第15話 魔法使い
彼女の瞳が俺を見つめていた。
赤い瞳は、どこまでも冷静に俺へと眼差しを注いでいる。
「……なんてね」
緊張で身体を固める俺に、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「えっ?」
「別に構える必要はないよ。お前さんが世界を変えたいっていうなら、変えればいい。あたしはあたしで、勝手に変えるさ」
飄々と、けれど心底愉快だと言うように、アイジャは俺へと微笑んだ。
電気タバコを咥え、俺に向かってピンクの煙を吐きかける。
甘ったるさと酒の匂いが混ざった、不思議な香り。
幻想的な色の向こうで、アイジャはパチンと指を鳴らした。
合図だったのか部屋の奥の扉が開き、一人の少女が部屋の中へと入ってくる。
(……メイド?)
その少女は、奇妙な服装に身を包んでいた。
まるでセーラー服とメイド服が混ざったような、そんな服だ。可愛らしいが特徴的で、ただ少女には似合っている。
「ママ、オ客サンニ、コーチャ」
カップを三つ、紅茶を載せた盆を少女は両手に持っていた。
片言の声で、アイジャへと目を向ける。
「ほら、テーブルに置きな。挨拶もちゃんとするんだよ」
アイジャに言われ、少女がこくんと頷く。
そして少女は、盆を持ったまま俺へと頭を下げた。
「キョーカデス。ヨロシク。……オネガイ?」
首を傾げられ、俺もなんだか困ってしまう。
なんだか、見かけよりも随分と幼い印象の少女だ。
見た目は、高校生くらいに見える。身体の発育も、シルフィンよりは上だ。
「ああ、よろしく」
にっこりと笑うと、キョーカは俺の方をじっと見てきた。
その瞳に、俺は汗を流す。
エメラルドのような瞳が、俺を見つめてきていた。
種族は何なのだろう。少しだけ疑問に思い、キョーカを見やる。
(エルフじゃ、ないよな)
白い髪に、灰色の肌。そして宝石のような瞳。種族が見当も付かない。確か、目が宝石なのは精霊の特徴だったはずだが。
そういえば、ヒョウカもサファイアの瞳をしていたなと、俺は人懐っこい土地神さまを思い出した。
「ソレジャ、バイバイ」
そう言って、キョーカは背を向けて部屋の奥に消えていく。
もちろん、盆の上に紅茶のカップを持ったままだ。
何も置かれることのなかったテーブルを挟み、気まずい沈黙が数秒流れた。
「……さて、紅茶も飲んだことだし」
「い、いえ、飲んでませんが」
つい、素直に返事をしてしまった。アイジャが眉を寄せ、誤魔化すように頬を掻く。
というか、さっきのキョーカは気になることを言っていた。
「あの、失礼かもしれませんが……お子さんですか?」
確かに、アイジャのことをママと呼んでいた。
いや、別にアイジャに子供がいても不思議ではないのだが、種族が違う。父親の種族だろうか。
俺の質問に、アイジャは気恥ずかしそうに、ただ嬉しそうにはにかんだ。
「んー、まぁ。一応ね。あたしが作った子供だよ。まだまだ学習途上でね。ああ見えて4歳なんだ、許してやっとくれ」
「よ、4歳っ!?」
アイジャの言葉に、俺もシルフィンも目を見開く。成長の早い種族はいるが、それにしても尋常ではない。
体つきは、どう見ても十代半ばくらいだった。
唖然としている俺を、アイジャはちらりと見やる。そして、少しだけ考えるように指を唇に付けた。
「……これは、出来るなら秘密にしておいて欲しいことなんだが」
そう前置きして、アイジャは俺を見つめる。
シルフィンの方へも視線を向けて、アイジャは淡々と話し出した。
「あの子は、あたしが『創った』子供でね。ホムンクルスって奴なんだ」
あっけらかんと言い放ったアイジャに、俺の呼吸が止まる。
そんな馬鹿なとアイジャを見つめた。
「ほむ……えっと……?」
シルフィンは、アイジャの説明を理解していない。というより、俺が理解している様子を興味深げに眺めながら、アイジャはタバコを口に咥える。
「魔力と精霊の素体、それに雄と雌の遺伝子。そいつらを材料に、あたしが創ったんだ。もちろん、あたしの血を継いでるよ」
ここまで来てようやく、シルフィンも何となくだがアイジャの言っていることを理解する。しかし、それにしてもーー
「とんでもない話ですね。魔法ってのはそこまで凄いもんなんですか?」
命を創る。いや、精霊がどうのと言っていたから、厳密には生命を生み出したわけではないのかもしれないが。それでも目の前の女賢者は色々と一線を飛び越えてしまっている。
神の領域があるというのなら、まさにそこだ。
しかし、発明王はこれまたあっけらかんと首を振った。
「いんや、そんなに魔法ってのは万能じゃないよ。魔導鉄道にしたってそうさね。ありゃあ魔法の理論で動いちゃいるが、別に車体や動力部は魔法で作ってるわけじゃない。あれに使ってるネジは、マジロ爺さんって人の町工場で作っててね」
アイジャの説明に、俺はなるほどと頷いた。結局は、この魔法と幻想の世界においてでも、科学は重要だということだ。
「魔法だけで出来ることなんて、炎出したり雷ぶっ放したりするだけさ。昔の戦争中ならそれでよかったけどね、今はとにかく経済に繋がらなきゃいけない」
その話に、俺はどこか既視感を持った。確か、そんな話に眉を寄せていた人物がいた気がする。
彼女もまた、オスーディアで魔法を学んだ才女だった。
「魔力発電と魔導機関は、あたしの最高傑作さ。あれのおかげで、戦うしか能のなかった馬鹿野郎どもが電気を作れるようになった。今じゃ、あたしの会社は千人近く魔法使いを雇ってる」
自慢話をするように、アイジャはタバコ片手に笑みを浮かべた。それも納得だ。今や、魔力発電によって作られた電気はオスーディア全土に広がり、様々な形で利用されている。
けれど、それがどこか寂しく感じられて、
「……なんかあれですね。まるで、魔法使いは燃料か何かですね」
いつか彼女に聞いた言葉が、ぽろりとこぼれた。
その瞬間だ。
アイジャの視線が、俺の身体を貫いた。
思わず呼吸どころか、心臓すら止まりそうになる。
シャロンと比べても比較にならないくらいの、圧倒的な威圧感。
殺気とも呼べるその視線に、俺はぞくりと背中を震わせた。
「そうさ。そして、魔法は商品だ」
アイジャの眼差しが、真っ直ぐに俺を見つめていた。
温度の消えた瞳で、アイジャは言い切る。
「生きてくってのは、金を稼いで飯を食うことさね。魔法でどうやって稼ぐ? 街の広場で大道芸人みたいに火でも噴くか? 風呂を沸かしたきゃ、薪とマッチで事足りる」
それは、誰に言っているのだろう。アイジャの視線の先を想い、俺は何も言い返せない。
おそらく、アイジャの言っていることは正しい。そして、彼女は実際に魔法使いの地位を向上させている。
俺が口を挟めることなど、何もない。
何もない……が。
「知人の魔法が、凄く綺麗でしてね。案外、火を噴くだけもいいものですよ」
ここで引いたら、胸に仕舞った回数券に申し訳が立たない。
少し震えながらも言い切る俺に、アイジャの顔が静かに止まった。
そして、
「く、はは。ははははっ。そうかい、そりゃあよかったっ」
我慢できないといった風に、アイジャが腹を抱えて笑い出す。
ひぃひぃと笑いを堪える発明王を見ながら、俺は細く息を吐いた。
正直、殺されるかと思った。けれど、アイジャは愉快そうに笑顔を見せる。
「いやぁ、いいねお前さん。あたしに睨まれて言い返すたぁ、いい根性だ。気に入ったよ」
そう言って笑う発明王に、俺はホッと胸をなで下ろすのだった。
安堵する俺を、アイジャがニヤニヤと眺めてくる。少し試す意味もあったのだろう。趣味の悪いことだと、俺は黒いとんがり帽子を見つめ返した。
そして、アイジャが口を開く。
「ひとつ、お前さんに頼みたいことがあるんだが」
微笑む発明王の声を、俺は嫌な予感がしながら聞くのだった。




