第03話 輝きのブドウ (後編)
「開けるぞ」
「はい」
宣言してから、ゆっくりと木箱の蓋を持ち上げた。
途端、出てきた中身にシルフィンが声を漏らす。
「わぁ」
驚きを帯びたシルフィンと同様に、俺もその神秘的な中身に息を止めた。
「ほぅ。これは……」
木箱の中には、ひとことで言えば鉢植えが入っていた。問題は植えられている植物だ。
細長い枝を何本も伸ばし、その枝の先に丸く小さな実を付けている。
マスカットとでも言おうか。房にはなっておらず、一枝につき一個だけ。しかし枝自体が多いため、相当数の実が成っていた。
しかし、唸ったのはそんなことにではない。
「綺麗ですね」
「うむ。素晴らしい」
思わず溜息がでる。
枝の先の実は、幻想的なまでに美しく光り輝いていた。
こういうのを、本当の蛍光色というのだろうか。マスカット色の実が、まるで蛍のように淡く輝いている。
優しい光なのに、光量としてはかなりのものだ。しかも実の中で光が揺れ動き、表面に浮かぶ光の波紋が目の前で変化していく。
美しい。それ以外の感想がない。
「シルフィン。灯りを消してくれないか?」
「かしこまりました」
シルフィンが頭を下げ、扉の横のスイッチを押す。途端、電灯の明かりが消え、部屋の中を緑色の光だけが包み込んだ。
「……凄いですね」
「ああ。これは中々だな」
部屋に広がる、幻想の波紋。壁や天井はもちろん、床にまで、揺れ動く蛍火の波がさざめいていた。
アキタリア皇国が秘匿するのも分かる。これが群生している場所を発見したときの感動は、筆舌に尽くし難いものがあっただろう。
「初めて見ました。これが蛍木の光玉ですか」
「ホタルギ?」
シルフィンの言葉に耳を傾ける。先を促した俺の声に、シルフィンはこくりと頷いた。
「私も詳しくは知りませんが……有名なアキタリア皇国の植物です。皇族の方の戴冠式など、重要な行事に飾ったり食べたりすると聞いたことがあります」
「へぇ、詳しいな」
説明を受け、感心してしまう。アキタリア皇国くらいは流石に知っているが、そこの風習なんかは初耳だ。俺の視線を受け、シルフィンは得意げに顎を上げた。
「私、こう見えて高等学校を卒業しておりますので」
胸を張り、声色で感情が伝わってくるほどである。緑色の光でよく分からないが、彼女にしては珍しいくらいに口角が上がっていた。
正直、ふーんという感じだが、それは飲み込んでおく。
この世界では、高等学校を卒業しているというのは結構なステータスだ。無論大学もあるし、上流階級のご子息なんかは通うのが当たり前なのだが、シルフィンのような女中職では高等学校を出ているというのは珍しい。
「あれ? 旦那様、ご存じなかったですか?」
「ああ、うん。そうね。ご存じなかったね」
俺の返答に、シルフィンの顔がペカーと輝く。こういうときのシルフィンは、少しだけうざい。
とは言うものの、自分のメイドが物を知っているというのは有り難い話だ。俺は目の前の蛍木の光玉をマジマジと見つめる。
まるで洒落たランプだ。先ほどの話からするに、アキタリアではかなり珍重されているみたいである。そんなものを勝手に栽培して、バートの奴は大丈夫なのだろうか。
「しかし、これ……食べられるのか?」
「食べれるはず……ですが」
二人して、煌々と輝いている光玉を眺める。バートも食ってくれと言っていたし、シルフィンの話からしても食べ物なのだろう。
しかし、こう元気よく光られていると、非常に食べにくい。身体に害はないのだろうか?
「シルフィン。最初の一粒を食べる栄誉を、君にあげよう」
「えっ」
小さく声を上げるシルフィンに、俺は大丈夫だと根拠のないエールを送る。雇い主からの期待を込めた眼差しに、シルフィンの額を汗が流れた。
「で、では」
数秒覚悟を決めて、シルフィンが光玉へと手を伸ばす。シルフィンの白い指先が、手前の実の一つを優しく摘んだ。
「どうだ? 感触とか」
「ふつう、ですね。熱くもないですし、ブドウって感じです」
腕を組んでシルフィンの指先を見つめる。もいでいいですかとシルフィンの目が聞いてきたので、俺はそれにこくりと頷いた。
「っと、あっ取れました」
少しシルフィンが力を入れると、実のひとつがぽろりと外れる。嬉しそうに俺のほうへ差し出される光玉を、俺も興味深く観察した。
「ほう。もいでもまだ光ってるんだな」
「あっ、でも旦那さま。段々と光が弱くなってきてます」
シルフィンの言葉通り、光玉の輝きが少しだけ淡くなってきているように感じる。揺らめく光の加減が、どことなく弱々しい。
「どうせなら、光ってるうちに食べたらどうだ?」
「それもそうですね」
食べ頃は分からないが、光が消えてしまってはただのブドウだ。俺に促され、シルフィンも光っている実を口へと運ぶ。
はむっと、シルフィンの口が大ぶりな玉を飲み込んだ。
口をもぐもぐと動かしながら、シルフィンは蛍木の実を慎重に賞味していく。しっかりと口は閉じているはずだが、それでも唇の間から微かに緑色の光が透けているのが面白い。
「甘ふて美味ひいでふ」
「そうか。よし、じゃあ俺も」
シルフィンの表情が和らいだのを見て、俺も光玉へと指を伸ばす。どうやら、味は普通の果物のようだ。
「ふむ。……あむっ」
もいだ蛍木の実を、ぽいっと口の中に入れてやる。大きさは、ブドウよりも一回り大きいくらいか。女性が頬張るには少し大きいかもしれない。
口の中で転がした後、おもむろに噛みしめた。その瞬間、潰れた実から果汁がじゅわりと口の中に広がっていく。
「ふーむ」
確かに、シルフィンの言う通り甘い。甘い……が、それほど強烈でもない。
味は普通にブドウ系だ。酸味がほんのりとあって、その中に果物の甘さが広がっている。
瑞々しいと言えばいいのだろうが、正直なところ薄味だ。味だけならば、市場に出回っている果物たちのほうが良い。
「これといって美味いものでもないな」
「そうですか? 美味しかったですけど」
俺の感想にシルフィンが首を傾げる。認識の相違だ。不味くなければ美味いわけではない。俺は、あの幻想的な見た目に匹敵する味を期待していたというのに。
しかもだ。口の中に種と皮が残っている。種なんかは結構大きい。実が大ぶりだから仕方がないと思うが、食べにくいことこの上ない。
「種と皮が……」
もごもごと舌で触りながら、シルフィンを見やる。きょとんとした表情のシルフィンに、俺は視線で種と皮の行き先を問いかけた。
「私は飲み込みました」
「……すまないがナプキンを持ってきてくれ」
かしこまりましたとナプキンを取りに行くシルフィンに、俺は電灯のスイッチを指し示す。
「電気、点けてくれ。もういい」
なんだか、一気に気分が冷めてしまった。あれだけ幻想的に感じた光の波も、今となっては鬱陶しい。この間購入したステンドランプのほうが綺麗だ。
そもそも、食べ物が光る必要なんか何処にもない。
思い返してみれば唇の間から緑色の光を漏らしていたシルフィンは少し気持ち悪かったし、あれではせっかくの美貌も台無しだ。デートなんかでこんなものを食べた日には、その時点で百年の恋も冷める。
俺の声で点けられた電灯が、部屋を照らし出した。素晴らしい。科学の灯火だ。やはり明かりはこうでなくてはいけない。
「旦那さま、ナプキンです」
「ああ、すまない」
差し出された布紙に、種と皮を吐き出していく。
今更だが、俺は果物が嫌いだ。味自体は別に構わないが、食うのが面倒くさい。種が多いとか、皮が硬いとか、最悪だ。
「シルフィン、皮を剥いてきてくれないか。種も取っておいてくれ」
「えっ? それですと、剥き終わる頃には発光が終わっていると思いますが」
言われ、俺は右手を上げる。
「大丈夫だ。もう見た。綺麗だったな」
「それもそうですね」
シルフィンも、よいしょと鉢植えを両手に抱えた。観賞用として置いておいてもいいが、育て方がよく分からない。枯らすくらいならば、食べたほうがいいだろう。
鉢植えを抱え台所へと消えていくシルフィンを見送りながら、俺は疲れた瞳で窓の外へと視線を向ける。
すっかり暗くなった外の闇を、街灯の明かりが白く照らし出していた。
「異世界……ね」
電灯すらが通っているこの世界で、自分にいったい何が出来るというのだろう。
ふと、先ほどの緑色の光を思い出す。幻想的な輝きに包まれていたあの時間の俺は、少しはこの世界にとけ込んでいただろうか。
「馬鹿らしい」
そう吐き捨てて、俺は書斎の椅子に腰を下ろした。もう数分も待てば、シルフィンが種を取った実を持ってきてくれるだろう。
「……ソファ、買うか」
いつも立っているだけの彼女を思いだして、俺は部屋のスペースを考え始めるのだった。
・・・ ・・・ ・・・
蛍木の光玉
原産:アキタリア皇国 輝きの森
補足:アキタリアの固有種であり、皇国の国樹。皇室が関係している式典などでは必ず用いられ、皇妃の戴冠式では蛍木の枝で編まれた冠が使用される。
各枝の先にひとつ、緑色に発光する実を付ける。発光の仕組みは不明だが、枝から離すと数分で発光は収まってしまう。味は地球で言うマスカットに似ていて、うっすらとした酸味と甘味が特徴。