第34話 帰郷(3)
村の入り口で掲げられている横断幕に、シルフィンはこれでもかと眉を寄せた。
『歓迎!サキュバール家ご一行さま!』
それはもうご丁寧に、満面の笑顔で手を振る村人たちが俊一郎たちを出迎える。
「……楽にすみそうだな」
「そうですね」
ため息を吐きながら、シルフィンは駆け寄ってくる顔見知りをまぁいいかと懐かしい顔で見やるのだった。
◆ ◆ ◆
「いやぁ! よくぞ来てくださいました! ささっ、飲んで飲んでっ!」
数分後、あれよあれよという間に村の集会場に通された俊一郎たちは、村の人たちからの熱烈な歓迎を受けていた。
多少身構えていた俊一郎は拍子抜けしたように酒をついでくれる村人を見つめる。
「しっかし、びっくりしたなぁ。まさかシルフィンがお役人さまの付き人になっちょるとは」
「い、いえ、旦那さまは役人というわけでは」
まったく話を聞いていない。やんややんやと取り囲まれているシルフィンを見やって、俊一郎は弱ったねと苦笑した。
もみくちゃにされながらも、なんとか人垣からシルフィンが這いだしてくる。ようやく傍らに戻ってきた付き人に、俊一郎は労いの言葉をかけた。
「お疲れさま、人気者だね」
「すみません。みんなお調子者なので」
恥ずかしそうに俯くシルフィンだが、俊一郎からしてみれば羨ましい限りだ。自分の孤独な上京を思いだし、俊一郎はくすりと笑う。
「いいんじゃないか? 僕なんて、たとえ故郷に戻れても誰も迎えになんか来んぞ」
出された酒を飲みながら、俊一郎はシルフィンにもグラスを差し出す。それを片手で断って、シルフィンはお代わりを俊一郎のグラスに注いだ。
「先生、娘がお世話になっちょります」
そのときだ、やけに低くいい声が俊一郎にかけられる。シルフィンがびくりと肩を跳ねさせて、俊一郎は声の主の方へ目を向けた。
中年だが、美形なエルフのおじ様が一人。もう一人の恰幅のよい獣人が、この村の村長だろう。
「これはこれは、カツラギ・シュンイチローです」
立ち上がり、俊一郎も握手を交わす。見ればメイドは緊張したようにカチンコチンで、思わずくすりと笑ってしまった。
二人もそんなシルフィンを楽しそうに見つめた後、世間話もなんですしと話し出す。
「村長のアルバートです。こっちは、そちらのシルフィンの父親でもあるリック。村の村内会長をしております」
にこりと微笑むリックに、俊一郎は「ほう」と驚く。考えてみれば、メイドの家族事情を聞くのは初めてだ。
「今回は、村の土地を買い取っていただけるようで。ありがとうございます」
交渉すらする余地もなく、お礼を言われてしまった。完全に拍子抜けした俊一郎が、少し驚いて二人を見つめる。
そのときだ、たまらず控えていたシルフィンが口を開いた。
「そ、そのお父さん! ほんとにいいっちゃと!? この人たち、この辺り一帯買い占めるって言いよるんよ!?」
「おいおい、どっちの味方だ君は」
苦笑して俊一郎がシルフィンを見やるが、本人は真剣そのものだ。うっかり方言が出ているのも気づかずに、父親に直談判している。
しかしそんな娘を諭すように、リックは優しく口を開いた。
「シルフィン、気持ちは分からないでもないがな。お前が都会で働いている間に、随分と状況が変わったんだ。村の中には、反対してる奴は一人もいないよ」
父親の声に、シルフィンは言葉を詰まらせた。「なんで」と言いたいのだろうが、全員が賛成していると言われてはどうしようもない。
代わりにリックが視線で質問してきて、俊一郎はこくりと頷いた。
「……魔導鉄道のせいですね?」
「さすが先生、その通りです」
頷く父親に、シルフィンが不思議そうな顔をする。魔導鉄道といえば、今のオスーディアでは土地の花形だ。事実駅前が賑やかになっているのを、この目で見ている。
どういうことですと目で聞いてくるシルフィンに、俊一郎は口を開いた。
「いいことばかりじゃないってことだ。金が動くときはな、シルフィン。どこかで割を食ってる人たちがいるもんなんだよ。……例えば、新たに整備された街道から外された村とかな」
俊一郎の説明に、シルフィンが目を見開く。バッと顔を上げて見れば、リックが苦い顔で見てきていた。
村までの道中、明らかに人が少なすぎた。いくら田舎とはいえ、元は交易地点。行商人の一人にも出会わないのはおかしい。
「仰るとおり、私たちの村は新たに整備された街道から、ことごとく外されました。昔はこれでも小さな宿場町として、なんとかやっていけていたのですが。……行商人がこなければ、満足に野菜を売ることもできません」
悲痛そうなリックの声に、周りで見守っていた村人も肩を落とす。村に入ったときに田舎以上に寂れた印象を受けたが、それは間違いではなかったということだ。
「今は村で作った野菜や工芸品を駅前に運んで、なんとか生計を立てている状況です。しかし、そもそも駅前が発達したのもあってか、我々の商品は見向きもされず」
「なるほど」
新たな街道、魔導鉄道。駅前に運び込まれる物資の数は、それまでの比ではないだろう。そんなところで商売をするとなると、それなりの品質が必要だ。
ふと見ると、泣きそうな顔でメイドがぷるぷると震えていた。そんな顔は初めて見るので、ぎょっとして俊一郎が顔を上げる。
「あ、安心しろシルフィン。俺たちがなんとかするから」
「ほ……ほんとですかぁ?」
目尻に涙を溜めながらなぜか睨んでくるメイドに、こくこくと俊一郎は頷いた。これは早く明るい方向に持って行かないと、今にも決壊しそうである。
興味はあるが、メイドの泣き顔で喜ぶ趣味はない。本題に入ってしまおうと、俊一郎は鞄から資料を取り出す。
テーブルに資料を広げ、村人たちが興味深げにそれを覗き込んだ。けれど大半は文字が読めないので、みな俊一郎の方をじっと見つめる。
「今回のお話は、大規模な農園と果実酒工場の計画です。基本的には村の人たちをサキュバールが雇用するという形になると思いますが、もちろんお給料はきちんと支払わせていただきます」
基本給が記された資料を渡されて、村長とリックが目を見開いた。品質の保証は従業員の給料から。四大貴族を舐めてもらっては困る。にわかにわき上がる村人たちに、俊一郎もほっと胸をなで下ろす。
「でもその……農家と工場で雇われる人はいいですけど。他の人たちは」
そんな中、村人の一人がおずおずと手を上げた。宿屋の女将を見やって、俊一郎はにっこりと笑う。
「ご安心ください。新たな果実酒は、村の特産品として名物になるはずです。特産品自体が有名になれば、行商人の方や観光の方も戻ってくるでしょう。宿屋もまた機能し出しますよ」
俊一郎の笑顔に、ご婦人方が嬉しそうに手を合わせた。
正直な話、そこまではサキュバールの管轄ではないのだが、村自体が活気づくのはサキュバールにとっても悪いことではない。
「ちなみにこれが、皆さんに作ってもらうお酒です」
そう言って、俊一郎は鞄から一本のボトルを取り出す。銘酒ライトロード。今なら発明王も唸らせられる、自慢の一品だ。
「失礼。明かりを数本落としてもらってもよろしいですか?」
コルクを抜いた俊一郎に言われ、村人が慌てて蝋燭の火を落とす。
魔力発電など当然通っていない辺境の村の一室に、幻想の光が揺らめいた。
「こちらがサキュバールが誇る、銘酒ライトロードです」
用意されたグラスに、酒が注ぎ込まれる。空気に触れた蛍木の果汁が、淡い発光を開始した。
段々と強烈さを増していく光に、以前見ているはずのシルフィンまでが身を乗り出した。
アルコール度数20パーセント。この国では法的濃度ギリギリの、アキタリア原産種のポートワインだ。
「このまま放置しても、1時間ほどは発光を続けます。……味の方を見てもらっても?」
促され、村長がグラスを持ち上げた。口に含み、驚いたように目を開く。
「あ、甘いですな。……いや、しかしこれは。むしろ度数的にはキツめで……お、美味しいです」
村長の言葉に、俊一郎はにっこりと微笑んだ。甘口というにも温い、ポートワイン独特の甘みとコクだ。甘味が少ない異世界の人にはより強烈だろう。
「これなら確かに、特産品としては十分ですね」
リックも驚いたようにグラスを見つめた。口元が緩んだのは、ようやく希望が見えてきたからだ。
「こうして製品自体はありますが、まだ大量生産には課題が残っている状態です。実の出来にもムラが多いし、その辺りをこの村の農場で改良していこうと思っています」
「いやぁ! ありがたい話です! もちろん全面的に協力させていただきますよ!」
村長に手を握られて、俊一郎も力強く握り返す。
元より手を抜くつもりもないが、今回ばかりはメイドの涙がかかっている。お任せくださいと、俊一郎は村の人たちに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「だ、旦那さま!」
その夜、用意された部屋で俊一郎は月を見ていた。二つ並んだ月を見ながら、興奮した様子のシルフィンの声を聞く。
「その、なんていうか……見直しました! 村の人たちも喜んでましたし! これで大丈夫ですね!」
まるで村の問題は解決したとばかりのメイドに、思わず俊一郎も微笑んだ。なんだかんだで、故郷の大事は心配だろう。
しかし、ピコピコとエルフ耳を動かしながら詰め寄るシルフィンに、俊一郎は冷静に告げる。
「まぁ、そう全てが全て上手くいくとも思えんがな」
「は?」
きょとんと、シルフィンの顔が固まった。「なにを言ってるんだこいつは」と言いたげなシルフィンの顔に、苦笑しつつ俊一郎は口を開く。
「村の人たちの手前、耳当たりのいい説明に終始したがな。あんなもん、セミナー販売とあまり変わらん。サキュバールが雇用を保障する人たちはともかく、それ以外の人たちまでは何とも言えんよ」
「だ、騙したってことですかっ!」
詰め寄られ、落ち着けと俊一郎はシルフィンを宥めた。納得しかねる表情のメイドに、俊一郎は優しく諭す。
「商売に絶対はないということだ。もちろん俺もサキュバールも全力であたるがな、たとえ上手く行ったとしても、全ての人が満足する結果には中々ならん。それこそ魔導鉄道の開通で寂れたこの村みたいにな」
説明に、うぐっとシルフィンも口を噤む。
「それこそもしかしたらサキュバールに雇われた村人とそうでない人たちとの間に軋轢が生まれるかもしれないし。そこまでは正直、面倒見切れんよ。ある程度から先は、この村の人たち次第というわけだ」
「そ、それは……ッ」
もごもごと口を動かすシルフィンに、それでも俊一郎は微笑んだ。頭に手を置き、大丈夫だと言ってみる。
「それでもまぁ、俺は心配していないがね。この村の人なら、大丈夫だと思うよ」
シルフィンの顔が上がる。「どうしてです?」と不安げな顔で聞いてくる自分のメイドに、主人は窓を見つめながら呟いた。
「君が育った村だからな」
窓の外では、二つの月が輝いている。魔力発電もない世界。いつもより、夜空が明るく綺麗な気がした。
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