第23話 魔導の音 (中編)
「へぇー、ロプス家との共同事業ねぇ。凄いじゃん」
目の前でピザを頬張っている褐色の少女を見つめながら、俺も右手に持ったピザを口へと運んだ。
ポテトにベーコン。単純だが最強の組み合わせだ。チーズの程良い塩気が空いた腕をグラスへと運ばせる。
「上手く行ってるようでよかったよ。送り届けた手前、成功して欲しいしさ」
竜の角に金色の長髪。相変わらず露出の多い格好で、リュカは笑いながら俺の方を見つめてきた。シルフィンも、相変わらず警戒するようにリュカを見つめる。
「その節はありがとうございました。おかげさまで」
ねこのしっぽ亭2号店。まさかと思い訪ねてみれば、いとも簡単に彼女は見つかった。周りの口振りからするに、基本この店で飲んでいるらしい。
礼を言う俺に、リュカは一拍置いて口を開いた。
「んで、なんの用だいおっさん? 急ぎってんなら飛んでもいいぜ」
ケタケタと楽しそうにリュカは目を細める。
そんなリュカに、俺はあっけらかんと本題を切り出した。
「いえ、今日は食事に来ただけですよ」
「は?」
言って、ピザを再び口に運ぶ。熱々のピッツア。とろけるチーズは絶品だ。
店の見た目からは想像も出来ない味である。エルダニア産のチーズに拘っていて、ベーコンの肉も上質なものだ。
奇妙な顔で見つめてくるリュカに、俺はピザを見せつけながら説明する。
「焼きたてを食べにくる約束でしたので。オスーディアに帰ったときの夕食はここと決めてました」
いつかのフライト。夜空に棚引く炎のカーテンを思い出しながら、俺はにこりと笑ってみせる。
リュカがいたのは本当にただの偶然だ。いればお礼は言うつもりだったが、所在なんて分かるはずもない彼女である。
ピザを食らう俺を見て、リュカは愉快そうに角を掻いた。
「まったく、変わったおっさんだなぁ。でもま、美味いだろ? あのときはリュカが暖め直したけど、やっぱピッツアは焼きたてが一番さ」
そう言いつつ、リュカもピザを手に取った。みるみるうちに消えていくピザに、シルフィンが慌てて自分もと手を伸ばす。
「しかしまぁ、飯食べに来ただけってんなら話は早いや。おいマスター、あれ作ってやってよ!」
リュカが厨房のマスターに向かって声を張り上げた。猫ひげのマスターがメニューも聞かずに指で丸を作る。
「あれ?」
「ニシシ、リュカの好物さ。せっかくだし奢ってやんよ」
どうもなにかをご馳走してくれるらしい。確かにメニューにはピザ以外にも色々と書かれている。
メニューをのぞき込む俺とシルフィンを見ながら、リュカは笑顔で胡座をかいていた。
◆ ◆ ◆
「へいお待ち」
時間にして数分。待ちわびるよりも先に、リュカのお勧めメニューは到着した。
「こ、これは……」
目を落とし、思わず口を濁してしまう。
目の前の皿から摘み上げ、リュカはそれをひょいと口に入れた。
「うん美味い! へへ、裏メニューだかんな。感謝しなよ」
リュカの声と共にバリバリと聞こえてくる音。口から飛び出している細い足に、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
もう一度見下ろし、僅かながら覚悟を決める。
「お、美味しそうですね」
せっかく奢って貰うのだ。食べないわけにもいかない。
指で摘み、俺はじっとそれを見つめた。
虫である。ひとことで言えば羽虫であった。
なんというか、蜂? に近い。お腹の部分が膨らんでいて、よく言えば肉厚だった。羽の形も残っていて、それが丸まま素揚げされている。
「蟲蜜蜂の唐揚げだよ。はは、ちょっとした高級品なんだぜ」
バリボリと美味しそうに食べるリュカは得意げだ。
話としては本当だろう。蟲蜜蜂は養蜂家にとっては財産も同然で、お金を生んでくれる金の鶏のようなものだ。どういうルートで仕入れているかは知らないが、裏メニューというのも頷けた。
「ふむ。……シルフィン、って」
「んむ? どうされました? 美味しいですよ」
横を見れば、シルフィンがボリボリと軽快な音を立てて蜂の唐揚げを咀嚼していた。当然のように噛み砕いている女性陣に、納得して俺はエルフのメイドを見つめる。
「そういえば君、田舎育ちだったね」
「あ、そういうの偏見ですよ旦那様。美味しいですから、ほら」
シルフィンにも促され、俺はようやく蜂を持ち上げた。
まぁ考えてみればこの間のイモ虫に比べれば可愛いものだ。小海老みたいなもんだろうと、俺は口に放り入れる。
「ふむ……ふむ……」
バリボリと噛む度に足や羽が砕かれる音がする。
しかし、これは思っていたよりもーー
「……美味いですね」
「だろー」
にこりとリュカが笑い、俺は二つめに手を伸ばした。
バリリと噛み砕き、うんうんと頷く。
美味い。スナック感覚だ。
足や羽は気になるかと思ったがサクサクに揚がっていて、多少口には刺さるが問題ない。
本当に小海老みたいな感じである。
「ほのかに蟲蜜の風味がしますね」
「まぁ、蟲蜜蜂だかんね」
当たり前のようにリュカが返す。塩気が利いていて美味い。
お腹の部分に少し身があって、それが海老というか牡蠣みたいだ。磯の香りはせず、微かに蜂蜜のような風味が舌に残る。
「美味しいです。止まんないですね」
「ははは、だろー。軽く飲むのにゃうってつけさ」
ぐびりと果実酒を呷るリュカに俺も同意した。ピザも美味いが、あれだけ食べ続けるのも腹にキツいものがある。
いいものを食べた。今度バートに言って仕入れて貰おうと思いながら、俺はふと気になったことを聞いてみる。
「そういえば、リュカさんはロプス家と関わりはあるんですか?」
何気ない酒の席での話題。
切り出した話に、リュカの肩がぴたりと止まった。
「……なんでそう思う?」
「いえ、アイジャさんの元お弟子さんですし。それにーー」
思い出す。ひとつ目のお嬢さまのことを。
リュカの話題を出したときに、少しだけ違和感を覚えた。あのときは気にならなかったが、今にして思えば彼女はリュカを知っていたのではないだろうか。
そんな疑問をリュカにぶつけようとしたそのときーー
けたたましい馬の蹄の音が店の外から鳴り響いた。
「うおっ!? な、なんだっ!?」
ドガガガとでも言うのだろうか。石畳が抉れているのではないかと思うほどの音は店の前でぴたりと止まる。
ざわつく店内の中で、リュカだけが細めた目で入り口の扉を見つめていた。
「だ、旦那さま?」
「ありゃあケンタウロス車の音だぞ。なんでこんな裏路地に」
聞き覚えがある。あれは貴族が乗る馬車の音だ。地球の馬車と違い、ケンタウロス族の引き手が二人掛かりで車を運ぶ。
当然、王都といえど大通りにしかいないはずだが。こんな場所に乗り付けるなんて聞いたことがない。
どこの馬鹿貴族だと眉を寄せていると、入り口の扉が音を立てて開いた。
途端、しゅるしゅると白い絨毯が店内へと道のように伸びてくる。
「相変わらず、騒々しい店がお好きですわね」
その細長い絨毯の上を、青い足が優雅な足取りで歩いてきた。
予想外の人物に、俺もシルフィンも目を見開く。
「お久しぶりですリュカさん」
そう言って、ロプス家当主シャロン・ロプスは場末の酒場に降り立った。
◆ ◆ ◆
異様な光景だった。
ゴロツキの集まる店内に、従者を引き連れた貴族の当主。
シャロンの後ろに控えているセバスタンと目が合って、俺はつい会釈をしてしまう。彼もどうもと軽く返して、俺はどういうことだとシャロンを見つめた。
「なんだい、ロプス家のご当主様がこんなところに」
リュカの声が酒場に響く。シャロンの眉がぴくりと動き、呆れたように周りを見回した。
ざわめく店内。さしものゴロツキ達も、ただ者ではないシャロンの様子を遠巻きに見ているだけである。
「いえ、都に行った古い友人が素行の悪い不良に成り下がっていると聞いたもので。……まさかと思い来てみれば、随分と残念な方になられましたね」
軽蔑するような視線。
初めは俺がいたからかとも思ったが、どうもそうではないらしい。シャロンの言葉に目を細めるリュカを、俺はハラハラとしながら覗いた。
やはり二人は知り合いだったようだ。けれど、感動の再会にしては険悪な雰囲気が店を流れる。
「おうおうおう! お嬢ちゃん! 貴族だかなんだか知らねぇが、リュカさんにケチつけるってんならタダじゃおかねぇぜッ!」
そんな中、一人のゴロツキがシャロンの下へと立ち上がった。
三メートルに届こうかという巨体。牛首の獣人が床板を軋ませながらシャロンの方へと近づいていく。
ゴロツキの中でも一際目立つ体躯。腕自慢であることは一目瞭然のその男を、シャロンは一瞥するや小さく息を吐いた。
「てめぇッ!!」
それが大男の怒りを買った。宣言通り、巨大な手のひらでシャロンの肩を鷲掴む。
「あ、危なっ」
危ない。そう叫ぼうとした瞬間、シャロンはニコリと大男に振り返った。
微笑むひとつ目。力を込めているはずの男の腕がぴくりとも動かない。驚く男の腕を、おもむろにシャロンの手袋をはめた右手が掴む。
「邪魔です」
ひとこと。次の瞬間には男の身体は床に叩きつけられ、男の顔面は床板をぶち抜いてその下の地面に埋まっていた。
砂煙が立ち昇る中、シャロンは悲しげな表情で再び深く息を吐く。
「……この程度のチンピラと連んでいるから、貴女の格も下がるのです」
青い鬼がゆっくりと立ち上がる。唖然としている一同の前で、ロプス家当主は怒りに瞳を燃やす魔法使いを見つめた。
リュカの口からは火の粉が漏れ出ていて、彼女の恐ろしさを知るゴロツキ達がひっと揃って息を呑む。
「リュカさん。貴女、わたくしのところに来なさいな」
そんな竜の恋人に、シャロンは瞳を細めて言い放った。




