第22話 魔導の音 (前編)
「あ、アキタリアにですか?」
慌てたように聞き返してくるシルフィンを横目でみやって、俺はゆっくりと椅子に体重を預けた。
言ってみたものの、アキタリアに行くには海を越えなければならない。仮にノーブリュードの背に乗ったとしても何日もかかるだろう。
「冗談だ。仕事もあるのに行けるわけないだろ」
「そ、そうですよね。安心しました」
ほっとしたように胸をなで下ろすシルフィン。日本でさえ海外旅行は一大行事だ。彼女からすればアキタリアなど異世界に行くのとあまり変わらない。
皿に残った蟲蜜の名残を見ながら、俺はふむと息を吐いた。
「行けるわけもないが……やはり興味はあるな。考えてみれば、この世界の知識なんぞ機械的に詰め込んだだけだ」
バートの仕事を手伝うために勉強はした。だがそれは、ビジネスに必要な最低限の知識を机上で頭に入れただけ。知識とは、やはり土地と人に触れなければ分からないことも多い。
「ふふ、君が海を知っているようで知らなかったようにな」
「あ、あれはっ。……し、仕方ないじゃないですか」
シルフィンの耳が尖った先まで赤く染まる。
別に恥じることはない。人とは生まれた土地しか最初は知らぬものだし、人生の中で触れ合えるものにも限りがある。移動手段が限られているこの世界ならば尚更だ。
「そういえば、アキタリアの皇女さまは大変な親オスーディア派であられるとか。今の関係もその皇女さまがご尽力された賜物だと聞いています」
「ふむ、豪傑な人物に違いない。一度会ってみたいものだな」
アキタリアとの外交を語る上で欠かせない一人の人物。確か第三皇女だったか。ひとくちに和平といっても、戦後処理など面倒に決まっている。自分が知る限りアキタリアに極端な制裁が加えられたという話もないし、国民の知らない水面下では想像を絶する交渉と駆け引きがあったはずだ。
「ほんと、凄い人ってのはいるものだ」
指を組み、甘い満足感に身体を預ける。アイジャにリュカ、ロプス家のお嬢様もそうだが、この世界には強い女性が多い。負けてはいられないなと、俺はゆっくりと目を瞑った。
「ちょ、ちょっとだけ……」
皿を片づけているときに残った蟲蜜を指で舐めていたメイドがいたのだが、俺は気づかないふりをしてくすりと笑うのだった。
◆ ◆ ◆
「オスーディアに?」
いつかも聞き返した言葉を、けれど今度は小さく俺は返した。
電話口からはバートの機嫌の良さそうな声が聞こえてくる。
「そうだ。ついに新型馬車のお披露目といったところだな」
ロプス家と共同で事業を行うことになっている新型の馬車。しかしサキュバールが協力する……いや、出来るのは販売方面でのことだけ。
開発には関われない条件なので、バート自身もまだ実物そのものは見ていない。
それにしても、エルダニアではなくオスーディアに直接輸送してくるとは。確かに、魔導鉄道を使えば運ぶこと自体は可能だろう。
「詳しくは俺も見てからだが、なにせあのお嬢様と発明王の共同開発だ。また世界が変わるのだろうさ」
少々悔しそうにバートが語る。俺もその発明王に啖呵を切ってしまった手前なにも言えない。
俺たちが目標にしていることを、少なくともアイジャやシャロンは実現させているということだ。
「まぁ、上手いこと利用してやればいいさ。そのためにあの条件を呑んだんだ」
そう、今はまだ俺たちが利用されているだけ。だがそれは、俺たちに利用するだけの価値が生まれたということ。
「見向きもされなかった頃とは違う。あのひとつ目のお嬢様を、ぎゃふんと言わせてやろう」
帰る世界すらなくなった俺に居場所をくれたのはバートだ。それに、俺にだって地球人とサラリーマンの意地がある。
先人達の英知の結晶。借り物の力でもなんだっていい。全てを駆使して、俺はこの世界に勝ちたい。
「発明王がなんだ。エジソン舐めるなって話だよ」
「はぁ?」
わけが分からずに聞き返してくるバートの声に、俺は気にするなと笑う。
届くとは微塵も思わないが、それでもこいつが信頼してくれているのは俺だ。
やってやろうじゃないかと、俺は受話器を握る手に力を込めた。
◆ ◆ ◆
「わ、私もですかっ!?」
思わず箒を落としそうになったシルフィンに、俺はにっこりと笑いかける。
「そうだ。来週にロプスのお嬢様との会食が入った。君もメイドとして同席したまえ」
「なっ!?」
クローゼットの中のスーツに目を配る。なにせ勝負どころだ。げんを担ぐためにも一張羅で臨みたい。
服を物色している俺の後ろで、シルフィンは慌てながら声をあげた。
「ちょ、ま、待ってくださいっ! 私よりも、バート様のメイドに任せるべきではっ!?」
予想通りの言葉だ。落ちぶれていたとはいえ、家柄の格は最高の四大貴族。サキュバールに仕えるメイドは、巷に溢れる一般のメイドとはひと味違う。
バートは単独行動を好むが、今回ばかりは噂のメイド長も連れてくるだろう。
「バートはバートで連れてくる。俺のメイドは君だ。気合いを入れろよ」
「え? は、はいっ!」
思わず崩れた口調に、シルフィンは驚いたように居住まいを正す。
俺はちらりと青髪のメイドに目を向けた。
頼りないようだが、俺にとっては彼女が最高で最強だ。持てる全てで挑ませてもらう。
「頼りにしているぞ」
呟いた音に、エルフのメイドは言われた通りに気合いを入れるのだった。
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