第18話 惑わずの森(中編)
「ひぃいいいいいいッ!!」
シルフィンの悲鳴をもはや慣れたように聞きながら、俺はマントをなびかせているリュカを見やった。
ノーブリュードの頭の上で胡座をかいているリュカが前を見たままに口を開く。
「しっかし惑わずの森かぁ。随分と辺鄙なところに行くんだね。また仕事?」
アイジャに会ってから数日後、俺はさっそくノーブリュードの背に乗って惑わずの森を目指していた。
というのも、バートからリュカがエルダニアに来ているらしいと聞いたからだ。
エルダニアの飲み屋で聞き込みをすると、リュカはすぐに見つかった。
「いや、今回は私用ですよ。完全に遊びにです」
俺の返事に、リュカがうんうんと頷く。背中越しにも嬉しそうなのが伝わってきて、俺は首を傾げた。
予想していたのか、リュカが照れくさそうに角を掻く。
「なんていうか、チケットあげただろ? 別に、何に使ってくれてもいいんだけどさ。最初の一枚が仕事じゃなくて遊びってのは、嬉しいかな」
リュカの言葉に、俺は思わず目を見開く。しかし、そういう考えもあるのかと、俺も照れくさくなって頬を掻いた。
「惑わずの森っていったら、あれかな。……幻の料理屋?」
思い出すように、リュカは呟いた。そのフレーズに聞き覚えがあって、俺は正解ですと返事をする。
「そうなんですよ。確かめてみたくなりましてね」
「あはは、どうだろうねぇ。噂話だから。てか、よく知ってんね。誰から聞いたの?」
リュカの問いかけに、一瞬止まる。さてどう答えたものかと思案して、俺は正直に話すことに決めた。
黒いとんがり帽子を思い出しながら、俺はリュカへと解答する。
「ちょっと、世界一の発明王から」
その瞬間、リュカの身体がピタリと止まる。
顔を見なくても分かる。きっと今、彼女の表情は似合わない無表情で埋まっているだろう。
「……リュカを呼んだのは、偶然かな?」
リュカからの問いかけ。これに首を傾げれば、ただの偶然だと言い張れる。なにも知らない風を装えば、リュカもこれ以上は聞いてこない。
けれど、彼女の顔を思い出して、俺ははっきりと唇を動かした。
「アイジャさん、寂しそうでしたよ」
ぽつりと落とした呟きに、リュカの周りの時が止まる。
マントのハタめきさえ消し去って、オスーディアの才女は空を見上げた。
竜の角を掻きながら、リュカは一言だけを口にする。
「……そっか」
それ以上は言わないとでもいうように。
俺も、次の言葉は胸に仕舞った。きっと、俺の助けなどなくとも、彼女たちならば大丈夫だろう。
「それよりも。リュカさんも知ってるってことは、やっぱり有名な噂なんですか?」
話を変えようと口にした俺の話題に、リュカもいつもの調子で答えてくる。くるりと周り、振り返った彼女の表情は俺のよく知るものだった。
「どうかなー。通り抜ける旅人の間じゃ、それなりに有名だけど。リュカも小耳に挟んだだけだなー」
腕を組んだまま、リュカは愉快そうに笑っている。
牙を見せる褐色の少女に、俺はどう思うか聞いてみた。
「リュカさん的にはどうです? そんな店あると思いますか?」
俺の問いかけに、リュカはうーんと眉を寄せた。
「現実的に考えると、意味わかんないよね。いや、あんな特殊な場所だからさ。妖精の通り道を外れた、本来の空間はどこかにあるはずだよ。でも、そこに店があるって……ねぇ」
「確かに。そう考えると、やっぱり眉唾なんですかね」
明らかに異常な森であることは間違いない。魔法だろうが幻術だろうが、地図に記された分の土地は何処かに必ずあるはずだ。
だが、そこに料理屋が建っているのかとなると、リュカの言うとおり。
「そもそも、なんのためにって感じですよね。客もいないのに」
「そうそう。例えば、森のどこかに宝物が眠ってるとかなら分かるんだけどさ」
リュカの言葉に俺も頷いた。しかし、これ以上は現地に行かなければどうしようもない。
元よりそこまで信じてもいないのだ。ただ、なんとなく調べてみなければならない気がする。
そんな俺の気分を察してか、リュカもケタケタと笑みを浮かべた。しかし、愉快そうに軽く頷く。
「でも、おっさんなら何かやってくれる気がするよ。案外簡単に見つけちゃったりしてね」
そう言って牙を見せるリュカの笑顔に、俺もくすりと微笑むのだった。
◆ ◆ ◆
「地面が……地面、地面ですぅぅ。ううう」
大地に頬ずりしているシルフィンは無視して、俺は降り立った場所を見回す。
思っていたよりは賑やかな町だ。宿屋に飯所。めぼしいものは揃っている。
「昔から近道として使われてきたからね。ここら辺は魔導鉄道も通ってないし、森を抜けようとする人は多いのさ。出口の方にも、ここと似たような街があるよ」
ノーブリュードの喉を撫でながら、リュカが街の説明をしてくれる。
幻想のショートカットだ。近道の側に町が出来るのは当然の流れだろう。
見れば、町の奥に不気味に広がる森が見えていた。この距離で見えるとは、木々の背も相当に高い。
送ってくれたリュカに礼を言って、俺はシルフィンと町の入り口へと歩き始めた。
振り返り、リュカの顔を見つめる。俺としては付いてきてくれても構わない。
リュカはそんな俺の視線に首を振って、ノーブリュードにキスをした。
「今回は、リュカは遠慮しとくよ。そっちのほうがいい気がする。明日の昼に迎えに来るから、そのつもりで」
言いながら手を振るリュカに、それならばと俺は頭を下げた。
ここから先はシルフィンと二人。つまり、魔法もなにも使えない非力な二人である。
まぁ大丈夫だろうと、一歩進んだ。
「おっさん!」
振り向いた瞬間に、あの日と同じように声がかけられる。声の方へ顔を向ければ、リュカが照れくさそうに目を細めていた。
「ありがと」
微笑むリュカに、俺はただ右手を挙げる。別に、礼を言われるようなことなどしていない。
俺はただ、知人の話をしただけだ。
「さて、いきますか」
行き先は惑わずの森。どうやら迷わないと評判だが、夜に森もないだろう。
明るい内に行ってみますかと、俺はメイドへと目配せした。
「お供します」
先ほどまでの醜態はどこへやら。すっかり澄まし顔に戻ったシルフィンに、俺は思わず苦笑した。
「ほっぺた、土ついてるぞ」
「ッ!?」
間抜けなメイドは置いといて。俺の胸に期待がよぎる。
妖精の通り道の、少しの寄り道。
惑わずの森へと、俺は歩みを向けるのだった。




