第04話 魔導鉄道とハチミツ飴
石畳の街を歩きながら、俺は口の中の甘さに頷いていた。
舌の上を文字通り転がる丸い塊。蟲蜜の風味を鼻腔に感じながら、ころころと舌先でそれを動かす。
「うっ……くっ」
ふと、後ろを付いてきているはずの足音が遠くなっているのに気がつき、俺は歩みを止めた。
振り返れば、頭を垂れたシルフィンが脚をふるふると震わせながら立ち呆けている。
「どうした? 駅はまだ先だぞ」
「も、申し訳ございません。ちょ、ちょっと休憩を……ッ」
肩で息をしながら、シルフィンは乱れた呼吸を必死に整えた。
彼女がこれほど疲れ切っている理由は単純だ。
「やはりもう少し軽装で出るべきだったか」
両肩から彼女を押しつぶそうとしている荷物。それを見やって、俺は腕を組んだ。
久しぶりの遠出なので必要になりそうなものを全部詰め込んだのだが、華奢な彼女には些か重すぎたようだ。
「仕方がない。俺がひとつ持って……」
「なりませんっ!」
女の子に荷物を持たせて、自分は手ぶらでは居心地が悪い。しかし、手を伸ばした俺の好意はシルフィンの鋭い眼光に一蹴された。
「従者がいるにも関わらず、旦那さまに荷物を持たせるなどッ。わたしに生き恥をかかせるおつもりですかッ!」
「い、いや。そんなつもりは」
ふーふーと鼻で息を荒げながら、シルフィンは気合いで再び進み始める。歩き出したシルフィンの前で仕方なしに俺も前進を再開した。
さて、どうしたものか。
シルフィンの吐く息が、背中越しにも伝わってきた。かなり無理をしている。
ただ、一見すると頑固者だと思うかもしれない彼女の台詞は、実のところもっともであったりするから悩み所だ。
ここはまだ、彼女や俺の生活圏内。俺に荷物を持たせているところを衆知されれば、シルフィンが次の仕事を探すことは不可能に近くなるだろう。
「……ポーターでも雇うかな」
力自慢の種族はどうにも苦手だが、こういうときに期間限定で付き人を派遣してくれるようなサービスも存在する。
ケンタウロスなんかを雇えば、背中に乗って移動することも可能だ。馬の下半身は見ていると吐き気がしてこないでもないが、期間限定ならばギリギリ我慢できる。
「え、エルフでは不足ですかぁッ」
「ひぃっ!?」
突然肩に置かれた手に、ぞくりと背中が震えた。
驚いて後ろを見やれば、ゾンビのようになったシルフィンが生気のない顔を地面のほうへ向けている。
「申し訳、ありません。わたしが、エルフでなければ」
けれど、息絶え絶えに吐き出されたシルフィンの言葉に、俺は眉を寄せた。
彼女の肩の上の荷物をひとつ手に掛け、それを強引に奪い取る。
驚いたシルフィンがこちらを見上げてくるが、そんなものは関係ない。
「旦那さま……」
「二度と言うな」
肩に荷物を提げながら、俺はずしりと感じる重量に眉の寄せを深めた。我ながら、随分と詰め込んだものだ。
「君がエルフだから、俺は君を雇ったんだ」
その一言に、シルフィンの目が見開かれる。
見目麗しいエルフだが、その実、従者としての人気は特に高くはない。
人間と比較してもそう変わりない筋力に、特段なにも持たぬ能力。
特徴といえば魔力の高さだが、それを生かすには平民ではとてもじゃないが望めないレベルの教育を受ける必要がある。
だが、人間に似ている。尖った耳に目をつぶれば、人間に似ているのだ。
それがどんなに――
「……心配するな。俺になにかあっても、君の次の奉公先くらいは用意しておいてやる」
それだけ伝えて、俺は駅へと足を向けた。
「行くぞ」
荷物を半分持ってやったのだ。これで付いてこれないようなら、仕方がない。
「は、はいッ!」
彼女にしては元気な返事を聞きながら、俺は疲れたように首を横に傾けるのだった。
◆ ◆ ◆
「ふむ。いつ来ても賑やかだな」
巨大な石造りの駅の前で、俺は辺りを見渡した。
人混みとはこのことだ。基本、王都であるこの街は人が多いが、ここまで密集している場所は他にない。
「旦那さま。乗車券を買って参りましたっ」
腕を組んで異形の群から目を逸らしていると、人混みをかき分けてシルフィンの青髪を確認できた。右手を上げ、汗をかいているシルフィンを迎え入れる。
「当日券、ニルスまでを二枚でよろしかったですね?」
「うむ、ご苦労。……それにしても凄い人だな」
俺の迷惑そうな表情に、シルフィンも頷きながら辺りに目を配る。
駅の周りには乗車待ちの乗客。それに、それを見送る人たちが溢れて芋のごった煮のようなありさまだ。
しかもその人たちを狙った出店まで立ち並んでいるもんだから、いよいよ始末に負えない。
「王都ですからね。来る人も出て行く人も多いですから」
「だろうな。ここらへんは俺の故郷と変わらん」
東京駅もまるでダンジョンのような入り組み具合と人の多さだが、正直ここのほうが身動きがとれない。人の数自体は当然ながら向こうのほうが上なのだろうが、それだけ平成の世は洗練されているということだ。
「この駅も、ホームごとに出口を分ければいいんだ。人の流れを調節して、降りる人と乗る人がぶつからないように……」
言いながら、いかんいかんと首を振る。今日は仕事のことを考える日ではない。駅の運営はバートの家の管轄でもないし、考えるだけ無駄というものだ。
「乗車時間まで時間があるな。先にホームに入っておくか」
駅の壁に取り付けられた巨大な柱時計を見つめ、俺はシルフィンに荷物を持つように促した。ここよりかは、乗車券を持たねば入れないホームのほうが空いているはずだ。
◆ ◆ ◆
「……なんでホームも混んでるんだ」
苛々としながら、俺はホームの壁に寄りかかっていた。
周りには未だに人が溢れ、少しはマシになっているとはいっても、ベンチは全て埋まってしまっている。
「見送りの人でしょうね。実際に乗車する人は半分くらいだと思いますよ」
荷物を点検しながら、シルフィンが呑気な声で答えた。まぁ、荷物を地面に下ろせるだけでも随分と助かる。
「ああ、入場券か。……ほんと、情緒のあることだ」
駅では、ホームに入るだけの入場券も販売されている。この世界では鉄道に乗るのは一大行事みたいなものだから、その見送りの家族や友人がホームに溢れているというわけだ。
泣きながら、息子の手を握る羊頭の母親。はた迷惑な応援歌を歌いながら、友人を見送る尻尾の生えた友人たち。
王都であるこの街は国の中でも一番の都会のはずだが、それでも人の人生というものは千差万別だ。夢を追うために、都を離れるという選択肢も普通に転がっている。
「都ねぇ」
ふと、思い出した。田舎から飛び出したあの日のことを。親父と大喧嘩をして、俺のときは誰一人見送りには来てくれなかった。確かに、あのときのホームでの待ち時間は心細かったものだ。
「……シルフィン、君は王都に来た日のことを覚えているか?」
つい唇が動く。メイド服の裾を直していたシルフィンは、俺の口から出た質問に目線を動かした。
「はい、もちろん覚えています。期待と不安に胸を膨らませながら、震える脚で降り立ったものです」
「なるほど。膨らむほどない君の胸でも……か。やはり上京とはいいものだな」
不機嫌そうに目を細めたシルフィンは無視をして、俺は懐から小瓶を取り出す。
小瓶の中には、黄金色の丸い飴玉。そのうちのひとつを手のひらに転がらせて、シルフィンへと差し出した。
「ひとつやろう。荷物運びの労いだ」
「えっ? よろしいんですかっ?」
両手で飴玉を受け取ったシルフィンが、驚いたように口にする。
砂糖が黄金以上の価値を持つこの世界では、飴玉はそれこそ貴族のステータスだ。
シルフィンも、輝く飴玉を恐る恐る見つめている。彼女のような身分では、まず口に入れる機会などはない。
「安心しろ、蟲蜜の飴玉だ。砂糖ほどじゃあない」
「そ、そうですか。……はむ」
口に入れた瞬間に、シルフィンの両目が見開かれた。衝撃、という感じだ。
蟲蜜。言ってしまえば、この世界の蜂蜜である。地球の蜂と違い、蟲蜜蜂は刺さないらしいが、詳しくは俺も知らない。
とはいえ、砂糖ほどではないにしろ蟲蜜も高級品だ。特に名産であるアキタリア皇国の蟲蜜は、一瓶でかなり値が張る代物である。
俺もひとつ口に放り込み、ころころと舌の上で転がした。
甘い。喉が灼けるような甘さだ。ここまでの甘みを、この世界で感じることは珍しい。最高級品のアキタリア産ならではと言える。
「すごいでふ。こんな甘ひもの、はじめて食べまひた」
あまりの甘さに、シルフィンは感覚が追いついていないらしい。慎重に、飴玉の味を脳に記憶していっている。
「アキタリア原産の希少種に、飴玉蜂という奴がいるそうだ。なんでも、巣の中で飴玉状に蜜を保存するらしい。これはそいつらの飴玉ってわけだな」
シルフィンに、ガラス瓶の中身の正体を説明してやる。蜂蜜を飴玉状に固めるのは中々に難しい。繋ぎに砂糖を使えば簡単だが、この世界では本末転倒というものだろう。
ありがたい俺の説明を、シルフィンは話半分に聞いていた。そんな雑学なんかよりかは、甘味のインプットのほうが大事だと言わんばかりだ。
そんな彼女に、ガラス瓶を懐に仕舞いながら伝えてやる。
「まぁ、ひと粒で君の日給三日分といったところだ」
「ぶッ!?」
危うく飴玉を吐き出しそうになったシルフィンが、慌てて両手で口を抑える。それをわざとらしく笑ってやりながら、俺は愉快な気分で腹を抱えた。
「はははっ、バートの奴のアキタリア土産だ。俺でもおいそれとは買えんぞ」
金額もそうだが、まず手に入らない。こっそりと一人で舐めるつもりだったが、なぜか気が変わった。
遠くに聞こえてきた魔導鉄道の鐘の音に振り向きながら、俺は重い荷物をひとつ持ち上げる。
「さて、行こうじゃないか」
見送る者は皆無だが、此度の旅は一人ではない。
待ち時間の代金としては、悪くはないだろう。
・・・ ・・・ ・・・
蟲蜜飴
原産:アキタリア皇国
補足:アキタリア固有種である飴玉蜂の蜜。蟲蜜を飴玉状に加工形成したものではなく、飴玉蜂が球体状に蜜を固めて保存する習性を利用したもの。養蜂が難しく、古来より高級品としてアキタリアで珍重されてきた。
現在も養蜂化の計画が国を挙げて進められているが難航している。