第25話 拳闘場の露店品
「コロッセオ……ですか?」
目の前に差し出された紙切れを見やって、シルフィンが首を傾げた。
ぴらぴらと目の前で振って、俺はそれを彼女に手渡す。
「そうだ。シャロンお嬢様がこっちに来ているだろう? どうも拳闘場でお嬢様をもてなすらしい。せっかく誘われたから、君もどうかなと思ってね」
まぁ、自分が行くとなればシルフィンも自動的に同行することになる。豪華な箔押しで印刷された入場券を見て、シルフィンは気の進まないように眉を寄せた。
「どうした? 拳闘場の最前席だぞ。貴族といえどおいそれと手に入れれるものじゃない」
「それは……そうなのでしょうが」
オスーディアが誇る拳闘場。石造りで建設された巨大なコロッセオは、国中に王都の名声を轟かせる一大施設だ。
国中どころか世界中から集められた強者たちが、ときには強者同士、ときには魔獣じみた猛獣との戦いを観客に向けて披露する。
危険も伴うが、人気、収入ともに平民が手に入れることができる範囲では最上級のものを目指して、日々手に汗握る戦いが繰り広げられているのだ。
立ち見ですら入場するのにはかなりの大金が必要で、それでも市民たちは号外での勝敗だけでも一喜一憂して楽しんでいる。
そんな国の一大興行の最前列席だ。ファンならば喉から手がでる代物である。
けれどシルフィンは、眉を変えずに言葉を続けた。
「拳闘って、アレでしょう? 血がドバーとか、怪我がグワーとか。私はちょっとそういうのは苦手で」
「ははは! なんだ、可愛いとこあるじゃないか! 女の子だな!」
なんとも可愛らしい好き嫌いだ。まぁ確かに、どちらかというと男の子の娯楽であろうが、拳闘には女性のファンも多い。
「大丈夫だ。昔はともかく、今は真剣での斬り合いは禁止されているようだし、殺し合うわけじゃないんだ」
というか、俺はなんとしても見たい。気にはなっていたものの機会がなくて行ったことはなかったが、いってしまえば古代ローマの雰囲気が味わえるのだ。男として心躍らないはずがない。
「そうなんですか? でしたら、まぁ……」
「だろう? こんないい席、あのひとつ目のお嬢様でも絡まないと取れないからな。見ないと損だぞ」
あのお嬢様が拳闘をお気に召すかは分からないが、今回ばかりは俺が楽しめたらオッケーだ。
「楽しみだな!」
久しぶりに男の子の血が騒ぎ出す俺を見て、シルフィンも興味深げに箔押しのチケットを見つめるのだった。
◆ ◆ ◆
「コロッセオは今から50年ほど前に、先々代の国王様が建設なされたそうです」
「ほう、そう聞くと思ったよりは新しいな」
王都の街道、見えてきた巨大な建築物を見上げながら俺はシルフィンの解説を聞いていた。
地球人の自分は闘技場と聞くと古いイメージがあるが、なるほど、ローマのコロッセオも造られたばかりは目新しいものであったのは当然の話。
「ところでシルフィン、闘技場を経営しているのは誰か知っているかね?」
いつもメイドに教わるばかりというのも主人として具合が悪い。俺は横を歩くシルフィンに意地悪そうに話しかけた。歴史は教科書を知るメイドの役割だが、金回りのきな臭い話はこちらの領分だ。
素直に知りませんと首を振るメイドに、俺は愉快そうに口を開く。
「オスーディア王家だよ。実質的に四大貴族が支配するこの国において、コロッセオは王家の権威を示す大事な象徴というわけだ」
姫様の誕生会を思い出す。形骸化した王家の人々にとって、権威や国民からの敬愛というのは最後の柱だ。懐事情は四大貴族に劣るとも囁かれている王家がこのような巨大事業に手を出したのも、ひとえにはそういう苦肉の策めいたものもあったのだろう。
「それでもその先々代の国王というのは優秀だな。実際、王家の収益にとっては少なくないものになっているというし、こうして拳闘目当ての観光客が王都自体を賑わしてくれる」
言いながら辺りを見回す。様々な種族が溢れているのは相変わらずだが、行き交う人の服装や身なりが千差万別だ。
平民も貴族も共に熱中する娯楽を提供できているというのは、国全体にとっても大きな利益だろう。
「っと、近づくと更にデカいな」
コロッセオに近づくにつれ、楽しそうに会場に向かう人々で混み始める。周りにはその人たち相手の露天なども立ち並んでいて、ちょっとしたお祭りみたいだ。
「凄い人だな。どこに行けばいいんだ?」
シルフィンと二人して辺りを見回す。見れば、皆チケットを片手になにか確認しているようだ。
「旦那さま、入り口ごとに番号が付いているようです。恐らくチケットに」
「なるほど。座席ごとに入場ゲートが決まっているわけか。混雑を回避できていいな」
コロッセオには大きな入場ゲートがいくつも設置されていて、皆自分のチケットに書かれた座席番号に従って入場しているようだ。基本的に立ち見以外は指定席なのだろう。
予想以上に整理されている人の流れに感心しつつ、俺は手元のチケットの番号を見つめた。
「……七番ゲート。正面ゲートの真裏だな」
「少し歩きますね」
ぐるりと回らなくてはいけない。コロッセオ自体が巨大だから馬鹿にできない距離だ。
シルフィンと少なくなっていく人混みを見流しながら、外にまで伝わってきている会場の中の喧噪を耳に聞く。
「ああ、なるほど。あっちにも裏道があるのか。こっちの方は身なりがいい人が多い」
ごちゃごちゃと混雑していた正面側と違い、裏手の方に行くごとに豪奢な服装の人々が増えてきた。一般販売と貴族相手のチケットで座席を分けているというわけだ。
そういうのもどうかなという気もするが、トラブル回避のためには致し方ない処置なのだろう。
「個人的には露天の匂いがする向こうの方が好みだがな。なにか買っておけばよかったか」
揚げ物や串物など、手軽に摘めるものが結構あった。せっかくの拳闘観戦だ、少しくらい酒とツマミが欲しいものだが。
「え? でも、シャロン様と観覧なさるんですよね?」
俺の呟きにシルフィンがぎょっと目を向けてくる。まぁ確かに、あのお嬢様の横でぷんぷんと揚げ物の匂いを漂わせながら酒を飲むのは勇者のすることだ。
今回は完全プライベートというわけではなく半分仕事のようなものだし、非常に残念だが露天の味を楽しむのはまたの機会になるだろう。
「そういえば旦那さま、コロッセオには売店もあるらしいですよ」
まったく、どうしてこうも俺をいじめるのだろうか。
◆ ◆ ◆
「あら、お久しぶりです」
絢爛だが重厚な鉄の扉に守られた七番ゲートの奥には、優雅にグラスを傾けているひとつ目のお嬢様がプライベートを満喫していた。
「……お久しぶりです」
全然お久しぶりではないのだが、挨拶もどこかテキトーな彼女に俺は眉を寄せた。
この世界では貴重なガラスのグラスの中に注がれた果実酒の色を楽しみながら、ロプス家のご当主さまは一人掛けのソファの横に据えられたローテーブルから、丸まると大きな赤い果実を指で摘む。
口を開け、あーんと一口で放り入れ、肘掛けにもたれ掛かるシャロンお嬢様を俺は唖然と見つめていた。
「なんです? 人の顔を珍獣みたいに」
「い、いえ……その、随分とくつろいでいらっしゃるようなので」
見ればソファの足下には靴が脱ぎ落とされ、青い素足はドレスの裾をめくり上がらせながら組まれていた。
匂いがどうとか気にしていた自分はなんだったのだろう。
ちらりと自分とシルフィンを見つめて、シャロンは疲れたように息を吐いた。
「別に仕事というわけでもないのです。カツラギ様も堅くならずに観覧してくださいまし」
「そ、それじゃあお言葉に甘えて」
シャロンの隣のソファに腰を下ろす。どことなしに覇気のないお嬢様を横目に、俺は傍らに控えたシルフィンと顔を見合わせた。
やはり先日のリュカとの一件のせいだろうか。まぁ、わざわざ藪をツツく必要もないので視界に広がる光景を楽しむことにする。
「おお、さすがに壮観だな。東京ドームにも負けてないぞ」
見渡す限り、人、人、人だ。特に向かい側の正面席は人の粒でごった返ししている。
空席が目立つということもない。まだ試合が始まってもいないのに伝わってくる熱気は、これから始まることに対する観客の期待感によるものだろう。
シルフィンも想像以上だったのか、あんぐりと口を開けて蠢く集団を見渡していた。
「満席で五万人ほどの収容人数となりますわ。まぁ、間違いなく世界最大でしょうね」
「そ、そんなに!?」
確か東京ドームの収容人数が5万5千人ほどだったはずだから、それに迫る勢いだ。グランド・シャロンにも驚いたが、高層建築としての凄さを誇るあそことはまた別種の凄みがここにはある。
「おー、シュンイチロー! 来ていたか!」
きちんと日除けのサッシまで付いている上層を見上げていた俺に、陽気な声がかけられた。
聞き慣れた声に振り返れば、嬉しそうな顔をしたバートが紙袋片手にこちらに近づいてきている。その隣にいるのは、シャロンの執事のセバスタンだ。
「来ていたかじゃないだろ。いなくてヒヤヒヤしたぞ」
おかげでお嬢様と気まずい時間を過ごしてしまった。悪い悪いと謝るバートを睨むが、本人はどこ吹く風だ。
「お嬢様、購入して参りました」
セバスタンは俺に軽く一礼すると、シャロンに何かを手渡した。バートが持っていたものと同じ紙袋だ。
シャロンがそれを受け取り、でかしたとセバスタンを労う。
あれはなんだろう。そんな風に見つめていると、ガサゴソとバートがひと袋押しつけてきた。
「シュンイチローが好きそうだからな。お前の分も買っておいたぞ」
渡された紙袋を受け取ると、ほのかに暖かい。なんだろうとシルフィンも後ろからのぞき込む。
どうも食べ物のようだ。紙袋の口を開けると、香ばしくもややジャンキーな匂いが辺りにぷんと広がった。
「なんだこりゃ。……揚げ物か?」
素揚げされた丸い物体が紙袋の中に入っていた。持った感じ意外と柔らかそうだが、崩れてしまうほどではない。
バートに解答を求めるが、とりあえず食ってみろと先を促された。
「ふむ。ほれ、君も」
どうせならと、ひとつ摘んでシルフィンに渡す。これで道連れは確保できた。
見た目は問題なく美味しそうなので、特に抵抗なく口に運ぶ。
「……お、ほうほう。うん、美味いんじゃないか?」
「ふぁい、おいひいでふ」
噛みしめるとぷちゅりと音を立てて中身が出てくる。肉汁のようなものと、トロトロの中身。火傷するほどではないが熱々なそれは、どことなしに小籠包てきな美味しさを感じさせる。
動物性の旨味を感じるが、肉でもなければ卵でもない。なんだこれと眉をしかめている俺に、もぐもぐと同じように頬張っていたシャロンが口を開いた。
「オオカゲトカゲの目玉ですわ」
「ぶッ!?」
思わず噴き出した。あっけらかんと言った本人は、あらまぁと涼しげな顔で二つ目を口に運ぶ。
「ここの周りの露天では一番人気の珍味ですのよ。わざわざセバスタンに並ばしたのですから」
「俺も! 俺も並んだぞ!」
シャロンの解説に嬉しそうにバートが自分の顔を指さした。つまりは俺たちが人混みの中を歩いていたときにこいつは執事と一緒に露天に並んでいたということだ。
「並んだぞって……なにをしてるんだお前は」
「ははは! 一度ああいうのに並んでみたかったんだ! 面白かったぞ!」
笑いながらトカゲの目玉を摘むバート。俺の記憶が正しければ、こいつは仮にも四大貴族の一角の当主であったはずなのだが。
「シャロンさんも並べばよかったのに。人がいっぱいで楽しかったですよ」
「まさか。わたくしにそういう奇特な趣味はありませんわ」
バートの提案を呆れたようにシャロンはあしらう。なぜ自分が下々の者たちと一緒に並ばないといけないのだということだが、別にこれは隣のお嬢様が高飛車というわけではない。
なにせ四大貴族の当主だ。どちらかというと後ろの馬鹿が叱られてしかるべき事案である。
「どうだシュンイチロー! 美味いだろう!?」
「ああそうだな、美味い美味い」
まぁ美味いのは本当だ。目玉と聞くとゲテモノ臭いが、変な臭みは全くない。少し固めの膜が破れれば、中から溢れるゼリー状の中身はタンパクだが一番人気というのも頷ける味だ。
「露天で出してるってことは値段的には安いんだろ?」
「オオカゲトカゲは養殖が楽だからな。身体はデカいが、影の中に入り込む。どういう原理かは知らんが、狭い小屋でも大量に飼育できるということだ」
バートの説明にほぇえと感心してしまう。影の中に出入りできるなんてファンタジーそのものだ。そういう説明を聞くと、より一層珍味な気がしてくる。
「逆に困った害獣でもありますわ。点検が難しいので、貨物の影に紛れ込んで商品を食い荒らしたりしますの。イチイチ明かりで照らさないといけません」
シャロンも説明を足してくれた。彼女の表情からするに、困らされている側らしい。ロプス家は鉄道事業も数多くしているわけで、ファンタジー感などとは違い現実的な問題なのだろう。
バートもシャロンの隣に腰を下ろし、紙袋も段々と軽くなっていく中で、そういえばと俺を見つめた。
「シュンイチローはてっきり露天やら売店でいろいろ買ってくると思っていたが……腹の調子でも悪いのか?」
「そういえばそうですわね。どうかされました?」
二人して見つめてくる貴族の当主を、俺は複雑そうな表情で見つめ返す。
後ろでシルフィンが、我慢できずにくすりと笑った。
さて、最後のひとつを食べ終えたら、そろそろ開演の時間だろう。




