第21話 メイドのホットケーキ
焼けた生地の香りと、鼻からも漂うバターの風味。
ふっくらと焼き上がったパンケーキを前に俺はゆっくりと笑顔を作った。
「言われたとおり小麦粉に重曹を入れてみたのですが……これでよろしかったですか?」
傍らのシルフィンが自信なさげに言ってくる。本人も驚いているようで、食べられるかどうか不安そうだ。
「ああ、構わないよ。いや、初めてにしては上出来だ」
さすがに日本の店のようにとはいかないが、それでもきちんと膨らんでいる。最悪薄いクレープもどきが出てきてもいいと思っていたので、この辺りは彼女の腕に感謝だ。
「ホットケーキ……でしたっけ? 旦那様の故郷には変わった料理があるのですね」
「はは、美味いぞ。急に食べたくなってな。ありがとうシルフィン」
礼を言うと、どことなしに恥ずかしそうにシルフィンがそっぽを向いた。
だがまぁ、メイドよりは目の前のホットケーキだ。
うむ、ホットケーキである。しかも三段。
厚みは……2cmとまではいかないがそれに近い。初めてにしては出来すぎとも言えるくらいだ。
そして、上に乗っているバター。エルダニア算の高級品は香りもいい。熱で溶けかけたバターのせいで、ほんのりと生地が凹んでいるのがまた素晴らしい。
しかしこれで完成ではない。
「さて、これに蟲蜜をかけましてっと」
俺はおもむろに蟲蜜の入った瓶を持ち上げた。ゆっくりと、ホットケーキの上に回しかける。
贅沢にかけられていく蟲蜜に、隣のシルフィンがごくりと唾を飲み込んだ。
「ふふ、物欲しそうな顔をしているな」
「あ、いえ。そんなことはっ」
シルフィンの顔が赤く染まる。
だがこれは、別にシルフィンの食い意地が張っているわけではない。
砂糖ほどではないとはいえ、蟲蜜も高級品だ。嗜好品や贅沢品として庶民にもギリギリ手が届く範囲だが、それでも匙で舐めて楽しむ程度。
しかも俺がかけ回しているのはアキタリア産の最高級品だ。庶民ではまず口に出来ないだろう。
「ふふふ、この一瓶で君の日給20日分といったところかな。既に日給分はかけてしまった」
「好きですね、その言い回し」
メイドに睨まれるが気にしない。彼女に給料を渡しているのは自分だ。なんの問題もない。
目を細めているシルフィンは無視をして、俺はいよいよホットケーキにナイフを入れた。冷めないうちに食べなければ。
「お、ほほぉ。素晴らしい、一気に三段いっとくか」
柔らかい感触がナイフ越しにも伝わってくる。上から一段ずつ食べるという手もあるが、せっかくの三段重ねだ。一気にフォークを突き立てるとしよう。
口に入れる。さすがに三段は分厚いが、無理矢理ねじこんだ。
「んむっ! おお、ほほ。これはたまらんな」
噛みしめた瞬間、蟲蜜の味がじゅぷりと口の中に広がった。まるでスポンジから染み出すように、芳醇な蜜の味わいが鼻と舌を刺激する。
「美味い。でかしたぞシルフィン!」
しみじみと味わった後、シルフィンに賛辞を送った。心なしか嬉しそうな彼女の目線は、しかしホットケーキに注がれている。
「君もどうかね?」
「えっ? よろしいんですかっ!?」
切り分けてやると、シルフィンが驚いたように見つめてきた。実のところ、正直三枚は多い。フォークを手渡され、シルフィンがおずおずと近づいてくる。
「蟲蜜を追加してやろう。ほら、どっぷり浸けるがいい」
「わわっ! す、すみません!」
もはや蟲蜜でドロドロになったホットケーキをシルフィンは口に持って行った。糸が引く生地に慌てて、右手でそれを受け止める。
「んっ……んむっ」
口の周りが蜜でべとべとになったシルフィンを呆れて見つめながら、けれど見開いた彼女の目に俺はうんうんと頷いた。
「どうかね?」
「お、おいひぃでふ……」
ぷるぷると震えて甘さを噛みしめるシルフィン。甘味と言えば芋や果物の世界の少女だ。喜ぶのも当然だろう。
俺も、もう一口運んで、凝縮された甘さに目を細めた。
「しかしアレだな、蛍木の光木といい、なにかとアキタリアには縁があるな」
「そういえばそうですね。リュカさんとかも」
精霊大国アキタリア。まだ見ぬ森の大地に思いを馳せていると、シルフィンが奇妙なことを言い出した。
不思議に思い、グラスを持ちながら聞いてみる。
「リュカさんはオスーディア大学の主席だろう? アキタリアとは関係ないじゃないか」
「あ、いえ。リュカさんというよりは、ノーブリュードさんの方で。龍種というのは元々、アキタリアと縁の深い種族ですので」
シルフィンの説明に俺はへぇと相づちを打つ。そういえば、そんな話を聞いたような聞いてなかったような。
「アキタリアがオスーディアと戦争していたのはご存じですよね?」
「まぁ、多少はな」
大戦と呼ばれた戦争だ。20年ほど前だと聞いているが、今の王都の様子を見るに、そんなことがあったなど微塵も感じさせないくらいにアキタリアとの関係は良好である。
「魔法大国であるオスーディアと、精霊と龍種を擁するアキタリア。闘いは壮絶を極めたと聞いています。古の契約に従い、アキタリア陣営に付いたのが竜の巣と呼ばれる龍種の聖域です」
「ほう、それはまた壮大な」
どこかで聞いたことがあると思えば、竜の巣は確かノーブリュードの古里だ。リュカが言っていたような気がする。
「戦争ねぇ。いやだね、どこの世界もそこだけは一緒だ」
自分は戦争経験者ではないが、それでも地球のニュースでは絶えずどこかが内戦だの戦争だのやっていた。こちらに来て平和そのものだと思っていたが、どうもそういうわけでもないらしい。
「年齢的に、君は被ってないな?」
「そうですね。初等学校でも一応習いますが、あまりピンとは来ませんでした」
そんなもんだろう。爪痕が深く残っていれば別だろうが、子供にとっては過去の大人同士の争いなぞどうでもいいものだ。
しかし、龍種か。やはり色々と規格外の存在らしい。ノーブリュードを思い出し、俺は納得するようにホットケーキを口に入れた。
「むぐ……龍種がいれば制空権を握れるだろうしな。あんなもんがいたら弓や剣では太刀打ちできん。よく勝てたなオスーディアは」
「せ、セークーケンですか? えっと、その辺り私は疎いのですが、なんでも十傑と呼ばれる魔法使いの方がご活躍されたそうです」
シルフィンの説明を聞きながら、俺は再びへぇと声を出した。名前からして、大戦期に活躍した十人の魔法使いといったところか。
魔法使いが魔法を使うところはリュカさんでしか知らないが、確かにアレならドラゴンとも戦えるのかもしれない。
「確か、アイジャ様も十傑のお一人だったはずですよ」
「は?」
聞き間違いかと思い聞き返してしまった。俺の視線に、そういえばとシルフィンも首を傾げる。
世界一の発明王。実力としては、そりゃあ名を連ねていても不思議ではないのだが。
「……いくつなんだ、あの人?」
「さ、さぁ」
見目麗しい妖艶なエルフを思い浮かべて、俺はたらりと汗を垂らした。
魔導の極地。色々と奥が深いらしい。
「うーん、ファンタジーだな」
なにもこんなところで感じる必要もないのだが、まぁ美人は世界の華である。居て困るもんでもない。
「エルフってのは、皆あんな風に胸が……おっとすまない」
「怒りますよ?」
睨みつけてくるシルフィンを愉快げに眺めつつ、俺は最後のホットケーキを口に入れた。すっかり冷めているが、それでも美味い。
「しかし、アキタリアか」
話にはよく出るが、色々と話を聞いて興味が出てきた。なにより珍しいものもありそうだ。
「……行くか、アキタリア」
「は?」
ぼそりと呟いた俺の言葉に、今度はシルフィンが口を開いた。
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