第10話 レインボーフィッシュ
「それにしても、地味な魚だなぁ」
まな板の上をしげしげと見つめる。傍らで包丁を握るシルフィンも、「そうですねぇ」と頷いた。
こうして木のまな板の上に横たわると、より地味さが際だつ。不味そうって感じではないが、美味そうって感じでもない。
「まぁ、あんまりカラフルなのも、それはそれで美味そうに見えないしな」
「そうですか?」
異世界育ちのシルフィンが、俺の言葉に首を傾げた。
ここら辺は、お国柄って奴だろう。日本育ちの俺にとっては、カラフルに過ぎる熱帯魚なんかはあまり美味そうには見えない。
反面、この世界の魚ってのはカラフルで美味い奴も多いから、見慣れたシルフィンからすれば原色な魚も美味そうに見えるのだろう。
色による食欲の増減ってのは面白いもので、アメリカなんかの研究だと、原色ってのは食欲の増す色らしい。向こうの人が作るケーキがレインボーなのはそんな理由だ。
「しかし、青はないよな。青は」
俺の呟きに、再びシルフィンの顔が傾いた。
真っ赤なイチゴやリンゴならともかく、真っ青なケーキは日本人としては遠慮したいところだ。
そう考えると、目の前の地味な魚はなかなか渋くていい感じだ。和のテイストを感じさせる。
「どうやって食べるつもりだ?」
「スープにしようかと。少し季節はずれですが」
シルフィンの言葉にうんうんと頷いた。こっちの世界でいうスープってのは割と具だくさんで、この場合でいうと「鍋にしよう」ということだ。
「いいな、鍋。まぁ、できれば冬が最高だが。この際仕方あるまい」
なにせ季節はどうにもならない。真夏でもないわけだし、贅沢は言ってられないだろう。
葉野菜をふんだんに、ショウガに似た薬味も少々。それらを、ぶつ切りにした魚と一緒に煮込もうというわけだ。考えただけで腹が鳴る。
しかし、本当に残念である。もし今が冬だったなら、より美味しくいただけるだろうに。
「……ん? 冬?」
なにか忘れているような気がして、俺はハテと首を傾げた。
そんな俺の横で、シルフィンが今まさに魚をぶつ切ろうと包丁を持ち上げる。
そのときだ、俺の頭の中でなにかが繋がり、俺はシルフィンに向かって声を張り上げた。
「待つんだシルフィン!」
妙案。その二文字が、俺の頭の中で炸裂する。
◆ ◆ ◆
『えっ? そのためにわざわざ来たのですか?』
祠山の祠の中。きちんと備え付けられている台所の前の屈むシルフィンを見ながら、ヒョウカは唖然とした顔を俺に向けた。
「すいません。迷惑でしたかね?」
『いえ、別に我はかまわないのですが』
まな板を準備し、魚を取り出したシルフィンをヒョウカは興味深げに覗き込む。
確かに、わざわざ土地神のところに飯を食いにくる奴ってのはいないのかもしれない。
「やはり鍋は冬に限るじゃないですか。その点、ここの気候は素晴らしいので」
ふるりと震えながら、俺はヒョウカに微笑んだ。ヒョウカも悪い気はしないらしく、突然の来訪者に頬を掻く。
「大きな魚ですから、みんなで食べましょう。よかったら、ヒョウカさんも」
『いいのですかっ?』
俺の提案に、ヒョウカの顔が輝いた。
いいも悪いも、押し掛けて台所まで借りているのだ。夕食くらいは振る舞わなければ罰が当たるというものだろう。
「もちろんですよ。お酒も持ってきましたし、一緒に飲みましょう」
『おお! おお! なんというっ、嬉しいですっ』
両手を握りしめ、ヒョウカは興奮気味に腕を振った。人懐っこい女神様が嬉しそうで、俺もホッと胸をなで下ろす。
「旦那さま、切りますよ」
ヒョウカと話していると、準備を終えたシルフィンの声が聞こえてくる。振り向けば、包丁を持ったシルフィンが魚に刃を入れるところだ。
「お、どれどれ」
魚も気になるが、雇い主としては彼女の包丁捌きも気になるところである。
身を乗り出した俺につられ、ヒョウカもひょいと首を伸ばした。
二人分の視線を受け、少しだけ恥ずかしそうにシルフィンが咳を払う。
「では……」
包丁をしっかりと持ち直して、シルフィンは魚の腹に刃を入れた。
ざくざくと身が切られ、鮮やかに魚が半身に切り開かれる。
その断面が見えたとき、俺は思わず目を見開いた。
「こ、これはっ」
虹色に輝く、美しい光沢。
まるで宝石のように煌めく魚の身が、そこにはあった。
「まさか、中身がレインボーだったとは」
原色の七色などという、ケバケバしいものではない。白身魚の、美しい光沢。それが光を放っているのかと錯覚するほどに、美しく輝いている。
オパール、クリスタル、どれとも違う。虹色と呼ぶに相応しい輝きだ。
「美味しそうですね」
シルフィンの呟きに頷いた。ジュエルクラブも美しかったが、あれは可食部ではない、いってしまえば飾りの部位の煌めきだ。
このレインボーフィッシュは違う。まさに食べる部位そのもの。その白身がため息をつくほどに美しいのだ。
「いいな。日本人のDNAにきやがる」
鯛やフグの刺身。ああいうものから受ける美しさを、極限まで濃縮したような。そんな華麗さ。幻の魚というのも頷ける。
『おいしそーですね』
にこにこと笑う女神様も満足そうで、俺は自慢のメイドに頼んだぞと背中を叩くのだった。
◆ ◆ ◆
「……で、煮込んだらこうなったわけか」
「も、申し訳ございません」
しょんぼりと肩を落とすシルフィンに、構いやしないと右手をあげる。
ものの見事に、煮込まれたレインボーフィッシュの輝きは消え失せていた。
「ま、そりゃそうか」
鍋の中の白身魚を見つめる。本当に、ザ・白身魚って感じだ。
ぶつ切りにされた身は、煮込む前には鍋の中ですら美しい輝きを放っていたが、火を通した今ではただの白い魚肉である。
アンコウとか、そんな感じだろうか。ぷりぷりとして美味そうだ。
「気にするな。考えてみえば、煮込んだのにキラキラ輝いてるってのも気味が悪いだろ」
「すみません」
なおも頭を下げるシルフィンに、俺はどうしたものかと眉を寄せる。
彼女からすれば、高級素材を台無しにしてしまったとでも思っているらしい。
別にさっきの言葉は、フォローでもなんでもなく本心なのだが。
『美味しそうですっ! さっそく食べましょうっ!』
思案する俺に、元気のよい女神の声が聞こえてきた。
その声に、俺はしめたと口を合わせる。
「そうだぞシルフィン。問題は味だ。……それとも、謝るような味なのかね?」
「い、いえっ。味については自信ありますっ! 大丈夫ですっ!」
慌てたシルフィンに向かい、にやりと笑う。
「ならば謝る必要はない。初めから、味については心配していないからな」
言って、レインボーフィッシュの身を匙ですくった。
大ぶりに切られた身だが、スープごとひとくちで口に運ぶ。
「うむっ!」
噛みしめた瞬間、俺の目は大きく見開いた。
「美味いっ!!」
俺の声に、シルフィンの顔がパッと明るさを取り戻す。
とりあえず彼女は無視して、俺は舌に意識を注いだ。
上品な味だ。淡泊だが、確かに感じる旨味。
しかし、味以上に、その食感たるや。
『ぷりぷりですねっ! 美味しいですっ!』
俺の言いたいことを、女神様が言ってくれた。
そうぷりぷり。これほどぷりぷりが似合う食材には会ったことがない。
「これは相当に美味いぞ」
噛みしめれば、口の中でぷりんと弾ける。そして、口の中を魚の旨味が襲うのだ。
柔らかいが、弾力がある。硬いわけではない。絶妙な、絶妙なぷりぷり感。
日本人ならば、誰もが美味いと言うだろう。そんな確信が持てる味だ。
「ほんとだ。美味しい……」
作ったシルフィン本人も、びっくりした目で器を見下ろす。
味つけは味見でみているのだろうが、食感はそうもいかない。
「レインボーフィッシュだけじゃないな。味付けも見事だ。でかしたぞシルフィン」
「あ、ありがとうございますっ」
嬉しそうに口を開く彼女に、うんうんと頷く。
実際、絶妙な塩加減だ。野菜の旨味もとけ込んでいるスープは、身がなくとも匙が進む。
「これは……酒が欲しくなるな」
辛口を持ってきておいてよかった。魚料理に合う奴を、コレクションの中から見繕ってきたのだ。
「どうです? ヒョウカさんも一杯」
『ふふふ、いただきましょう』
酒瓶をテーブルに乗せた俺を、女神様はにやりと見つめる。これは、どうやら相当にいける口のようだ。
「シルフィン、君もやりなさい」
「へっ? し、しかし」
堅物なメイドが一瞬固まる。彼女のことだ、勤務中だのなんだのと、そんなどうでもいいことが気になっているのだろう。
そんなシルフィンを見つめ、ヒョウカが意地悪そうに酒瓶を手に取った。
酒瓶を持ち、シルフィンの方へ口を向ける。
『我の酒が飲めないというのですかー!』
笑いながら、しかしシルフィンには効果覿面。
「め、滅相もございませんんんっ!」
へへーとグラスを差し出したシルフィンを見て、ヒョウカが楽しそうに声を上げる。
こちらにウィンクを飛ばしてくる女神様へ、俺は申し訳ないと微笑むのだった。
・・・ ・・・ ・・・
レインボーフィッシュ
原産:オスーディア 東部海域
補足:見た目は地味な魚。中身が虹色に輝いており、美しさの理由は身に含まれている旨み成分や脂とされる。非常に美味で、猟師たちの間では昔から珍重されてきた。沖合いのかなり深い海層に生息していて、狙って漁をすることはできない。そのため、たまたま網にかかったものだけが市場に出回る。
かつて養殖も試みられたが、養殖された個体は虹色も旨味も持たない雑魚になってしまった。




