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第07話 メイドと恋心

「旦那さま、お夜食を……」


 その日、部屋に入った私は、動かしていた唇をぴたりと止めた。

 ゆっくりと、静かに窓際へと歩いていく。


 仕事用の大きなテーブル。その前の豪奢な椅子の上で、彼はなにも言わずに目を瞑っていた。


「旦那さま?」


 小さく、起こさないように声をかける。

 返事がないのを確認して、私はくすりと笑みを浮かべた。


「置いておきますね」


 サンドイッチの載った盆を、テーブルへと静かに乗せる。

 寝ているのを咎めはしない。このところ、夜遅くまでの仕事が続いているようだったから。


 正直、得体の知れない旦那さまだと思う。バートさんもそうだが、なにやら怪しい商売もしているようで、平々凡々なわたしとしては心配というものだ。


 ただ、どこか悪いようにはならないだろうと信じている自分もいて、自分のことながら変わったものだと驚いている。


「そんなにお金稼いで、どうするんですかねぇ」


 お金は大事だ。あるに越したことはない。ただ、限度というものがあるのではないかと私なんかは思ってしまって。


 少し、彼らの世界が遠く感じられてしまうのだ。


「……すごいや」


 ぽつりと、素直に呟いた。

 きっと私では、彼らのようにはなれないだろう。それは身分がという問題ではなく、例えば私があのひとつ目のお嬢様と同じ立場で生まれていても、きっとあの場には居ないのだろうとふと思った。


 微かに聞こえてくる寝息に、彼の顔をじっと見つめる。


「ふふ、寝顔は可愛いもんですね」


 思わず笑ってしまう。

 偏屈そうな顔。眠っているときくらいよせばいいのに、眉をぎゅっと寄せていて、ご丁寧に腕までしっかり組んでいた。


 あまりない機会だしと、少しだけ顔を近づける。

 黒い髪に黒い眉。今は瞑っているが、黒い瞳。黒尽くしだ。


 特徴的な丸耳を見やってから、私は彼の唇に目を留めた。


「……もう」


 よからぬ考えが一瞬頭に浮かんだが、ふるふると首を振る。

 歳の差もあるが、なにより主人とメイドだ。色恋沙汰は、小説の中だけにしてほしい。


 よしんば恋仲になったとして、待っているのは幸せではないのだ。

 こちとら召使い。金だけの関係が、最も賢い選択。


 主人との火遊びに興じて、破滅した女など星の数ほど。なくした信用は、次の職場にも当然響く。


「って、まぁ。惚れてるわけでもないんですがね」


 やれやれと肩をすくめる。

 冷静になって考えてみれば、この人は……ない。


 食べ物のことしか頭にないし、いや本当に、食べることにしか興味がない。

 仕事はともかく、女遊びをしているところなど見たことがなかった。


 王都にだってエルダニアにだって、そういう店はたくさんある。どうせ豪華な食事とお高いお酒を飲むなら、私よりも相応しい女性と飲める店が。


 評判の店にも、彼が出向いているのを見たことがない。あれだけ食べることが好きなのに。


「……まさか、バートさんと?」


 そっちの趣味なのだろうか。なぜか少しだけ胸が震える話だが、それもないかと私は彼の寝顔をのぞき込んだ。


 結局、食い気しかもっていないのだ。この人は。


「ほんと、子供みたいなんですから」


 ちょんと、頬を指でつついてあげる。意外にもぷにぷにとしていて、調子に乗ってもう一度つついた。


「……なにをしているのかね君は?」


 いつの間にか開いていた両目に、鼓動が跳ねる。

 眉を寄せ、怪訝そうに見つめてくる瞳に、私はボッと顔を赤くした。


「いえ、その。ご、ゴミがお顔に」

「そうか。すまない」


 震える私を前に、彼は眠たそうに身体を起こした。どうしようと思うが、とりあえずありもしない指先のゴミをポケットに仕舞う。


「ん? 夜食を用意してくれたのか」


 彼の目がサンドイッチとコーチャに留まり、私の方へも振り向いた。


「あ、はい。遅くなっているようでしたので」


 余計なお世話だっただろうか。冷めてしまっているであろうコーチャを口に含んで、けれど彼は嬉しそうに微笑んだ。


「やはり君の煎れた紅茶は美味いな。君を雇って正解だった」


 その微笑みに、少しだけ鼓動が動く。

 いけないいけないと思いながら、私は「ありがとうございます」と頭を下げた。


「サンドイッチはいい。仕事をしながらでも食べられる」


 そう言いつつも、彼の手と目は書類には向いていない。右手にコーチャ、左手にサンドイッチと食事に没頭しつつ、彼はひとつ目のサンドイッチをぺろりと平らげていく。


「あの、旦那さま」


 美味しそうにサンドイッチを食べる彼に、私は思わず聞いていた。


「旦那さまは、ご結婚はなさらないので?」


 そのときの彼の表情を、私は忘れないだろう。


 心底嫌そうな、苦虫を噛み潰したような顔。


 なにを言っているんだと隠しもせずに、彼は震えるように口を開けた。


「結婚。恐ろしい響きだ」

「そ、そうでしょうか?」


 どういうことだろうか。結婚、家庭。幸せの代名詞のようなものだ。

 彼は平民ではあるが、位置的には豪商に近い。いずれは家を持つものだと勝手に思っていた。


「考えてもみたまえ、結婚といえばあれだ、女とするあれだろう?」

「はい。女性とする、結婚です」


 一応確かめてみた彼が、やっぱりそうかと首を振った。


「だめだ。耐えられん。なにが耐えられんって、好きなときに好きなものが食えなくなる」

「そ、そこですか?」


 本当に嫌なのだろう。気分が悪そうな表情をしている彼を、私は珍獣でも見るような視線で見つめた。


 結婚を嫌だという人など、初めて見た。


「どうやら君はこの世界の常識に汚染されているらしいな。可哀想なことだ。覚えておくといい、最新の常識では『結婚は人生の墓場』だ」

「そんなこと、ないと思いますが」


 なんてことを真顔で言うんだろう。

 変わり者だとは思っていたが、なんというか、身体の芯から変わっている。曲がっているというのだろうか。


 ただ、なんでただの平民がバートさんの右腕と呼ばれている理由が、なんとなく分かった気がした。


 この人は、私たちとは違う世界で生きている。


「それに、まともな女も居らん。どいつもこいつも、角だの尻尾だのくっつけおって。馬鹿にするのも大概にしろ」

「はぁ」


 なんというか、種族差別主義者の方も真っ青な台詞だ。たまに自分の種族の女性でないとだめだという人もいるが、それともまた違う気がする。


「旦那さまは、多種族の方がお嫌いなのですか?」


 聞いてしまった。私の問いかけに、彼は複雑そうに遠くを見つめる。


「別に、嫌いなわけじゃあない。ただ――」


 途中で言葉を止めて、どこか遠くを眺めていた。

 私には、なぜ彼がここまで頑なに他人を遠ざけているかが分からない。


 バートさんや私ですら、目に見えない壁のようなものを作っている気がする。

 それが少しだけ悔しくて、私は意地悪な質問をぶつけていた。


「では、恋人を作るご予定はないのですね?」


 踏み込んだ問いに、けれど彼は眉を寄せた。

 その表情は、彼自身なにか変わらねばと思っているようで。


「……まぁ、いい加減この世界にも慣れてきたからな。エルフならば、ギリギリ……許容範囲内だ」

「ふぇっ?」


 苦しそうに呟かれた言葉に、変な声で返してしまった。


「どうした?」

「い、いえ。なんでも」


 不意打ちを飛ばされ、思わず声が裏返る。

 どきどきと速くなる鼓動に、収まれと渇を入れた。


 彼の瞳が私を捉え、ふむと顎に手を当てる。

 品定めするような彼の視線に、ぎゅっと、隠れてエプロンを握りしめた。


「君も、耳が丸くて髪がすっとんきょうな水色でなければそれなりなんだが」

「あっ、はい。わたしがどうかしておりました」


 やはり、私の考えは正しかったようだ。


 この人は……ない。


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