れ草に覆われた道を踏みしめる。


「水底の森というのはなんなんだ?」

「さぁ、それが私もよく。昔から、近づいてはだめだと教わって育ったので。綺麗なところらしいですが」


 シルフィンの話も要領を得ない。そんな聖域、余所者の自分が踏み込んでいいのかと俊一郎は不安になる。


「やはり君のお父さんにも付いてきてもらったらよかったかな」

「確かに。なんか変でしたね」


 仕事があるからと頑なに拒まれてしまった。嫌われているわけではないだろうが、村長も含めて皆森には付いていてくれないらしく。

 もしかしたら本当に面倒な一族なのだろうかと俊一郎は嫌な予感に眉を寄せる。


「あ、見えてきましたよ。あれじゃないですか?」


 そのときだ、なにかを見つけたシルフィンが声を上げた。

 見れば、まるで鳥居のような建造物が森の中に存在している。


「おお、こりゃあ立派な」


 日本の神社の鳥居とは形が違うが、それがなにか大切な場所の入り口であることは明白だった。蔦と木で造られた巨大な門がひとつ、聖域を守るように建っている。

 俊一郎は、荘厳な雰囲気の鳥居を指でなぞった。


「貴方たちがカツラギ様ですね」


 鳥居を見ていると、ふと声が聞こえた。透き通るような声に驚けば、いつの間にいたのか一人の少女が鳥居の傍らに立ってこちらを見ている。


「あ、はじめまして。貴女がリンさんで……」

「この、余所者が」


 瞬間、辺りの草陰から数人の人影が飛び出した。

 計6人。警戒するように囲まれて、ぎょっと俊一郎とシルフィンの身体が固まる。


 まるで、巫女服のような出で立ちをした少女たちは皆、狐のような面のを被っていた。

 顔も分からない少女たちに囲まれて、俊一郎の鼓動が速くなる。


「ここを聖域と知っての狼藉か!」

「ここを聖域と知っての振る舞いか!」

「ここを聖域と知っての狼藉か!」

「ここを聖域と知っての振る舞いか!」

「ここを聖域と知っての狼藉か!」


 錫杖のような杖を持った少女たちが、カンカンと足下の岩を打ち鳴らす。辺りを異様な雰囲気が包み込み、俊一郎の喉が急速に乾いていった。


(しまったッ! なにか粗相をッ!?)


 考えられるとすれば先ほどの鳥居。安易に触れるべきではなかったかと、俊一郎は膝を折る。


「す、すみません! あまりに美しかったので。お許しください!」


 なにかあればシルフィンだけでも。そう思い、ちらりとシルフィンの顔色を窺えば、恐怖でピシリと固まっていた。

 乾いた唾を飲み込みながら膝を着く俊一郎を、少女たちが一様に見つめる。


 そしてーー


「あはははっ! やったー! 大成功っ!!」


 仮面の奥から、無邪気な声が聞こえてきた。


「……へ?」


 ぽかんと口を開ける俊一郎の元に、鳥居の少女が近づいた。面を外せば、奥からは可愛らしい亜人の少女がこちらを見てくる。

 他の子も、わらわらとこちらに向かって集まってきた。


「びっくりしたでしょー?」

「怖かった? 怖かった?」

「すごーい! 都会の人だー!」


 みな一様に、きゃいきゃいと楽しそうな声をあげる。

 そこまで来てようやく、俊一郎はからかわれたのだと気がついた。


「はははは! お兄さんびっくりしたでしょー!?」


 笑いながら、面をずらした女の子が声をかけてくる。

 少女たちの中では年長の彼女が、きっとお目当てのリンさんだろう。


「驚いたというか、寿命が縮みましたよ。……貴女がリンさんですね?」

「そうだよ。あはは、ごめんねー。妹たちの娯楽も少なくてさ、たまのお客さんにはびっくりしてもらってんのさ」


 リンは足下にじゃれついている妹をよしよしとあやす。

 ひとまず安堵して、俊一郎は妹たちに群がられているシルフィンを見やった。


「お姉さんメイドなのー?」

「もうお兄さんとキスしたー?」

「ちょ、わ、私はですねっ!」


 いいように遊ばれている自分のメイドに苦笑して、俊一郎は鳥居を見上げる。


「それにしても、凄いですね。厳かです」

「あはは、そんな立派なもんじゃないよ。爺ちゃんたちが暇なもんで造っただけで、森とは関係ないもんさ」


 言いながら、リンは「付いてきな」と鳥居を潜った。俊一郎とシルフィンも、妹たちに連れられて鳥居を潜る。



 ◆  ◆  ◆



「夜、ですか?」


 鳥居を抜けた先。そこに建っていた小さなお堂で、一同は休憩を取っていた。

 妹たちの相手をしているシルフィンを横目に、俊一郎はリンの話に聞き返す。


「昼でもダメってことはないんだけどね。見るなら夜がいい」


 あぐらを掻いて座るリンに、俊一郎はとりあえず頷いた。夜の森は危ない気もするが、他ならぬリンが言っているのだ、従うしかないだろう。


「お兄さん、美味しいもの好きなんだって? お兄さん次第じゃ、夕飯は豪華かもしんないよ」

「え? それはどういう……」


 聞かれ、リンは「着いてからのお楽しみ」だとニカリと笑った。

 日は既に傾いている。水底の夜はもうすぐだった。

 


 ◆  ◆  ◆



「水底の森とお聞きしたんですが、聖域ってのは本当なんですよね?」

「本当だよ。私は子供のときからここで遊んでるからピンとこないけど、余所の人からすれば珍しいみたいだね」


 よいしょと、リンが森を下っていく。気づけば森の道は下りになっていて、心なしか辺りの植物の様子が変化していた。

 すっかり暗くなった森の中を、けれどぼんやりとした明かりに包まれて一同は進んでいく。


(ヒカリ苔……確かに幻想的だが……)


 淡く光る苔のおかげで、辺りは幻想的に光っている。ヒカリ苔だけならば、珍しいが他の場所にないわけではない。なにか段々と辺りの空気が変わっていく。一度息苦しいような気がして、しかしそれはすぐに消えた。


「わぁ」


 歩いて十数分。木々を抜けた先の空間を見たシルフィンの声が響く。

 思わず、俊一郎も立ち止まった。


「これは……」


 なるほどと、俊一郎も理解する。

 水底の森。その名前の由来は、一目瞭然だった。


 まるで珊瑚礁に来たかのような光景が、目の前に広がっていたからだ。

 森の地面には、苔と珊瑚のような植物が。立つ木々も、背の高い海草のように曲がりくねっている。


(珊瑚とはまた別種の……いや、しかしこれは)


 海の底。そうとしか思えないが、歴とした森の中だ。

 見渡す限りの森の珊瑚礁。それが、いったいどこまで続くのかという規模で広がっている。


 そして、極めつけは。


「なるほど、水底だ」


 頭上を見上げ、俊一郎は笑ってしまった。釣られたシルフィンも顔を上げ、その光景に目を見開く。


 そこでは、魚の大群が渦を巻いて泳いでいた。

 月明かりに照らされて、魚の群が光の渦を創っている。


 一瞬、海の中かと錯覚した。空気が確かに吸えるのを確認して、俊一郎は呆然と上を見上げる。


「ソラウオっていってね、名前の通り空を泳ぐんだ。綺麗でしょ?」


 リンが、いそいそと背負っていた杖を弄くりだした。魚に見とれていた俊一郎が、なにをしているんだろうとリンを見やる。


「よし出来た。ほら、お兄さんの分」


 そして、当然のように手渡される。細くしなやかな杖の先には、糸のようなものが付いていた。

 まるで釣り竿のようなそれに、俊一郎がまさかと頭上を見上げる。


「釣れなかったら夕飯はなしだから、頑張ってね」


 リンの言葉に、手元のものがまるでではなく、本当に釣り竿であったことを俊一郎は悟る。

 みれば、糸の先には蝶々がひらひらと飛んでいた。


「こうやって蝶を垂らしてるとね、ときどき食いつくんだ。まぁ気長にやってよ」


 リンも、ひょいと竿を構える。針を付けられた蝶々が宙へと飛んでいき、ひらひらと上空を舞い始めた。

 要はあの蝶々が餌で、ソラウオを釣り上げようということらしい。


 上下の感覚が狂いそうになる中、俊一郎はソラウオの群に向かって蝶々を飛ばした。

 随分と綺麗な模様の蝶で、餌にするには少々惜しい気もするが、目立つ方が食いつきはいいのかもしれない。


 妹たちに釣り竿を押しつけられているシルフィンを見やって、俊一郎は水底の岩場に腰を下ろした。

 そのうち、ぎこちない手つきで蝶を飛ばしたシルフィンが横に来る。


「しかし、こうしてると本当に海の底にいるみたいだな」


 何の気なしに呟いた。頭上には魚の渦。珊瑚礁の上で、まるで水中で話しているかのように思えてくる。

 けれど、言われたシルフィンは不思議そうに聞いてきた。


「旦那様は、海の底に行ったことがあるので?」


 物珍しげに、けれどあまり分かっていない風にシルフィンはソラウオの群を見上げる。そういえば、海に関してはあまり縁のないメイドであった。


「学生時代に何度か、ダイビングでな。まぁこんな感じだよ」

「はぁ。よく分かりませんけど、すごいですね」


 傍らのメイドは、この森のことをちょっと変わった植物が生えているくらいにしか思っていないのだろうか。興味深げにソラウオを見つめるが、シルフィンは眉をしかめて不思議そうに首を傾けた。


 そんな鈍いメイドを見やって、リンが楽しそうに笑い声をあげた。リンからしても、この森は生まれたときからこんな感じだ。


「運が良かったら、ソラ神様に会えるよ。綺麗だからさ、見れたらいいね」


 釣り糸を揚げながら、リンが上空をぼんやり見上げる。

 神の一文字に、俊一郎も気になって聞き返した。


「ソラ神様というと、この森の土地神さまですか?」

「んー、どうなんだろ。たぶんそうなんだけど、ソラは広いからさ。私たちが勝手にそう呼んでるだけな気もするな」


 自然体で話すリンは気持ちよさそうに宙を見上げる。この世界では、土地神というのはその名の通り、その土地を創る神様だ。

 ここまで不思議な森なのだ。きっとそのソラ神が、この水底を創り上げているのだろう。


「お、来たかな」


 リンの呟きが嬉しそうに落ちる。リンが笑顔で振り向いた方向へ、俊一郎とシルフィンも顔を向けた。

 上空がざわめき出す。ソラウオの群の渦が乱れ、まるで海流のように広がり始めた。


「うお……ッ」


 ソラウオが散り、そしてその瞬間、俊一郎はあまりの光景に息を呑んだ。

 青白く光る、巨大なエイ。ソラウオの群を覆い尽くすような巨大なエイが、森の上空に現れていた。


「これが……ッ!」


 揺らめく身体の光は、月光を吸収するかのようにはためく度に揺れている。ソラウオの群が逃げるように散りじりになるが、とうの本人はただ森の上を悠然と泳いでいる。

 まさに幻想と呼ぶに相応しい光景に、俊一郎は目を輝かせた。


 土地神。この世界で見る彼らは、一様に心を震わせてくれる。

 しかし、次に聞こえてきたリンの声に、俊一郎は耳を疑った。


「兄ちゃん違う! そっちじゃない!」


 短く聞き返す暇もない。リンがエイの更に上空、天空に向かい、輝く顔で指を指す。

 それを認識した瞬間、俊一郎は今度こそ言葉を失った。


「なーーッ」


 巨大な魚。そうとしか言えない存在が、森の空を包んでいた。

 先ほどのエイが小さく感じるほどの、圧倒的な大きさで、その雄大な姿が夜空の全てを覆っていた。


 ジンベエザメ? それとも鯨? なんと形容するか分からないが、とにかく巨大な生き物が、悠然とソラの大海を泳いでいる。


(これが、ソラ神……)


 目を疑った。ソラ神のお腹の辺りに、先ほどのエイが数匹、寄り添うように泳いでいる。

 エイだけではない、他にもソラウオの大群や巨大なソラウオが、まるで遊ぶように周りを囲んでいた。


 月の明かりを淡く受け、ソラ神は海の色に輝いていた。まるで全てを受け入れるように、ゆっくりと森の上空を通過していく。

 あまりに壮大なその姿に、俊一郎はただただ黙って水底からソラの海を見上げていた。



「あっ、お兄さん! 引いてる引いてる!」


 リンの声が静寂を打ち破り、俊一郎は慌てて自分の竿を見つめた。

 通り過ぎていくソラ神の姿を見送りながら、俊一郎は手元に感じる引きの強さに海の力を感じ取るのだった。


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