第11話 万年亀の鼈甲
「……そういえば、シルフィン。君、いつも同じ服装だな」
掃除に勤しむメイドを眺めながら、俺は見慣れたメイド服に声をかけた。
シルフィンが振り返り、小さく首を傾げる。
「ええ、まぁ。わたしの持っているものの中では、ドレスを除けば一番上等なので」
モップを持ちながら、シルフィンは自分のメイド服を見下ろす。
実際、メイド服は庶民の着る服の中では上等な部類だ。
来賓を相手しなければいけない場合もあるのだから当然だが、生地にはそれなりのものが使用される。メイドや執事は、雇い主の一部ということだ。
しかも、ドレスなどと違い労働にも適しているし、エプロンを取れば冠婚葬祭すべてに対応しているという万能ぶり。もちろん街を歩いていても変ではない。
彼女のような雇われメイドは、私服もメイド服というのは珍しくないのだ。事実俺も、着回し用として三着ほど彼女に与えている。
だがしかし、こうも毎日同じ服では面白味がない。
「他に服はないのかね?」
「え? そ、そうですね。寝間着の麻服なら、何着か」
俺の質問の意図が読めず、シルフィンは困惑しながら回答してきた。
まったくもって、予想通りの答えだ。
なんとなく日本を思い出した。どちらかというと、俺は恋人には貢ぐタイプだ。
彼女は恋人ではないが、こうも一緒にいることの多い女性が、いつも同じ服というのはいただけない。
「よし、買いに行くぞ。ドレスに着替えろ」
「ふぇっ!?」
間抜けな声を出しているメイドを無視して、俺は身支度を整える。
確か、エルダニアには有名な服飾店があったはずだ。
「だ、旦那さまっ。買いに行くって、なにをっ?」
慌てているシルフィンに、俺は呆れたように振り返る。いつものことながら、人の話を聞いていない。
「君の服に決まっているだろう?」
固まるシルフィンに呆れ果てながら、俺はついでに夕食の予定も頭に入れるのだった。
◆ ◆ ◆
呆然と、シルフィンは店の中で立ち尽くしていた。
「口が開いているぞ」
注意しても、ぴくりとも動かない。僅かに震えながら、シルフィンは煌びやかな店内をなんとか見渡した。
ここエルダニアには、大街道という中心街がある。いってしまえば一等地だ。その通りに店を構えることは商人の夢とされ、土地の値段も王都の平均を大きく越える。
俺たちは今、その大街道に建てられたとある服飾店を訪れていた。
「ここのオーナーは優秀らしくてな。なんでも、あのシャロンお嬢さんもここでオーダーメイドしているらしいぞ」
ちらりと見やるだけでも、品物の質の高さが伺える。手縫いの芸術品だ。ここまでくれば、平成の日本でも同じ質を探すのは難しい。
大量生産品にはない、職人の気概。そういうものが込められている気がする。
「お、これなんて手縫いの総レースだぞ。柄も素晴らしいな」
襟飾りを見つけ、まじまじと見つめる。花と蝶がモチーフの、美しい紋様だ。これならメイド服にも付けることが出来る。
「だ、旦那さま……帰りましょう。わ、わたしには……」
「だめだ。冷やかしだけで帰れるか」
こんなこともあろうかと、わざわざシャロンからお勧めの服飾店を聞いておいたのだ。謂わば、この店はロプス家の昵懇。あまり下手なことはしたくない。
「君の普段着を数着買うだけだ。すぐ終わる」
「ふ、普段着……普段着なんかない……絶対ない」
なにやらぶつぶつと言い出したシルフィンは無視して、俺は店内を物色する。
名店だけあって、品数も多い。それに、ぱっと見の良さはわかっても、流行などは分かりようがなかった。
「なにかお探しでしょうか?」
腕を組んでいる俺に、胡散臭い声がかけられる。
振り返れば、目を細めた羊頭がこちらを見つめてきていた。
「いやね、この子の普段着を買いに着たんだが」
「おお! それは素晴らしい。是非お手伝いさせてください」
わざとらしく声を上げた羊頭の店員に、俺はこくりと頷く。
なんというか、胡散臭い男だ。
まず、声が良すぎる。次に、表情が良すぎる。
しかしそれでいて、わざとらしく胡散臭いのに、なぜか嫌な感じは微塵もしない。
(こいつがオーナーか?)
直感で分かるというもの。ここまで見事な商人は、王都でもそうそういない。
なるほど。ここまでくれば、大街道に店を構えられるのか。そんなことを思いながら、俺は店員、もといオーナーにシルフィンを紹介した。
「この子に似合う服を」
俺のひとことに、オーナーが畏まりましたと頭を下げる。
◆ ◆ ◆
「いかがでしょう? これなどは、今年流行している素材なのですが」
オーナーに言われ、俺は目の前で固まっているシルフィンを見つめた。
彼女の首には、狐のような動物の毛皮が巻かれている。
服も中々に面白い。形はよくあるワンピースだが、夜空のように煌めく黒地で作られていた。
「……この季節に、襟巻きは暑くないですか?」
当然の俺の反応に、オーナーが嬉しそうに手を叩く。予想通りの問いだったようだ。
「よくぞ聞いてくれました。この毛皮、世にも珍しい雪嵐の毛皮でございます。夏はひんやりと、首もとを涼しく快適にしてくれるのです」
「ほう、面白い。どうだシルフィン、涼しいか?」
聞いてみて、シルフィンがこくこくと頷く。どれどれと触れば、確かにひんやりと心地よい手触りだ。
「ワンピースも面白いな。星空を着てるみたいだぞ」
どういう原理なのだろう。夜空のような黒地に、星が瞬いている。しかもその星々がきらきらと僅かに移動していて、なんとも幻想的だ。
「こちらは星蛇の皮ですね。体表の内側が、このように美しい夜空になっているのですよ」
「というと、革製の服か。いいね、なかなかにロックだ」
しかも、シルフィンが覆えるほどの革だ。相当な大蛇なのだろう。
考えてみれば、ファンタジーな素材は食べ物だけではないのだ。見たこともない幻想の洋服に、俺の胸が揺れ動く。
「あの、旦那さま……これはちょっと……」
「そうだな。もう少し派手さが欲しい」
俺の発言に、シルフィンの目が見開かれた。どうやら同意見で感動しているようだ。俺は即座にオーナーに向き直る。
「ちょっと地味だな。こう、もうちょっとゴージャスな感じで」
「畏まりました」
感激のあまり固まるシルフィンをマネキンに、幻想的なファッションショーが始まった。
「これなどいかがでしょう? 金色熊の毛皮です。お連れ様ならば、すっぽりと被れるのでマントとしては最適かと」
「ゴールデンだな。いい、一考の余地がある」
「私のお勧めはこれです。サンダーリザードの牙のネックレス。なんと充電しておけば、夜の間も明るく点滅します」
「すばらしい。夜道で馬車に轢かれることもなくなるな」
「帽子ならばこちらでしょう。天空孔雀の羽をふんだんにあしらった羽帽子です。その数、なんと2000枚」
「豪華だな。やはりトップを飾るのは大事か」
「やはり足下までこだわりませんと。オパール蝉の抜け殻を加工した靴です。強度は鉄以上なのに、紙のような軽さ」
「珍しい。見た目も綺麗じゃないか」
「最近流行の発明、サングラスはいかがでしょう? お連れ様は碧眼ですし、これで日光が眩しくないかと。フレームに使われているのは、なんと万年亀の鼈甲です」
「必須だな。縁も渋い感じだ」
こうして、2時間に及ぶ格闘の末、ついにシルフィンの着せかえが完了した。
目の前を見つめ、俺はうんうんと深く頷く。
「完璧だな」
もうなんというか、シルフィンは凄いことになっていた。もはやエルフというよりは、得体の知れないモンスターだ。
「あの……旦那さま……」
ふるふると、不安そうな顔でシルフィンが見つめてくる。「本当にこれを買うのですか?」と、彼女にしては分かりやすい表情だ。
そろそろ遊ぶのも終わりにしよう。異世界の幻想を堪能した俺は、オーナーに目を配った。
「すまないね、オーナー。堪能したよ」
「いえいえ、こちらこそ」
にっこり笑い、オーナーは恭しく頭を下げる。いろいろと我が儘を言ってしまい、申し訳ない。
「見ているときに言った、10着ほどを」
「畏まりました。用意してございます」
そうしてオーナーが振り向くと、店員の一人が手提げを持ってこちらに来ていた。準備のいいことだ。
それを受け取りながら、俺は事態を飲み込めていないシルフィンに向き直る。
「どうした? 早く外してこい。帰るぞ」
「へっ? あ、はいっ!」
慌ててシルフィンが試着室に向かい、俺はオーナーへ振り向いた。
評判通り、質も品ぞろえも最高の店だ。
「また来るよ」
「お待ちしております。シャロン様にもよろしくお伝えください」
オーナーの返事に、俺は驚いて目を見開く。わざとらしく微笑む目に、俺はさすがだねと心の中で賛辞を送る。
そうこうしているうちに、店員を連れたシルフィンが帰ってきた。元の、水色のドレスに戻っている。
「す、すみませんっ」
なぜ謝っているか分からないシルフィンを見て、俺はそうだと店員に手を伸ばした。
店員の腕の中から、どうしても気になったものを一つ掴む。
「どうだ、シルフィン? 似合ってないか?」
これならば、本当に買ってもいいかもしれない。万年亀の鼈甲のサングラスをかける俺を、シルフィンが見つめる。
「すごく……胡散臭いです」
心底嫌そうなメイドの声と表情に、俺は購入を見送った。
どうもまだまだ、歳の取り方が足りないようだ。




