第24話 魔導の音 (後編)
俺はハラハラとにらみ合う二人を見比べていた。
リュカにシャロン。見知った顔の二人の女性は、けれど互いに見たことのない気配を放って対峙している。
「リュカの友達に、なにしてくれてんのよ」
「あら、見てませんでしたの? そちら方から手を出した事です。謂わば正当防衛ですわ」
高圧的なシャロンの態度にリュカの喉がぐるると鳴る。瞳を細め口の端から火の粉を漏らす彼女は、否応なしに人間ではないことを伝えてきていた。
しかし、リザードマンの少女の表情がふっと静まる。寂しそうに目を細め、リュカはかつての友人に呟いた。
「……シャロン、変わったよね。昔はこんな嫌な奴じゃなかった」
リュカの呟きにシャロンは答えない。なにも変えない表情で数秒見つめ合ってから、シャロンは言い切った。
「貴女がいつまで経っても子供のままなだけです。リュカさんこそ、昔は将来が楽しみな人でした」
そう言って、シャロンはゆっくりと辺りを見回す。途中俺と目が合って、にこりと一瞬微笑んだ。
言いたいことは言った。そう云うかのようにリュカにくるりと背を向ける。
「わたくしのところに来る気になれば、いつでもどうぞ。お待ちしておりますわ」
まだなにか言い足りないリュカを制して、シャロンは白い絨毯を引き返す。
従者を厳かに引き連れて、エルダニアの支配者は夜の路地へと消えていった。
◆ ◆ ◆
「シャロンのあほぉおおおおおおおッッッッ!!!!」
叫び声と共に、ドゴンとテーブルにグラスが叩きつけられる。
飛び散る果実酒は気にせずに、リュカは怒りの炎を天井に向かい吐き出した。
「ふっざけんなあのボケぇえええええええッッッ!!!」
囂々と燃えさかる火の手に慌てながら、俺は目の前の少女をどうしたものかと見つめた。
見れば、周りのゴロツキ達も触らぬ神になんとやらという風に近づいてくる気配はない。どうやら丸投げされたようだ。
「えっと、怒ってます……よね?」
「あったり前でしょおお!! なにあいつ!? 見たっ!? おっさん見た!?」
ぎゃうぎゃうと叫ぶリュカに「ええ見ましたとも」と相づちを打つ。隣ではシルフィンが泣きそうだ。なんとか火を噴くのは止めさせなければ。
「お高く止まっちゃってさ! まーじ! マジムカつくッ!!」
ピッツアも蜂の唐揚げも口に放り込みながらリュカは食べカスを飛び散らす。これはよっぽど怒っているようだ。
だがまぁ、気持ちも分かる。先ほどのシャロンの態度はハッキリ言ってない。
「……昔は仲良かったんですか?」
「あぁんっ!?」
怒れるリュカに聞いてみる。そもそもの話、あのお嬢様に友人が居たというのが俄には信じ難い話だ。
「いえ、失礼な話、あのシャロンお嬢様がご友人と遊んでいる様子が想像できないというか」
俺の質問にリュカの炎がようやく止まる。頬杖を突いて、少しだけ気恥ずかしそうに表情を作った。
「昔はあんな奴じゃなかった。飛び級で高校に入ったリュカにも優しくしてくれてさ。お姉さんって感じに思ってたよ」
「へぇ」
隣でシルフィンがリュカを見つめる。高等学校の飛び級とは流石はオスーディアの主席といったところだろうか。
ただそんなことは自慢でもなんでもないのか、リュカは遠い記憶を思い出すように目を細めた。
「そりゃあ、昔からお堅いっていうか……ま、ロプス家の長女だかんね。それでも一緒に馬鹿やっちゃあ笑ってたよ」
「僕からすれば信じられませんね」
合いの手に、「だろ?」とリュカは皮肉げに笑う。あのお嬢様にも若気の至りはあったということだ。
ただ、どうもリュカとシャロンの袂はどこかで分かれてしまったらしく、それもまた人の常なのかもしれない。
「リュカが大学行くってなってエルダニアを離れるときはさ、シャロン泣いたんだよ? 行かないでくださいましーとか言ってさ。ほんと、人ってあんなに変わるもんかね」
シャロンの愚痴を垂れながら、リュカはやれやれだぜとピザをむしる。
自分はといえば予想よりも人間臭いシャロンに驚いていた。そういえば、いつかの女神がそんなことを言っていたなと思いだす。あのときは半信半疑で聞き流したが、今思えばあれはリュカのことを言っていたのだろう。
ただ、なんとなくシャロンの気持ちも分かるような気がして、俺はふむとグラスを置く。
「なんとなく、シャロンさんは変わってはいないような気がしますけどね」
言って、リュカに睨まれた。それはそうだろう、俺はシャロンの昔をなにも知らない。
ただ、今現在のシャロンと少なからず商人として闘ってきた者の口から言わせて貰えば、さきほどのシャロンは普段の彼女と違っていた。
「……シャロンさん、わたくしのところに来なさいって言ってたじゃないですか。あれ、たぶん本心ですよ」
なんとも上からに思えるが、そもそも通常の彼女はもっと非道い。少なくとも自分たちは「わたくしの下で」と思われることはあっても、対等な立場は口先だけだ。
本心ではバートも自分も利用する気満々で、共になどとは毛ほども考えていないのがあのシャロンお嬢様という人物である。
「そんなシャロンさんが、リュカさんとは自分と対等であって欲しいと言っているように思えました。リュカさんのこと心配してるんだと思いますよ」
「リュカを? シャロンが? なんで?」
リュカが眉を寄せる。彼女からすれば余計なお世話どころか意味が分からない。
事実リュカはノーブリュードと共に自ら十分すぎるほどの生計を立て、立派に自立しているオスーディアの元主席だ。
ただ、そういう問題ではないのだろうと俺は思う。
「アイジャさんと喧嘩別れしたり、たぶんそれが気まずくてシャロンさんと疎遠になったりとか、そういうとこですかね」
「うぐっ」
図星なようだ。アイジャはロプス家の事業にも深く関わっているから、喧嘩別れした弟子としてはシャロンに会わせる顔がなかったのだろう。
なにより、リュカがこんなことになった原因の魔力発電事業を押し進めているのはロプス家そのひとだ。
「み、見てきたように言うねおっさん」
「なんとなく。シャロンさん、たぶんずっと待ってたんですよ」
不器用だなとは思うが、あのお嬢様も人の子だということだ。
本来ならば、アイジャもそうだがリュカと共に。そんな夢も抱いていたのかもしれない。
「まぁ、ここから先はリュカさんが決めることだと思いますが」
早ければいいというわけでもない。俺は立ち上がり、ぶすっと睨んでいるリュカに会釈した。
「ごちそうさまでした。またいずれ」
「へいへい、いつでもどーぞ」
慌ててコートを用意しているシルフィンに礼を言い、俺はそうだと手を叩く。
「そういえば、僕らがロプス家と進めてる共同事業、どこぞの発明王も絡んでましてね。いえ、なんてことない世間話ですが」
思わず口が滑ってしまった。振り返れば、なんとも渋そうなリュカの顔。
まぁ、奢って貰ったのだ。これくらいはいいだろうと俺はコートのボタンを止める。
ガヤガヤと騒がしくなってきた酒場を、すっかり醒めたリザードマンの少女に見送られながら、俺はシルフィンとその場を後にするのだった。
◆ ◆ ◆
「……なんというか、人にはいろいろあるものですね」
帰り道、すっかり暗くなった夜空の下でシルフィンがぽつりと呟く。
「どうした?」
「いえ、その……シャロン様なんかは、お悩みなどないように思ってましたので」
平民生まれのメイドはそんなことを思っていたらしい。
まあ、バートですら太刀打ちできない程の金持ちだ。なんでも買えるというのも強ち間違いではない。
「金を持っていても悩みはあるさ。案外と、恋人ができずに気に病んでるかもしれんぞ」
「まさか」
シルフィンがくすりと笑う。あのひとつ目のお嬢様に限ってそれはないだろうが、人とはどうして分からないものだ。リュカにキツく当たるのも、もしかしたら彼氏がいる嫉妬からかもしれない。
「だとすれば可愛らしいものだが」
なんにせよ彼女にも人の心があるというのは朗報だ。気休めにもならないが、化け物退治が数グラムは気楽になったと考えよう。
「……旦那様は恋人は作らないので?」
月を眺めていると、シルフィンが何の気なしに聞いてきた。
横を向けば澄まし顔のメイドがこちらを見ている。
「そうだなぁ」
どう誤魔化したものかと俺は冷たい夜風に上を向くのだった。




