第12話 優雅な一日
「ふふ、ふふふふ……」
鏡に映る自分の姿に、思わず頬が緩む。
くるっと回ってみると、スカートの裾がふわりと広がった。
「くふ、ふふふ……」
白いワンピース。まるで貴族のお嬢さんが着るような。
いや、まるでではない。
アラン工房。大街道に店を構える、名店中の名店。
あのロプス家のご当主さまも袖を通すという、正真正銘の高級品。
そんな店の洋服が、私を包み込んでいる。
「ふふふ……」
さっきから笑ってしかいないような気がするが、今笑わずして、いつ笑うというのか。
というより、この姿見も凄い。
鏡というのは贅沢品だ。私も、お婆ちゃんから貰った手鏡をひとつだけ。
壁に掛かった姿見なんて、貴族のお屋敷にだっていくつもあるわけじゃあない。
事実、このお屋敷にも全身を映せる大きさのものは一つだけ。
部屋を一つくれると言われたとき、驚愕した。
どうやら彼は、姿見にはあまり興味がなかったようだ。
『いいんじゃないか? 姿見もあるし。君はこの部屋にしたまえ』
さも当然のように言われ、今でも正直信じられない。
夢見心地とはこのことだ。
「ふふふ……」
びっ、とポーズを決める。凄い、私が動くと鏡の中の私も動く。
ワンピースの前で煌めく指輪のネックレスに目をやりながら、私はなおも不敵に微笑む。
「ふふふふ……」
シルフィン、今、無敵です。
◆ ◆ ◆
「ん? 買ってやった服はどうした」
「勤務中ですので」
黙々と紅茶を煎れるシルフィンに、俺は小さく眉を寄せた。
いやまぁ、もっともではあるのだが。せっかく買ったのだし、少しくらいは着て見せてくれてもいい気がする。
「コーチャです」
「ああ、すまない」
ただ、シルフィンからすれば一張羅どころの値段ではない。勤務中に着てみろというのも無理な話かと思いつつ、俺はカップに口を付けた。
相変わらず煎れるのが上手い。
「結局俺が選んでしまったが、気に入ったのはあったかね?」
「そうですね、何着か。ありがとうございます」
澄ました顔で微笑まれ、俺も「それはよかった」と笑みを浮かべた。
なんだかんだで、基本クールな女である。服というのも、少々安直に過ぎたかもしれない。
いやまぁ、別に落とそうというわけでもないのだが。
しかしとはいえ、男としては喜ぶ顔が見たいものである。
世の女性に言いたいことは、「男から何かして貰ったら、大げさに喜べ」だ。プレゼントを喜ばれて、悪い気をする男はいない。
「つまり、君はいろいろとだめだな」
「は、はぁ。すみません」
不思議そうな顔で謝ってくるシルフィンに、俺はやれやれと肩をすくめる。
一応、こんな無愛想なメイドでも、可愛げがあるときもあるのだ。例えば、ジュエルクラブを食べに行ったときなんかーー
「なるほど。つまり、君は色気より食い気ということか。合点がいった」
「何に合点がいったかは知りませんし、旦那さまだけには言われたくありませんが、雇い主なので何も言わないことにいたします」
賢明だ。世の中、金を払っているほうが偉い。
紅茶を啜る俺に向かい、シルフィンはしかし、申し訳なさそうに口を開いた。
「あの、旦那さま。本当によろしかったのですか? あのように、高級な……」
「構わん。自分のメイドが見窄らしいのも困るだろう。経費みたいなもんだよ」
というか事実、経費に計上してバートに渡している。とはいえ、多少の出費になったのも事実だが。
「と、ところで……あの……お、おいくらくらいに?」
「ほぅ、そこを聞くかね」
おずおずと聞いてくるシルフィンにニヤリと笑う。マナー云々よりも、知らずには寝られないのだろう。
身につけるものの値段は、把握していなければ意味はないとも言うが。しかし俺は、鼻歌を奏でながら柱時計を見つめた。
時刻はそろそろ夕食時だ。
「腹が減ったな」
「は?」
腹をさする俺に、シルフィンが聞き返した。返事にはなっていないが、けれど減ったものはしかたがない。
今日はなにを作ってもらうか。魚はこの前食ったし、肉がいい。
「どうかね? 今晩、ディナーでも」
しかし、それでは洋服が見られない。最近確率の上がったデートの誘いを、呆れたような表情の彼女に伝える。
プレゼントにより好感度は上がっている。成功する可能性は、かなり高い。
「既にお夕飯の仕込みは終わっていますが、行きたいのでしたらお一人でどうぞ」
残念だ。どうやら、ワンピースはまた今度らしい。
愛想笑いを浮かべながら椅子に座り直す俺に、シルフィンはどうしたものかと視線を向けた。
そして、少しだけ照れたように口にする。
「また、お誘いくださいませ」
静かに微笑むクールなメイドに、俺は勿論だと頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「ど、どれっ!? どれ着ていけばいいのっ!?」
その日、慣れない姿見の前で慌てながら、私は色とりどりの洋服を次々と睨みつけるのでした。




