第17話 惑わずの森(前編)
今までの話の最後におまけページとして「幻想食材事典」を掲載しました。お暇つぶしに読んでいただけると嬉しいです。
「それで、頼みたいことっていうのは?」
念のために用意していたもう一本。オスーディアロマネンの二〇年ものを飲みながら、俺はアイジャに質問した。
やはり、高いだけあって美味い。アイジャもグラスを片手に、ああそうだったと顔を向ける。
「いや、大した頼みじゃないんだ。……これを、サキュバール家の当主に渡して欲しい」
「バートに?」
アイジャが胸元に手を入れて、一通の便箋を取り出した。なんでもかんでも胸に仕舞うんだなと眺めつつ、俺はその便箋を受け取る。
上質な紙だ。金字の宛名に、蝋封。俺は読まず、バートに直接渡してくれということだろう。
「分かりました。お任せください」
「すまないね。よろしく頼むよ」
懐へしっかりと仕舞い込み、礼を言うアイジャに俺も頷いた。
内容は推測も出来ないが、悪いものではないだろう。
「っと、しかし高い酒貰っちまったねぇ。なにか返せるもんがあるといいんだが」
「あ、いえ。これはお近づきの印ですので」
ライトロードにオスーディアロマネン。二本でいくらになるかも分からない酒瓶に、そうもいかないとアイジャは口を開く。
「物や金がいやなら、情報でもいいよ。なにかあたしに聞きたいことはあるかい?」
グラスをついっと指でなぞりながら、アイジャは俺に聞いてきた。
再びの質問。だが、今度は仕事の話というわけではない。
気になることは色々あるが、せっかくの機会だ。有意義に使わせて貰おうと、俺はアイジャへ質問した。
「それじゃあ……なにか美味くて珍しい食べ物って知ってませんか?」
俺の問いかけに、アイジャの顔が一瞬止まる。しかし、すぐに愉快そうなものに戻った。
「食べ物って。はは、本当に噂通りの男だね。……そうさねぇ」
半分呆れられているのだろうか。けれど記憶を探るように、アイジャはうーんと眉を寄せる。
世界一の発明王だ。どんな答えが返ってくるのか、俺は期待に胸を膨らませた。
数秒経って、アイジャが思い出したと唇を動かす。
「食材ってわけじゃないが……惑わずの森にゃ奇妙な店があるって噂だねぇ」
「お店、料理屋ですか?」
返事に、アイジャがこくりと頷いた。惑わずの森、確かオスーディア中部に存在する巨大な森だ。
詳しくは知らないが、珍しい種類の植物や動物が数多く生息していると聞く。
「ああ。けど、噂だよ。あたしも実際に行ったことがないし、行ったって奴に会ったこともない」
「……は?」
なんとも奇妙な話だ。思わず聞き返した俺に、アイジャは思い出しながら言葉を続けた。
「惑わずの森ってとこは奇妙な場所でね。入る度に森の様子が変わるんだ。一説にゃ木が動いてるだとか、幻覚効果のある花が咲いてるとか言われているが、詳しくはあたしも知らん」
「は、はぁ」
アイジャの話に相づちを打つことしかできない。ファンタジーなのは結構なことだが、それはつまり、危険だということじゃなかろうか。
そんな俺の表情を察したのか、アイジャは大丈夫だと微笑んだ。
「心配しなさんな。惑わずの森にゃもうひとつ奇妙な特徴があってね。絶対に迷わないんだ」
「……というと?」
どういうことだろうか。まぁ「惑わず」の森なのだから、そうあるべきなのかもしれないが、明らかに先ほどの説明と矛盾する。
「広大な森っていうのは確かなはずなんだけどね。不思議と数分も歩かない内に抜けちまうんだ。どこを歩いているかも分からない内にね。おかげで旅人の間じゃ、妖精の抜け道なんて言われて近道として使われてる」
アイジャの話を、俺はわけが分からないと聞いていた。これがただの酔っぱらいならホラ話と笑い飛ばすが、他ならぬアイジャだ。本当なのだろう。
「数年前からかな。こんな噂が流れはじめた。曰く、惑わずの森の中にゃとびきり美味い小料理屋が建ってるってね。噂の出所はわからない。ただ、そんな話だけが一人歩きしてるんだ。……どうかな? そそる話だと思うが」
そう言って、アイジャは電気タバコを口に咥えた。
真偽のほどは分からない。ただ、なんとも興味深い話である。
「ありがとうございます。行ってみます」
俺の快い返事に、アイジャも満足そうに煙を吐いた。
しかし、すぐにおやと眉を寄せる。
「行くって……結構遠いよ? あの辺りは魔導鉄道も通ってないし、馬車に乗っても七日はみないと」
「ああ、それなら大丈夫です」
きょとんとするアイジャに向かい、俺は懐に手を伸ばした。
あまり見せびらかすものではないが、相手はアイジャだ。構いやしないだろうと、俺はドラグリュード航空社の回数券を披露する。
「知人に、ドラゴンの恋人がいましてね。ディナーへの誘いは、快く引き受けてくれるんです」
少しだけ、得意げに見せつけた。ドラゴンの背に乗る回数券だ。世界一の発明王でも持ってはいまいと、俺は気分良く胸を張る。
しかし、その回数券を見るアイジャの表情に、俺はおやと首を傾げた。
目を見開き、驚いたように固まっている。
「……えと、どうかしましたか?」
彼女らしくない。俺は、アイジャに聞いていた。
それに、参ったねと表情を戻しながら、アイジャがとんがり帽子を整える。
「あの馬鹿弟子は、まだそんなことしてんのかい」
「えっ!?」
今度は俺が驚く番だ。予想外の言葉に、しかしあり得ないことではないと妙に納得する。
オスーディア学院の主席に、世界一の魔法使いだ。なるほどと言えば、なるほどな組み合わせだった。
そして、リザードマンの少女の言葉。
なんとなく二人の関係に合点がいって、俺はやってしまったと冷や汗を垂らす。
けれど、アイジャは気にするなと右手を上げた。
「昔の話さ。勝手にあたしに憧れて、勝手に幻滅して離れていった、綺麗で楽しい思い出さね」
どこか寂しげな表情に、俺はなんと返したらよいか止まってしまう。
魔法を商品と言い切ったアイジャ。確かに、あの少女は許しはしないのかもしれない。
それでも、夜空の上での呟きを思い出し、俺はけれど続く言葉を出せなかった。
「……森の話、ありがとうございます。行ってみますよ、竜の背に乗って」
そう言って、俺はぺこりと頭を下げる。アイジャも、照れくさそうに前髪を弄った。
今度の目的は惑いの森。どうやら道中は、少し話も積もりそうだ。
「今日はありがとうございました」
「礼を言うのはこっちさ。楽しかったよ。また、なにかあれば来るといい。お前さんなら大歓迎だ」
帰りの時間を迎える俺へ、アイジャは感謝を向けてきた。
なにか出来たとも思えないが、この女賢者のなにかに成れたのなら幸いだ。
「キョーカ! お客さんのお帰りだよ! お前さんも見送りな!」
俺が立ち上がると、アイジャが扉の奥のキョーカへと声をかける。
あの少女も、なんとも不思議な少女だった。
思った以上にファンタジーなこの世界を思いながら、俺は扉の開く音を背中に聞く。
「ママ。重イ。疲レタ」
声に振り返れば、未だにお盆を持ったままのキョーカが、ぷるぷると両手を震わしながら歩いてきた。
当然、載せられた紅茶は冷え切っているだろう。
額に手を当てるアイジャを見やって、俺は思わず笑ってしまうのだった。




