第19話 惑わずの森(後編)
「……普通の森だな」
足裏の地面を何度か蹴って、俺は辺りを見回した。
森の入り口。町にご丁寧に用意されていた門を通り抜ければ、そこは木々が生い茂る森の中だった。
「道がありませんね」
傍らに立つシルフィンが不安そうに声を出す。
確かに。獣道のようなものすら存在しない。
古くから近道として使われてきたなら、多少なり道のようなものが出来るはずだが、その気配がどこにもなかった。
「だ、だんなさまっ! 後ろがっ!?」
シルフィンの驚いた声に振り返れば、先ほどまでは確かに有ったはずの森の入り口が消えている。町も木に囲まれて見ることが出来ない。
「なるほど、こうなるわけね」
気がつけば、三百六十度が深い森だ。方向感覚が狂うとか、そういうちんけなトリックではないだろう。
物理法則を無視した現象。つまりは、水の実並だということだ。
「とりあえず歩くぞシルフィン。離れずに付いてこい」
「は、はい。承知しましたっ」
手ぶらで森を歩いていく。木々の間を適当に。一応、直進しているつもりだが。
シルフィンがきちんと付いてきていることを確認して、俺は一度立ち止まった。
「……腹が減ったな」
「はい?」
ぐぅと、腹の音が鳴り響く。
シルフィンが驚いたように目を見開くが、こればかりは仕方がない。
着いて早々、つい森に踏み込んでしまった。
店を探すのにどれくらいかかるか分からないのだ。こんなことなら町で食べてくればよかったと、門の側に立っていた食堂の看板を思い出す。
「ん? まてよ」
そのとき、ひとつの可能性が思い浮かぶ。そんな単純な話なのかと思いながら、しかし良い線を行っている気がした。
振り返り、シルフィンへと問いかける。
「シルフィン。君、腹は減ってるかね?」
「えっ? お、お腹ですか? まぁ、食べてませんので」
その返事に、俺は好都合だと頷いた。
俺の勘が正しければ、このまま歩いていればいいだろう。
「喜べシルフィン、当たりかもしれんぞ」
「当たり、ですか?」
歩きながら辺りに目を凝らす。それだけとも考えにくい。
なにか、もうひとつ別のトリガーがあるはずだ。
集中する。目を瞑れば、森のざわつきだけが聞こえていた。
葉が揺れる音。これではない。
そういえば、動物の声がしない。鳥の鳴き声すら。
以前、一度感じたことがある違和感。あのときは、原因は恋人想いの赤龍だった。
そのときだ。微かに俺の鼻をなにかが刺激する。
「見つけたぞ。こっちだ」
「えっ? ちょ、だ、旦那さまっ!?」
確信を持って歩き出す俺を、シルフィンが慌てて追いかける。
どうもまだ、メイドは気づいていないらしい。
匂いが漂う方向へ、俺はなんの躊躇もなく歩いていった。
◆ ◆ ◆
「やはりな」
数分後、目の前に現れた建物に俺はにやりと笑みを浮かべた。
追いついたシルフィンが、信じられないと前を見つめる。
木で作られたログハウスには、ご丁寧に看板が掲げられていた。
『森のレストラン』
そのままのネーミングに、俺は思わず笑ってしまう。
辺りを見回すが、本当に森の中に突然建っているだけだ。周りに薪割りなどの生活感があるわけでもなく、それが一層異様さを際だたせていた。
そして、見間違いかとも思ったが、俺はログハウスへと目を細めた。
きちんと距離感を推し量って、俺は首を傾げてしまう。
小さい。オモチャみたいな、ほどではない。しいていうならば、子供サイズよりは少し大きいかなといったくらい。
まぁ、構わない。多少の違和感は醍醐味の内だと、シルフィンに声をかけた。
「入るぞ」
「えっ? あ、はいっ」
扉に掛けられた「営業中」の札を見て、俺は店へと歩みを進める。
ここまで来たのだ、まさか一見お断りでもないだろう。
◆ ◆ ◆
「あ、いらっしゃいませー!」
当然のようにかけられた接客の声に、俺とシルフィンは肩を透かされた。
声をかけた店員が振り返り、俺たちを見てあらと微笑む。
「外の人じゃないですか。遭難ですか?」
とてとてと、店員が心配そうに近づいてきた。
栗色の髪の毛を見下ろしながら、俺ははっきりと首を振る。
「いえ、この店の評判を聞きまして。どうしても食べたくてやって来ました」
客であることを伝えると、店員の顔が「まぁ」と驚きに染まる。
驚いているところを見るに、相当に珍しいのだろう。
だが、そんなことはどうでもいい。
何はともかく、腹が減っているのだ。俺は店員へと問いかけた。
「予約がなければ、難しいですかね?」
それに、そんなことないですよと笑みを浮かべて、小さな店員はテーブルを手で指した。
切り株で出来た小さな椅子とテーブルを見つめ、俺は頷きながら礼を言う。
「ありがとう」
思ったよりも、まともなものが食えそうだ。案内されるがまま、俺は低い天井に背中を丸めた。
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、ここはリパット族専用の店なんですか?」
用意されたお水を受け取りながら、俺は聞いた話を聞き返した。
座ってようやく目線が同じだ。俺の言葉に、店員のモカさんはにこりと笑う。
「えっと、専用ってわけじゃないんですが。ここの森にはリパット族しか住んでいないので」
モカさんの話に、俺は合点がいったと頷いた。
なぜ森の中に料理屋があるか疑問だったが、答えは簡単なことだったのだ。
森の中で生活する人たちのための、料理屋さん。それが、幻の店の真実だ。
(しかし……リパット族か)
聞いたことは、ある。低身長が特徴のエルフに似た種族だ。
しかし確かアキタリアの奥地に住んでいる種族で、オスーディアでは目にしたことがない。
ちらりとモカさんを見やる。
身長は、140cmくらいだろうか。人間でいえば小学生くらいだ。小人というほどでもなく、けれど身体付きは成人の女性のそれだった。
言ってしまえば、リパット族ではこの身長が標準なのだろう。天井の低さを確認して、俺はふむと納得する。
「私たちは大昔にオスーディアにやって来たらしくて、それで数百年も前からこの森に住んでいるんです」
「数百年も? なんでまた」
俺の疑問に、モカさんが複雑そうな顔をする。言い辛そうに、けれど俺とシルフィンを見て口を開いた。
「ほら、私たちって身体が小さいじゃないですか。それで、オスーディアの人たちとの縄張り争いに負けたみたいで。森に逃げてきた私たちを、森の土地神さまが匿ってくれたんです」
その話で、色々なことが繋がった。そりゃあ、当のオスーディア人に面と向かって言うのは抵抗があるだろう。
しかしそれよりも腑に落ちたのが、この森の特殊さについてだ。
空間がねじ曲がり、物理法則すら超越した天然の結界。
それは、なにも近道のために用意されたのではない。妖精の通り道でも、決してない。
全ては、リピット族の生活を守るために森の神が用意したものだったのだ。
「でも、今となってはオスーディアの人たちを恨んでなどはいません。外の方も、お腹を空かせて困っていればうちの店に連れて来てくださいと神様にも頼んであります」
「なるほど、それで……」
やはり、俺の勘は正しかった。
噂が流れながらも中々見つけられなかったのは、皆が腹ごなしをしてから森に入るためだ。
それもそのはず。いくら数分で抜けれると分かっていても、本来は歩けば数日はかかる巨大な森。そんなところに足を踏み入れるのだ。まともな神経の持ち主ならば、入り口の側の食堂で胃に入れる。
結果として、腹が減っている状態で森を抜けようとした者のみが、この店にたどり着けるのだ。しかも、数分で抜けられる森の中で、困るくらいに腹を空かさねばならない。
「僕は、お腹が空いてましてね」
俺の返事に、モカさんがきょとんと目を開く。そして、くすりと笑みを浮かべた。
「メニューをどうぞ」
渡された小さなメニューを受け取りながら、俺は店内に漂う匂いに腹を鳴らす。
落ち着いた今なら分かる。これは、ハーブとスパイスの香りだ。
「さて、どうするか」
目を凝らし、メニューを吟味する。
惑わずの森には悪いが、ここは思い切り惑わしてもらおうじゃないか。




