第16話 銘酒ライトロード
「頼みたいこと、ですか?」
微笑むアイジャに、俺はゆっくりと聞き返した。
嫌な予感というよりは、純粋な疑問だ。
この人物が俺を頼る必要などあるのだろうか。そんなことを、目の前にしていると思ってしまう。
圧倒的な知力というやつは、殺気にも似た威圧感を与えるものだ。
「ああ、ちょいとね。……ただまぁ、とりあえずそれは置いとこうか。お前さんも、あたしと話したいことはあるだろう」
ソファに肘掛けながら、アイジャは余裕の笑みで俺を見つめる。
それなら何故、わざわざ初めに切り出したのかという疑問はあるが、油断は出来ない。
後々、アイジャからなにかを頼まれるだろうことを念頭において、俺は話の口火を思案した。
「素直にお聞きしたい。……ロプス家との共同事業、貴女が開発に関わっていると聞きました。貴女の目から見て、俺たちは頼りになるパートナーですか?」
俺の質問に、アイジャの笑みが薄く止まる。だが、好都合だ。彼女の性格から考えるに、本音を言ってくれるはず。
今の俺たちの評価を、ただ純粋に目の前の天才に聞きたかった。
俺の眼差しを受け、アイジャも俺が本音で聞いていることを悟る。
「そうさねぇ……はっきり言えば、保険でしかない」
予想通りの言葉が、アイジャから返ってくる。
「少なくともロプスのお嬢様は、お前さん達を便利な看板くらいにしか思ってやしないよ。まぁお前さんに限って言えば、多少は珍しく思っているだろうがね」
けれど、そんなものは見飽きていると、アイジャの表情は伝えてきていた。
それは当然だろう。なにせ、ロプス家は目の前の女賢者すら有している。俺なんかは、少々珍奇な羽虫程度だ。
「だけどね、あたしはお前さんを気に入ってるよ。別に、新しい商売の発想を評価してるわけじゃない。それだけなら、ただのよくいる天才の一人さね」
アイジャの口振りに、俺はごくりと唾を飲む。世界一と評される頭脳は、値踏みを終えた瞳で俺を見つめてきていた。
ではいったい、どこを評価されたというのだろう。俺なんて、地球の英知を除けばとんだボンクラだ。
答えを聞きたがっている俺の瞳に、アイジャは笑いながら答えてくれた。
「お前さん、世界を変えるって言っただろう。いい言葉だ。あたしを前にして、それが言える奴は馬鹿野郎さ」
電子タバコを口に咥え、アイジャはピンク色の煙を吐いていく。
酒と煙の匂いの向こうで、発明王は愉快そうに微笑んだ。
「ただ、あたしはそんな馬鹿野郎が大好きでね。なにせ、見てると酒が美味くなる」
それが答えだと、アイジャは無責任に笑みを浮かべる。
彼女にとって、俺たちが死のうが浮かぼうが変わりはない。
今回の事業も、「自分がいれば事足りる」と本気で思っているだろう。
そして、悔しいことにそれは正しい。
ロプスが描く未来。そこに俺たちは必要ない。
ならばーー
「……お酒が好きと、聞きました」
俺の呟きに、アイジャがきょとんと顔を向ける。そして、期待を込めた眼差しで見つめてきた。
シルフィンに目配せし、バートから託された手土産を受け取る。
やられっぱなしは性に合わない。ここは俺らしく、口に入れるもので驚いてもらおう。
「サキュバールが作った、新種の酒です」
取り出された酒瓶に、アイジャの瞳が輝きを増す。
◆ ◆ ◆
「いやぁ、悪いねぇ。まさか酒を持ってきてくれてたとは」
嬉しそうにグラスを用意する発明を見ながら、俺は毒気を抜かれていた。
緩んでいる。それはもうアイジャの表情はゆるゆるだった。
これが先ほどまでの発明王だとは、とてもじゃないが思えない。
「……お酒、お好きなんですね」
「ははは、そりゃあねぇ。酒飲むために生きてるようなもんさね。特にここ数年は控えてたから、たまに飲むと嬉しくてねぇ」
緩んだ顔を隠しもせずに、アイジャはグラスを俺の分もテーブルに置いた。部屋の戸棚に常備している辺り、相当な酒好きであることが伺える。
そうでなくても、常に吸っているタバコが酒の香りだ。すっかり慣れてしまった煙の匂いを、俺は鼻で吸い込んで確認する。
「それはよかった。……やっぱり、お仕事が忙しくて?」
俺も酒瓶を準備しながら、なにげなく聞いてみる。アイジャの肩書きは数多い。普通ならば、大学の教授職だけでも相当な激務だ。
しかしアイジャは、少し気恥ずかしそうに頬を染めた。
「いや、そういうわけじゃなくて。……ほら、その。あの子にあげなきゃならないだろう?」
照れたように笑うアイジャに、俺は首を傾げてしまう。横でシルフィンが慌てて、それでようやく俺の脳味噌は繋がった。
「す、すみませんっ! デリカシーのないことをっ!」
馬鹿野郎と自分に一喝する。あまりのオーラに忘れていたが、アイジャは女性で、一児の母だ。しかもキョーカはまだ四歳。
しかし同時に、ホムンクルスなのに? という疑問が生じた。
けれど聞けるものでもない。頭を下げて、誤魔化すように酒瓶を披露する。
「こ、これは少々変わったお酒でして。アイジャさんなら気に入っていただけると思います」
アイジャも掘り返す気はないようで、興味深げに酒瓶を見つめた。
ラベルに書いてある酒名は、ライトロード。バートが勝手に付けていた。
「お願いがあるのですが、部屋の電気を消しても?」
「ん? ああ、構わないが」
そう言うと、アイジャは指をパチンと鳴らした。途端、部屋を照らしていた電灯が掻き消える。
本来ならばスイッチでオンオフするはずだが、さすがは雷の魔法使いだ。
多少目が慣れるのを待って、俺は酒瓶のコルクを抜いた。
「足が速いので、お早めに」
アイジャのグラスに、ライトロードを流し込む。
その瞬間、アイジャの口がにたりと笑った。
「へぇ、なかなかにあたし好みじゃないかい」
アイジャだけではない、傍らのシルフィンも驚いたようにグラスの中身を見やる。
そこは、緑色に光る液体で満たされていた。
「……光る酒か。さすがのあたしも初めて見るね」
俺のグラスにも酒が注ぎ終わるのを待って、アイジャはゆっくりとグラスを持ち上げた。
軽く揺らすと、微かな揺らぎが光の強弱を作り出す。
「蛍木の光玉かい。またなんて罰当たりなことを」
そう言うアイジャの顔は、心底愉快そうに笑っていた。緑色に照らされるアイジャの美貌に、俺も愉快でしょうと微笑み返す。
「酸化が終わる20分ほどですが、こうして輝きを楽しめます」
「なるほどねぇ。作り方が気になるとこだが、どうせ企業秘密だろう?」
アイジャの意地悪そうな顔に、すみませんと頷いた。
常識的に考えれば、発光を抑えながら光玉を酒造するのは不可能だ。
実はこれ、まったく偶然の産物なのだが、そこら辺を詳しく説明する義理もない。
「それでは、僕たちの輝かしい未来に」
「ふふ、洒落てるじゃないかい。男に口説かれるのは久しぶりだよ」
グラスを合わせ、互いに口に運んでいく。
俺自身、口に含むのは初めてだ。香りは合格だがと、舌の上を滑らした。
途端、独特の酸味と甘味が口一杯に広がっていく。
(これは……)
感じる旨味に、俺は眉を寄せた。
「おお、美味いじゃないかい」
口を開きかけたとき、アイジャの声が緑色に部屋に響きわたる。
顔を上げ、喜ぶアイジャを俺は見やった。
「見た目も綺麗だし、いいね、気に入ったよ。こういうの、女はたまらんもんさ」
「そうですか、よかった。喜んでくれたようでなによりです」
にこにこと飲んでいるアイジャに、俺は笑顔で返した。
そして、少しだけ残念だと心の中で息を吐く。
(そりゃあ、仕方ないか)
もう一度口に含む。……やはり、そこまでの酒ではない。
勿論、不味いわけではない。美味いか不味いかで言えば、上等だ。
けれど、言ってもそれはただの上等。満足できる味かと言えば、頷くことは出来ない。
それに他人から貰った酒だ。文句も言い辛いだろうと、俺はグラスを飲み干すアイジャに目を向けた。
ただ、やはり残念だ。彼女ならば、言ってくれると思ったのだが。
「いやあ美味かった。ありがとさん」
「いえ、こちらこそ」
アイジャの笑顔に、俺は微笑む。
世界一の知力だ。なにを求めているのだと、俺は苦笑した。
「ただ、綺麗すぎるね」
その苦笑を、世界一の魔法使いは越えてきた。
思わず、グラスを持つ手が完全に止まる。
顔を上げると、緑色の世界でアイジャが愉しそうにこちらを見てきていた。
「あたしもまだまだ乙女ってことなんだろうが。飲んだくれの母さんにゃ、ちょいと酔いが足りないみたいだ。……いっそのこと、蒸留するってのはどうだい?」
シシシと、発明王は無邪気に微笑む。その屈託のない笑顔に、俺は参りましたと笑みを浮かべた。
完敗だ。世界の壁は分厚いなと、俺はグラスを一気に煽る。
「考えておきますよ」
緑色に照らされる天井を見上げる。
異世界の発明王は、愉快そうに俺の呟きを聞いていた。
・・・ ・・・ ・・・
銘酒ライトロード
原産:オスーディア
補足:サキュバール家が秘密裏に栽培している蛍木の光玉の果実酒。発光が終了した光玉の果汁に電気を通すと、再び発光を始めることを偶然にも発見したバートが試行錯誤した末に完成した。
味は上の下というところで、俊一郎含め酒飲みからの評価はイマイチ。今後は改良され、オスーディア全域に売り出される予定である。




