第05話 女神の手料理
「美味しいでふ」
匙を口に入れたシルフィンが、ふるふると震えながら感想を述べる。
同様に匙を運んだ俺も、思わず目を見開いていた。
『んふふふー、どんなもんです』
自慢げに大きな胸を張るヒョウカは無視して、俺は舌の上で溶けていく冷たさに眉を寄せる。
甘い。ミルク本来の優しい甘さと、蟲蜜の強力な甘味。それが見事に合わさっている。
口に含めば舌で溶け、口の中にミルクの風味が広がっていく。
これは間違いなくーー
「アイス……ですか?」
俺の呟きに、ヒョウカがおやと目を見開いた。
『そうです。よく知っていますね。我は一流のアイス職人でもあるのですっ』
むふーと息を膨らますヒョウカ。土地神がパティシエというのも変な話だろうが、実際にこうまで見事なアイスを出されては信じるしかない。
この世界において、氷は贅沢品の極地とも言えるものだ。貴族といえど、おいそれと口に出来るものではない。
中には食通の貴族が標高の高い山に従者を向かわせ、雪を持って帰させることもあるというが。このアイスはそんな次元を越えている。
「料理がお好きなんですか?」
山の天候さえ操る、雪と氷の女神。そりゃあアイスを作ることも可能だろうが、なぜそんなことを神様がしているかが分からない。
『そうですねぇ。趣味、というよりも習慣でしょうか。こう見えても我は、土地神になる前は料理人だったのですよ』
ヒョウカの発言に、思わず匙を落としそうになる。土地神になるような存在が、料理人。どこまでも想像とはかけ離れたイメージに、俺はポカンと口を開けて女神様を見つめた。
シルフィンも、思わずアイスを食べる手を止めてヒョウカに視線を向ける。
そんな俺たちの様子を楽しそうに見やりながら、ヒョウカは微笑みながら話を続けた。
『神であることを隠し、街に身を置いていたのです。ふふ、ウェイトレスなどもやっていましたよ。あれは我の生涯の中でも、とびきり幸福な時間でした』
本当に幸せそうに笑いながら、ヒョウカはいつかのときに思いを馳せる。俺には、その時間がどれほど前なのかも想像がつかない。
竜の森の長老の話を思い出す。もしかしたら、彼女がエプロンを身に付け皿を運んでいたのは、数百年も前の出来事かもしれないのだ。
『先代の守護神……獅子神が崩御する際、街に住んでいた我にエルダニアを託したのです。くふふ、我としては隠しているつもりだったのですが。さすがにお見通しだったようですね』
目を細め、ヒョウカは自分の分のアイスを口に運ぶ。その味にうんと頷いて、ヒョウカはゆっくりと言葉を続けた。
『未だに自分が神の座を全うできているかに疑問は尽きませんが、それでも今の生活には満足しています。……少し、寂しいですがね』
言葉通り、少しだけ寂しそうに微笑んで、ヒョウカはおもむろに俺の顔を見つめてきた。
なにかを確認するようにヒョウカの眼差しが俺を射抜き、くすりと彼女が匙を止める。
シャロンの威圧的なものとも違う、透き通るような視線。きっと、俺のなにかが彼女に見透かされたのだろう。
『久しぶりに楽しいときを過ごせました。シャロンにも、礼を言っておいてください』
そう言うと、ヒョウカは最後のひとくちを口に含んだ。それを飲み込み、静かに彼女は目を瞑る。
「……シャロンさんとは、お知り合いで?」
気になった。考えてみれば、俺はあのひとつ目のお嬢様のことをなにも知らない。
俺の心情を察してか、ヒョウカが困ったように眉を寄せる。しかし、すぐに楽しそうに頬を緩め、唇を動かした。
『彼女が学生時代、よく遊んだものです。ふふ、ああ見えて寂しがり屋なのですよ、あの子は』
「シャロンさんが?」
にわかには信じられない話だ。あの、完全無敵、唯我独尊のお嬢様が。
俺の表情をおかしそうに見つめながら、ヒョウカが「秘密ですよ?」と指を立てる。
『彼女の親友が大学に行く際、大泣きして大変だったのです。……まぁ今では、その親友とも仲違いしてしまったようですが』
悲しそうに目を伏せて、ヒョウカはそこで口を閉じた。
俺も深くは踏み入らない。なにせ、ロプス家の御当主さまだ。敵も味方もたくさんいる。かつての友人と、袂を分かつ日だってあるだろう。
「出来るだけ、仲良くできるように努めますよ」
『ふふふ、そうしていただければ、我としても安心です』
さてとと、ヒョウカが窓の外を確認する。なにせ山の中だ。暗くならないほうがいいでしょうと呟きながら、ヒョウカはテーブルの上になにかを乗せた。
「これは?」
『蟲蜜のお礼です。遠慮なく持って帰ってください』
テーブルの上には、大きめの木箱。お土産ということだろう。
ありがたく貰っておくことにして、俺は木箱を丁寧に受け取った。
「ありがとうございます」
神様からの、お土産だ。中身を見たい衝動を堪えながら、俺は木箱をシルフィンへと手渡す。
「ご馳走になりました。また、いずれ」
『いえいえ、こちらこそ。また会える日を心待ちにしています』
女神様に見送られながら、俺たちは祠の家を後にする。
外に出れば、そこには季節に合わない粉雪がゆっくりと舞い落ちてきていた。
『カツラギ』
背を向けて歩き出した俺に、ヒョウカの声がかけられる。
俺は、「なんでしょう?」と祠の前に立つヒョウカに振り向いた。
『……いえ、なんでもありません』
俺の顔を数秒見つめたヒョウカが、くすりと笑って口を開ける。その言葉に首を傾げながら、俺はぺこりと頭を下げた。
『貴方に、神の加護を』
手を振って見送るヒョウカへ微笑んで、俺は祠を後にする。
シルフィンが、よいしょと気合いを入れて木箱を背負った。
雪が積もる、白い祠。
そこに住まう、人間臭い女神様を想いながら、俺は雪に足跡を付けていく。
気分は軽い。
なにせ、神様本人から頂いたのだ。御利益も、期待してもいいだろう。




