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第09話 幻の魚とメイドの本分


「ほう、威勢がいいな」


 目の前の魚屋を見つめ、俺は感心するように息を吐いた。

 でっぷりと肥えた、猫頭のおばちゃん。にこにこと目を細めた獣人のおばちゃんが、大きな声で呼び込みをしている。


 あまり獣人は得意ではない俺だが、なんだかこのおばちゃんは悪い気はしない。なぜだろう。でっぷり太ってるからか、ゆるきゃらでも見ている気持ちになる。


「おや、珍しい旦那だっ! どうしたい、そんな高そうなスーツでっ!」


 もふもふとした毛並みで振り向きつつ、おばちゃんはバシバシと膝を叩いた。

 言われてシルフィンが頭を下げ、俺も組んでいた腕を軽く外す。


「いえね、自分の住んでいる場所の台所くらいは把握しておこうと思いまして」

「にゃははっ! 殊勝な旦那だねっ、あんまりメイドの仕事を取るんじゃないよっ」


 楽しそうに笑いながら、おばちゃんが手を広げて店先を見せつける。ちらりと店棚に目を下ろせば、大小色とりどりの魚が並んでいた。


「……魚だけですね」

「そうさっ! うちは魚専門だからねっ。悪いけど、貝やクラブは置いてないよっ!」


 おばちゃんの説明に、俺はほぅと頷く。専門店とはいい響きだ。実際、今までに魚専門の店は見たことがない。


 ここならば面白い魚が手に入るかもしれない。俺は、傍らで控えていたシルフィンに目で合図する。


「はい。質も上等だと思います」

「そうか、ならこの店で見繕おう。……マダム、珍しくて美味い魚はあるかな?」


 言われ、おばちゃんが嬉しそうに頬に手を当てる。


「やだまあ! マダムさだなんてっ! やっぱジェントリは上品だあねえ。まけといてあげる」


 見るからにテンションを上げながら、おばちゃんは店棚の商品を見下ろした。まけてやると言われ、俺も恭しく頭を下げる。


 厳密に言えば俺は上流階級ジェントリではないのだが、この際まぁいいだろう。


「珍しくて美味しいって言ったら、レインボーフィッシュとかどうだい? 年に何回かしか網にかからなくてね、たまたま仕入れられたんだ」

「ほう、レインボーフィッシュ」


 聞くからに派手そうな名前だ。おそらく、鱗が七色に光り輝いているのだろう。

 パターンとしては見飽きてきたなと、俺は少々残念な気持ちでおばちゃんの指さす先へ目を向ける。


「……ん?」


 しかし、指し示された魚を見て、俺はゆっくりと眉を寄せた。シルフィンも、はてと首を傾げて棚を見下ろす。


「これが、レインボーフィッシュですか?」

「そうさ。これがレインボーフィッシュ」


 至極自然に頷くおばちゃんに、俺はもう一度棚に目を下ろした。


 そこには、なんとも地味な魚が置かれている。

 形は、まぁ普通に魚だ。やや大ぶりなサイズで、面構えもぱっとしない。


 なにより、代名詞のはずの色が地味のひとことだった。

 茶色。言ってしまえば、そんな色。カレイだのひらめだのの、あの印象だ。


 どう考えても、レインボーな華やかさは感じられない。


「あの、なぜこれがレインボー?」

「さぁ。漁師が言ってることだから。あたしも食べたことないしね。ただ、美味いらしいよ。食通の間じゃ、ちょっとした幻の魚さ」


 そう言われ、俺はうーむと腕を組む。まさか騙そうとしているわけでもないだろうが、今いちピンとこない。

 しかし、なにも見た目だけがレインボーではないのだ。例えば虹が架かった海でしか穫れないとか、そういう由来も十分ありえる。


 とりあえず、美味ならば食べてみたい。どうせ食ってしまえば見た目は気にならないと、俺はシルフィンに目をやった。


「マダム、そのレインボーフィッシュを貰おうか。いくらだね?」


 俺の合図で、シルフィンが首もとから財布を取り出す。人混みだから、首から下げた布財布を服の中に入れていたのだ。


 取り出す際、はずみで首もとから何かが出てきた。


「あっ」


 シルフィンがしまったと目を見開くが、どうしようもなかったのだろう。首から胸元へ、指輪のネックレスがポロリとこぼれる。


 その瞬間、おばちゃんの目がキラリと輝いた。


「おやおや。あんた、いい指輪下げてるじゃないか」


 慌てて服の中へ戻そうとするシルフィンを、おばちゃんが制する。誉められては、シルフィンも礼を言うしかない。

 彼女にしては珍しく恥ずかしさを露わにしながら、もごもごと口籠もった。


 そんな様子のシルフィンを、おばちゃんが愉快そうに見つめる。

 

「ふふふ、大丈夫。言やしないよ。ただ、気をつけときな。それに、火遊びはバレないほうが燃えるもんだよ」

「い、いえ。そういう、感じでは……」


 おばちゃんの小声にたじたじになりながら、シルフィンは困ったように下を向いた。その反応に、おばちゃんがおやと俺に顔を向ける。


「ありゃ、あんたからじゃなかったかい?」

「いかにも。僕からですが」


 正解ですと頷く俺に、おばちゃんはやっぱりと手を叩いた。


「だ、旦那さま……」


 少しだけ呆れたように呟いて、けれどシルフィンは、はにかみながら頬を掻くのだった。



 ◆  ◆  ◆



「旦那さま、困ります。あのような」

「なぜ?」


 帰り道、私は彼に眉を寄せながら口を開いた。そんな私の抵抗に、彼があっけらかんと返してくる。

 心底不思議そうな表情だ。本気で、「俺が買ってやったと言ってなにが悪い」とでも思っていそうな。


「か、勘違いをされて……しまいます」


 恥ずかしい。メイドの口から言わすとは。

 なんというか、悪気はないんだろうなと分かるところが、なおさらタチが悪い。絶対に火遊び相手には向かないタイプだ。


「勘違いとはなんだね。俺が指輪を送ったのも事実だし、君が大事にしてくれているのも事実だ。濁す必要など何処にもない」

「そ、それはそうなのですが」


 案の定、なにが悪いのだと言ってきた。悪い気はしないが、雇われメイドとしては頭の痛い旦那さまである。

 存外に、女社会は横に広いのだ。噂はすぐに広がるし、それは私たちを派遣している商会ギルドにも勿論伝わる。


 主人に手を出したとあれば、その後にまとまな仕事は回ってこないだろう。……手を出してもいないのに、それはあまりにも辛い。


「そんなことよりもだ、シルフィン。君、魚は捌けるかね?」

「えっ? あ、はい。塩漬けの魚でしたら、何度も」


 私の今後をそんなことと片づけながら、彼が不安そうに聞いてきた。

 聞いてきていることはもっともなので、私もすぐに返事を返す。


 新鮮な魚介類を手に入れることは難しい王都だが、魚自体がないかと言われれば話は別だ。切り身ではなく、丸まま塩漬けにされたような魚ならよく調理したものである。


 私が彼から、この旦那さまから可愛がられているのも、ひとえに料理の腕が理由だろう。

 この人に限っては、大きい胸も目の下のホクロも意味がないのだ。


 アピールすべきは、メイドの本分。そして、掴むべきは胃袋だ。


「お任せください。腕によりをかけて調理します」


 むんと気合いを入れた私を見て、彼が満足そうに頷いていく。

 そして、そうだと私は彼の顔を見上げた。


「そういえば。旦那さま、結局おいくらでしたので?」


 ふがいないことに、もじもじしていたら会計が終了していた。メイドとしてはあるまじき失態だ。

 申し訳ないと眉を下げる私に、貴方がきょとんと首を傾げる。

 

 そして、なにか言おうとして、しかし貴方はくすりと笑った。


「秘密だ。包丁が鈍るといけないからな」


 楽しそうに微笑む貴方の言葉に、私は気合いを入れ直すのだった。


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